武道 【塾長メッセージ】 学ぶということ2014/04/10 

小説 『 五重塔 』 で知られる作家・ 幸田露伴が、 明治時代の終わりに『努力論』という本を書いています。その中で幸田露伴は次のように書いています。

《他の人の力を借りて自己を変革しようと思ったときに大切なのは、それまでの自己を捨ててしまうことだ。それまでの自分の習慣や考え方を大切に守っていたいなら、他人に頼ることもない。そのまま自分一人でやっていけばいい。そうでないなら、他の人に素直に従って、自分の考えだとか自分の利益だとかを捨て、その人の一部分であるかのように行動すべきだ。それは決して恥ずかしいことではなく、むしろ立派なことだ。》(文は『超訳努力論』より)

 師に学ぶ意義、師に学ぶ者のとるべき姿勢が明快に表現されています。

  また、江戸時代の中期に書かれた剣術の極意書『天狗芸術論』の「水月」の章のなかに、師につく姿勢について次のように記されています。

    「月は水に 映るともなく
     水は月を映そうとも思わぬ
               広沢の池」

 師の技を身につけようと思うならば、心を透明にし無心となって、すなわち、さざ波の立っていない水面のごとくとなり、師の教えを映せよ、という教えです。

  身体で学ぶ修行は、身も心もオープンにして学ばなければならないということであり、修行の本質を諭したものであると言えます。

  いま宇城道塾では、「形あるものにこだわる現代の常識」から脱却して「形の見えないもののエネルギー」こそが人間や社会そして宇宙の根源にあることを伝えています。
 「光の速さで考え、行動する」「心の発動」といった道塾で伝えている真実は、江戸時代の剣の達人の語る境地に通じていると思います。
 

宇城憲治   

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