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民 信なくば立たず

 「民信なくば立たず」という言葉があります。これは中国の言葉(論語)で、政治や社会というのは民衆の信頼がなければ成り立たないという意味で使われています。今、日本では国のトップが盛んにこの言葉を引用していますが、言っていることとやっていることがあまりに異なっているのではないかと言わざるを得ません。


 学校法人「加計学園」の獣医学部新設をめぐる問題や、森友学園への国有地売却に関する問題からは、「寄り添う」といいながら、行政が「森友・加計」に寄り添って、国民に寄り添っていないことがはっきりわかります。沖縄の普天間基地の辺野古移設をめぐる問題もしかり。埋め立ての賛否を問う県民投票で7割を占める人が反対投票をするという結果がありながら、沖縄には寄り添わない。


 言葉ではなんとでも言えます。その言葉が真実になるには、常に実証(行動、実践)がいかに大事であるかということです。

 こういう国の姿勢からくる危うさというのは、これが続くとそれがその国の「風土」となってしまうということです。


 たとえば、信号がない横断歩道で、必ず車が止まるという県と、止まらない県があります。横断歩道で車が必ず止まっているところでは、歩行者が横断歩道を渡ると必ず止まってくれた車に礼をしています。小学生がドライバーに対して「ありがとう」と礼をする。そういう習慣がその地域で10年、20年続くと、ドライバーは必ず止まる、という風土ができあがっていきます。

一方、信号のない横断歩道を渡る人に対し、ドライバーがクラクションを鳴らすような地域もあります。そういう地域はそれが風土になっていくわけです。


 ですから、家できちんと挨拶したり、人に対して礼をつくす習慣があれば、それが5年、10年ぐらいたつと、自然と身についてくるわけです。逆に、使う言葉が常に虚構であれば、その虚構のあり方がその人にとって当たり前になってくるということです。それこそが今の日本の国の危うさです。10年でできた風土は元に戻すのに10年、そしてあらたに学びなおすのに10年、全部で最低でも20年かかる。嘘や虚構を身に付けてしまう危うさ、危険性はそれほど深刻、怖いということであるのです。

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