武道 第1回 ナパバレーセミナー レポート 2016/06/10 

2016年4月16日、17日の両日、カリフォルニア州ナパバレーに転居した、元ニューヨーク支部長のマーク・エイブラムス氏が宇城塾長を招き
第1回 ナパバレーセミナーが行われた。
セミナー受講者は、以前に宇城塾長の指導を受けた経験を持つ人が多く、全米各地やドイツから宇城塾長を慕って参加した。
初日は、肘の回転、相手と手を合わせて導きながら反対の手で攻撃、重くなったり軽くなったりしながら技を掛ける、などの実践とサンチンの型を中心に身体の呼吸を身に付ける稽古を行った。

2日目は、宇城塾長による気の指導を中心に、何人もの人がしっかりとスクラムを組んで動かないようにしている状態を、全く力を使わずに全員を動かす実践を行った。また、四つん這いになって両手足をそれぞれ固定されて全く動けない状態でも、宇城塾長から気を送くられるとずんずんと前に進んで行けることを体験した。手足だけでなく、上からも乗られ、またその人を何人かで引っ張った状態でも動けることは常識では考えらないことである。型は、主にサンチンとナイファンチンで、移動や動作に移る際に上下左右に身体がぶれないことを注意しながら行った。

稽古開始前、塾長はエイブラムス氏がニューヨークからナパに引っ越す際に友人から送られた掛け軸(老子の道徳経、戒強第七十六 柔弱の徳)に気づき、これに武術における解釈を与え、通常の筋力に意味がなく、全く違う方向に生きる道があることを話し稽古が開始された。

「 人之生也柔弱、其死也堅強。
萬物草木之生也柔脆、其死也枯槁。
故堅強者死之徒、柔弱者生之徒。
是以兵強則滅、木強則折。 
強大處下、柔弱處上。」

(人の生くるや柔弱、その死するや堅強。
万物草木の生くるや柔脆、その死するや枯槁。
故に堅強は死の徒なり、柔弱は生の徒なり。
ここをもって兵強ければすなわち滅び、木強ければすなわち折らる。
強大は下に処り、柔弱は上に処る。)



老子 道徳経 戒強第七十六


■サンチンの型稽古と実践



全体でサンチンの型を行う





腕受けで相手と対立すると相手の力が抜けず逆に押されてしまうが、姿勢で相手と調和することにより対立が消え、正しい腕受けになり、相手が力を入れることができない。



正しい姿勢と形の指導受ける参加者




調和が生まれ、笑みがこぼれる


サンチンの型の中割れで、肘を回すが、肘の関節を強く握られると回すことができない。宇城塾長の場合は何人で抑えても身体ごと動かされてしまう。また、宇城塾長から気が送られると、動作の前に肘が回転している実感があり、相手もそれを感じ、肘の回転に体ごとついてくる。



内面で回すことによって、つながってつかんでいる人達にも回転が伝わる


相手と握手して引っ張り込もうとするとき、対立があると相手もそれを感じ、引っ張り合いになってしまう。引くと同時に、左手で攻撃を加えるときも、相手に察知され受けられてしまうが、宇城塾長が行うと、力を感じずに動かされてしまう。



指と手の平がまるでくっついたようになり、離れることができず、体全体がコントロールされてしまう。




調和による技がかかると、身体に重さができ、普通なら持ち上がる身体が、非常に重くなり全く動かすことできなくなる。


別の人が下から肘を持ち上げようとしても、まったく上げることができず、二人とも宇城塾長を中心に調和されてしまう。




■ナイファンチンの型稽古と実践


全体でナイファンチンの型を行う


ナイファンチンの分解組手で、中割れを左手で行って相手に入り、右手で相手に攻撃を与える。


ナイファンチンの分解組手を実践的に指導する塾長



宇城塾長の動きには、全くこだわりがないので、攻撃している相手の突きをさばきながら同時に、奥にいる相手に蹴りを入れることも自由自在である。


相手の突きをさばきながら、蹴りを入れる塾長


柔らかいタオルでも、突きが巻き取られてしまい、そのまま倒されてしまう。タオルがまるで鞭のようにしなり、強力な武器となるが、これを力で振ったのでは威力が出ない。ここにも、筋力とは違うものが働いていることが分かる。


タオルが鞭のように変化する



■本質は一つであること
同じ長さの2つの線分を平行に描き、それぞれの上下に異なる矢印の先端記号をつける。これを見ると、線分自体が片方は長く、もう一方は短く感じるが、どれも本質である線分の長さは等しい。我々が観たり感じたりする物事の虚と実を、このような例により示され、様々な技にも本質があり、それを身体で会得することの大切さを示した。




四つん這いになった人の上から一人がしっかりと抱きかかえ、その帯をもう一人が握って動かないにようにすると、下の人は前に進むことができないが、宇城塾長が気を送ると、身体が目覚め前進することができる。


全く動かせなかったが、塾長の気で簡単に進むことができる


10人以上で引っ張っていても、人数に関係なく進んでいくことができる。これは、前に進むということの本質が筋力ではなく、全く別の物であることを証明しており、それは地球とつながった身体が生まれながらに持っているものであるが、宇城塾長の気によってその本質を引き出すことができる。


人数に関係なく進むことができる


エネルギーとしての気は、相手に触れなくても伝えることができる。
一見暗示のように見える事柄であるが、実践を肌で感じた人達は、その真実に気づくので、海外でも多くの人を引き付ける宇城塾長に指導に集まってくる理由がそこにある。


振れることなく動かされる集団



突きも本質は同じであり、そのエネルギーによって、全員が吹き飛ばされるような威力がある。






■一つである本質も、様々な様相を持っている
上から押さえつけてくる人に対し、身体の重みと、相手との調和ができていれば、相手を簡単に思った方向に導くこともできる。













一人で多くの人を引っ張って行くことは、常識にはできない。これは、引こうとする意識が相手との対立を生み、抵抗されてしまうからである。


大人が力で引っ張ってもびくともしないが、、、


小さい子供にはその対立がなく、その子を抱いている人にもそれが映るので、大勢を連れていくことができる。


子供を抱いた父親は簡単に引っ張ることができる



ナパバレーで行われた第1回目のセミナーは、ナパの素晴らしい気候と宇城塾長の気が調和し、充実した2日間の稽古が実践された。また、1日目の稽古後にエイブラムス氏の邸宅で催された懇親会は、宇城塾長を囲み打ち解けた雰囲気の中、多くの実践的な話を聞くこともできた。



マーク・エイブラムス支部長宅でのホームパーティ 






ナパバレー支部長 マーク・エイブラムス氏と奥様のメイダさん、また準備を手伝われたシアトル支部長ジョシュ・ドラックマン、ジーナ夫妻に心より感謝し、宇城塾長の実践される心の空手によって、世界がより良い方向に向かうことを期待します。



第1回 ナパバレーセミナー記念写真


東京実践塾 永田 清


第1回 ナパバレーセミナー感想文
■ナパバーレ支部長 マーク エイブラムス
先生は常に我々にまだ無自覚であるが達成出来る物事に対し手を伸ばすようインスピレーションを与えてくださっています。メイダと自分はこのインスピレーションを元にナパでの新しく美しい生活を開始しています。ここが素晴らしい場所でエネルギーに溢れており、先生の空手のセンターを築くきっかけになってくれると信じています。我々はこれが出来ると信じており、このゴールを達成するまで働き続ける所存です。ただ今回については先生に指導していただくに当たり、より全般の準備が出来ていればと願った次第です。
自分の人生に起きている様々な変化について意味付ける、あるいは理解する事は出来ません。分かるのは先生の教えが自分の深いレベルに広がり始め、ようやく型の外見を真似るのでなく、内側から動き始めると言う事を感じ始めていると言う事です。宇城先生の教えと榎本師範のガイダンスが自分を柔らかくし始め、自分の内側での接点を経験し始められるようになりました。過去には出来なかった事が今は出来つつあるようになりました。一つ一つの教えが新しい路を指し示す扉のようです。自分の型の動きが効くのか否かと言う事に囚われるのではなく、型の動きを経験する事によりフォーカスするようになりました。ようやく新しいレベルで学び始めているように感じ、それによって型を稽古する事がより一層楽しいものとなりました。
今回のセミナーのもう一つ重要な面は先生がナパで我々と時間を過ごす事を楽しんでくださったと言う事です。先生がこの場所にポテンシャルを感じてくださっているのを嬉しく感じますし、ここに越してきた我々にとって大きな後押しとなります。先生が我々の生活に関心を示してくださり、その経験、知恵と知見を我々と共有し続けてくださる事に対し、どれだけ感謝しているかは言葉では言い尽くせません。引き続き稽古を続け、いつの日か人々が我々を見て宇城空手が解き放つポテンシャルの大きさを実感出来るようしたいと思います。


■シアトル支部長 ジョシュ ドラックマン
今回のナパセミナーは非常に豊かで強烈な体験となりました。ほんの短期間の間に先生から深い学びを得、これらを消化するのに数週間はかかりそうです。先生がマーク、メイダ、ジーナや自分を始めとするカナダとアメリカの小さなグループをサポートする為に示してくれる気遣いと寛大さに深く感謝します。これだけ時間が経った今でも、先生ほどの人と家庭的なホームステイに近い環境で個人的な時間を過ごす事が出来る名誉と環境を得られる事に驚きを禁じ得ません。マークとメイダの新居、環境、そして道場の自然の美しさ、純粋さ、そしてエネルギーに衝撃を受けました。マークとメイダにとって新しい始まり、それは北米で宇城空手を発展すべく参加している我々にとってもですが、これを目撃出来たのは素晴らしい事でした。
先生の深淵な教えはノンストップでした。先生の教えについて行き、可能な限り吸収しようとする事に全エネルギーを費やしました。ようやく自分のレベルで先生がやって見せてくれている事を分析する事の愚かさが分かった気がします。今回、先生により素直に見せてもらい経験させてもらう事が出来た気がします。結果として自分ではまだ理解出来ていませんが自分のより深いレベルでの自己が、先生の教えを受けられたように感じます。今の自分が、自身のポテンシャルに対し障壁になっている事が腑に落ちました。先生の様々な教え、呼吸、体重を重くする事、姿勢、絞りなどは自分の中に存在し探究するための深層に達する為の窓でした。これらの教えの中でも呼吸が自身の身体の感覚と知覚に最もインパクトを及ぼしているようです。先生の発言の中でも、我々は脳と意識を持つ故に動物ではないものの、動物のように感じ、反応すべきと言うものに衝撃を受けました。これは自分にとって今後重要なテーマとなりそうです。

ディナーの席で先生が自分の持っている箸を割って下さった時、自分が尻込みしてしまい、きちんと箸を持っていられなかった事に失望しました。自分の中に深く根付いた習性である敏感性と協調性と向かい合うのは困難でした。しかし、これは自分が改めて見なくていけないものでした。先生はストレートに強く、自分が他者がどう考え感じるかに気を取られているあまり、自分自身の確信が揺らいでしまう事を指摘されました。先生の考察は仰る通りで、自分の内なる自己に耳を傾けそれに従って動く事は自分の人生における葛藤です。先生のご指摘の通りこれは信頼性に帰結します。信頼性とは言葉以上のものでなくてはなりません。それはより深いレベルで感じ取られるものであるべきです。先生の教えに従い、自分の稽古を先生、空手そして自分に対する信頼性の方向性に向けるべきである事が明確となりました。先生は私が既にこの問題に対する答を知っていると仰いました。その通りだと思います。自分にとっての挑戦とはこの知見に基づいて行動し、この本物の信頼性が深まるよう変化を起こす事にあります。私は危機的な状況において逃げ出さないようになりたいです。私はいかにして本当に相手に入るのか知りたいです。このゴールを目指すに当たり、その邪魔となる習性は取り除くようにします。
先生はマークと自分に我々が成長し発展すると仰いました。自分でそれを実感するのは時に難しいものです。しかし自分は先生と先生の判断を信用します。それが自分の将来に対し、自信と希望を与えてくれます。


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