白鵬(第69代横綱)
第69代横綱 白 鵬
「人間にはそれぞれ器があるという話がありますが、
僕の器にはまだまだ水が入っていく。
だから先祖様、両親というもの、そういう何か目に見えないものに
自分は守られているのかなと思うようになりました」(白鵬)
42回という、大相撲史上最多の優勝記録を誇る横綱白鵬関。
入門時62キロ、175センチだった少年は、18年後、158キロ、192センチの、まさに威風堂々とした力士となりました。
横綱となった今でも
「22歳の時に目指したのが横綱。25、26歳の頃に目指したのも横綱。今、目指しているのも横綱なのです」
と語ります。
いかにして前人未到の記録をつくりあげたのか。
外からは見えない横綱の強さの秘密とは。
武術は理屈でなく、まずはやってみせる世界――
そこを共通点に、武術家宇城憲治氏に、横綱の目に見えない内面を引き出し、言葉にできない世界を、まさに、対談ならぬ〝体談〟を通して語り合っていただきました。
白鵬 翔(はくほう しょう)
第69代横綱 日本国籍
1985年3月11日、五人兄弟の末っ子としてモンゴルウランバートル市に生まれる。姓はムンフバト、名はダヴァジャガル。父・ジグジドウ・ムンフバト氏はモンゴルでは有名なモンゴル相撲の力士で、年1回のモンゴル相撲大会で6回優勝をした国民的英雄だ。
1964年の東京オリンピックではレスリング選手として出場し、1968年のメキシコ五輪ではレスリングで銀メダルを獲得し、モンゴル初の五輪メダリストとなった。
白鵬関はそんな父を目指して12歳の頃レスリングを始めるが、父に「まだ早い」と反対され、以後、好きだったバスケットボールに熱中していたという。
「一度日本に行ってみたい」という気持ちから、日本のアマチュア相撲の人たちと稽古して日本を見て回る2ヵ月間のツアーに参加し、2000年10月、15歳で初めて来日する。
来日した時は、身長175センチ、体重62キロととても痩せていたという。当初、高校を休学し帰国の際はすぐに復学できる手続きをしていたが、帰国前夜に急きょ宮城野部屋への入門が決まり、白鵬関の相撲人生が始まった。
2001年春場所で初土俵、2004年初場所で十両昇進、同年夏場所で新入幕を果たした。2006年春場所の活躍で大関昇進を決め、同年夏場所で初優勝。2007年夏場所を3回目の優勝で飾って横綱に昇進。
以後優勝を積み重ねて2014年九州場所で第48代横綱大鵬の持つ優勝記録32回と並び、2015年初場所でついにその記録を塗り替えた。現在は42度の優勝を誇る。2019年9月3日、日本国籍を取得したことが公示され、現役引退後に親方として日本相撲協会に残り、さらなる活躍が期待されるところとなった。
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