武道 季刊『道』180号 最後のゼロ戦パイロット 原田要さん講演会の報告2014/07/30 

『道』の購読者による企画

去る7月27日(日曜)に、『道』180号で特集された最後のゼロ戦パイロット 原田 要さんの講演会が開催されました。これは季刊『道』の購読者数名が原田さんの特集を読み、本当に貴重な御経験を是非本人から直接お聞きしたいという願いからでした。
当初は数名でもと考えていたプランでしたが、どう出版に相談したところ、「大変興味深い申し出です。日ごろの定期購読者への、感謝の意味を込めた講演会として検討させてください。」というありがたい申し出があり、原田さんのお住まいの長野での開催が決定しました。長野での開催ということで、創心館 長野支部の大津浩昭支部長から御協力の申し出があり、地元枠でも講演会の参加希望者を募集することになりました。大津さんは『道』180号が出版された後に、原田さんが園長として勤務された幼稚園の父兄の方々にも読んでいただければと、原田さんのご自宅を訪ね、『道』を進呈されていました。

皆さんの多大な御協力により、参加者は会場最大収容人数150名を上回る数になり、県外の東京、大阪からも多くの参加をいただきました。 
まさに歴戦の勇士という言葉がふさわしい軍歴と戦闘歴をお持ちの原田さんですが、『道』の写真にあるとおり、矍鑠とされ、97歳(1ヵ月後には98歳!)にはとても見えませんでした。大変優しい目をされており、心からの笑顔が印象的でした。



皆、真剣に原田さんのお話に聞き入った



講演会に臨む原田さんのお気持ち

講演会直前の打ち合わせの際に、いろいろなお話を伺うことができました。
「今日はつらい話、いやな話をしたいと思います。戦争の中にも、(仲間との結束や思い出として)いいと思えることも少しはありました。しかし、そこをお話しすると戦争賛美のようになってしまう。結局いいことの何十倍も、後から悪いことが押し寄せてくる。戦争とは、そんなものです。(戦友の)坂井三郎(ゼロ戦パイロットの撃墜王として国際的に有名。大空のサムライ等の著書多数)君もあのような形で有名になりましたけど、本意ではないと思いますよ。戦争で唯一良かったと思えたことは、先輩たちからのアドバイスにもありましたが、日常を真剣に、一所懸命に生きていれば、ああもう本当にだめかもしれないというときに、静かに死を見つめることができるということがわかったことです。」冒頭から大変重みのあるお話で、心の中に響き渡りました。





『道』の品格

また、雑誌『道』に関して次のようにおっしゃっておられました。
「『道』に掲載していただいたので、関係する幼稚園(原田さんの元の職場です)の保護者達に渡しました。大変に評判で、追加購入したいとの声も多数寄せられました。これまでいろいろな雑誌から、インタビューや記事を載せたいというお話をいただき、中には女性の裸が載っているような雑誌のインタビューもありました。気が進みませんでしたが、このような雑誌だからこそ若者が多く読んでいる、若者にメッセージを伝えられるという話でしたので、載せてもらいましたが、後から見てみると、やはりつらい。私の経験した戦争の悲惨さと女性の裸が一緒に載るのはいやなものです。『道』のようなすばらしい雑誌に掲載いただけるのは、本当に嬉しいしありがたい。私自身この雑誌を大切にし、何度も読んでいます。」

現在『道』に連載中の銀河浴写真家 佐々木隆さんが特集を見て、是非原田さんの講演会に参加したいと申し込みをされ、挨拶にいらっしゃいました。原田さんも佐々木さんの連載を「拝見いたしました、すごい写真ですね」と、写真を見ながら、絶賛されておりました。まさに、宇城塾長より指導を受けている気品と格調、本物の人には理解いただける真剣さが伝わった瞬間でした。改めて『道』という雑誌のクオリティーの高さを目の当たりにしました。

体験したもののみ語れる心からのお話

講演は、原田さんの手作りの地図や年表や資料に基づいて、当時の様子や実際の体験をゆっくりとはっきりとお話され進められました。原田さんの実体験に基づく大変内容の濃いお話を、とてもこのような文章でまとめることはできません。詳しい内容は、是非『道』原田さんの記事の再読や御著書の一読をお勧めいたします。やさしい語り口ではありますが、戦争の悲惨さをはっきりと強調されていました。ほんの一部だけご紹介させていただきます。

特攻作戦の成果に関するお話に触れた際、後にかつての敵兵だった方々との交流において、「アメリカでは日本の特攻作戦はバカと言われていたそうです。はじめこそ多少の成果があったものの、すぐに対策が打たれていたそうです。」とそのような作戦しか立てられなかった状況や、若者の命を犠牲にしていた事実を無念そうに話されていました。また、ご自身が海上に不時着され、駆逐艦に救助された折、艦上に大量の負傷者をご覧になったそうです。本当に重症を負われた方ばかりで、手のない方、足のない方、顔が火傷で判別できない方等、苦しみのうめき声を上げていらっしゃる方が多かったそうです。そんな中、軍医の方が原田さんの所へ来られ、診療を始められたそうです。戦闘で不時着され、身体に痺れがあったそうですが、特に大きな外傷がなかったので、他の方を優先させてくださいと訴えられたそうですが、平時と戦時は医療の優先順位が異なると、原田さんを優先的に診られたそうです。これは、負傷して再び戦争に出られないものより、治療すれば再び戦争に行き、戦えるものを優先させるからだそうです。これが戦争というものですと、寂しそうにおっしゃっていました。そして、女性、特に母親の愛の深さをお話されていました。やはり、特攻作戦に出られた方や、亡くなる直前の方々は口々に「お母さん」とおっしゃるそうです。天皇陛下や大日本帝国万歳と言う人もいたかもしれないが、本当に死を前にすれば、独身のものは母親、結婚しているものはやはり家族のことを考えると明言されていました。ご自身も母艦の位置を見失い、彷徨われ、いよいよ最期かというときに、雲が母親に見え、こっちにおいでと招かれた気がして、その方向に機をすすめると、本当に母艦があったという経験をされたそうです。戦場での悲惨な経験を通し、改めて女性、母の愛の偉大さを知ったとおっしゃっていました。最後に現在の平和は、このような大きな人々の犠牲の上にあること、命をかけて戦った人々がいたことを、戦争の現実と悲惨さとともにこれからも伝えて行きたい強調されていました。





三時間半という大変長い講演会でしたが、原田さんはほぼ立ちっぱなしで話しを続け、お水も一口も召し上がりませんでした。また講演を聞いている方々も真剣そのもので、皆集中されており、大幅な時間超過にも関わらず、ほとんどの方が最後まで聞いていました。やはり直接体験された方の声を聞くのは、重みが違います。原田さんのお話がずっしりと身体に染み渡りました。

最後にこの企画を主催してくださったどう出版の皆様、大津支部長を中心とする長野実践塾の皆様に感謝申し上げ、報告とさせていただきます。

東京実践塾 三品雅人


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