大阪実践塾合宿 感想文
2020年6月12日・13日の二日間、滋賀県甲賀市において、大阪実践塾合宿が行われた。宇城憲治塾長をはじめ、榎本麻子師範、宇城拓治師範、各支部からの塾生も参加した。
宇城塾長の指導により大きな気のエネルギーを受け、コロナ禍にも関わらず、深さを追及した非常に有意義な合宿となった。
参加者の感想文
A.K 会社員 大阪
宇城先生、大阪合宿での大変貴重な御指導をありがとうございました。このコロナ禍の緊急事態宣言中の状況でも、合宿を開催していただき、本当にありがとうございます。
合宿ではマスクなどもせずに稽古ができ、懇親会でも全員で一つになりながら楽しむことができるのは本当に宇城空手の合宿だけだと思いました。合宿参加者の誰もがコロナのことなど全く気にせずに稽古をし、皆で膝を向かい合わせて懇親会ではお酒を酌み交わしておりました。これは先生の気、エネルギーに包まれているからこそできることであり、塾生全員が先生を心から信じ、自分自身を信じているからこそだと思いました。
今回の大阪合宿では何度も先生に人間の持つ可能性、人間の持つエネルギーの凄さを感じさせていただきました。身体はパーフェクト、百点満点なのに、自分の頭が身体の邪魔をしているという事実を何度も痛感しました。先生に気を入れていただくとできる、自分ではできないということの連続。先生には気を入れていただくことで、何度も「いつまで寝てるんだ!早く起きろ!」と自分の身体に言っていただいているような気がしました。初日の稽古では組手で先生の技を体験させていただくことができ、先生の技の凄さ、エネルギーの凄さを感じました。
先生の攻撃を受けると、自分の身体にエネルギーが注入される感覚があり、自然と笑顔が出てきて、身体がスカッとした感じになります。モヤモヤしたものが綺麗に無くなるような感覚です。今までの自分の寝ていた、寝ぼけた身体が先生の技によって起きる感覚があり、清々しさを感じました。
本当に先生の気に包まれた中でエネルギーを注いでいただいたような感じがし、同時に自分の身体が普段はどれだけボケているのかということを痛感しました。先生の心を映す、エネルギーを身体に映すということの大切さを感じ、同時に今までの自分を捨てきらなければならない、今までの自分を捨て切らなければ先生の心もエネルギーも映らないと思いました。
先生の「稽古照今」の本に「人間は気に包まれて生きなければならない」という御言葉がありました。まさに、これからの時代は先生が仰るように、昨年急にコロナ禍の状況が始まったように、いつ何が起きてもおかしくない状況で、本当に人間は気に包まれて生きて行かなければ、普段の日常生活さえも危うくなるということを感じています。
気に包まれて生きるとは、本来の人間としての生き方、生活に立ち返るということでもあり、原点回帰をすることなのだと思います。人間としての在り方、生き方をより考えていかなければならないと思いました。対立的な生き方ではなく、寄り添い、思いやり、調和するという生き方を考えていかなければならないと思いました。
合宿ではローマ時代における剣闘士のお話も心に突き刺さりました。生死を常に感じながら懸命に生きていた剣闘士だからこそ、当時のローマ時代の人々を魅了したということでしたが、先生の空手はその先を行く次元であり、生死の中から人を活かすという次元にまで高められた技であり、心です。
その先生の技や心を現代で学ぶことができるというのは、本当に奇跡的なことだと思います。
今まで、先生からは沢山のことを教えていただいております。先生の技も心も、間近で拝見させていただいております。大事なのは先生に教えていただいていることを自分の身体と心で一つにすることだと思っております。
合宿では先生にフィードバックについての御話もございました。様々な角度や方向からフィードバックをかけることが日々の一人稽古だと思いました。そのフィードバックや一人稽古の時にも、大事なのは宇城先生の心が向いている方向をどれだけ感じれるかということだと思います。先生を想う心があってこそのフィードバックであり、一人稽古だと思いました。
今回の大阪合宿では本当にたくさんのことを学ばせていただきました。私が何故先生の空手を学んでいるのかは、先生の空手を学ぶ中に人間の幸せや本当の希望があると思っているからです。これからも先生の心を常に感じながら、自分自身の幸せと希望に向かって宇城空手を学んでいきたいと思います。
宇城先生、これからも御指導よろしくお願いいたします。
K.M 経営者 大阪
宇城先生、コロナ禍の中での感動的な合宿に参加させて頂き誠ににありがとうございます。全国から参加された皆様と共に大変有意義で、かつてないほどの凄いエネルギーを頂いた合宿となりました。心から感謝申しあげます。
今の現状の中で、自分としてどうあるべきか明確な指標を示して下さりありがとうございました。初日に、メリケンサックをつけての組手の稽古の中で、先生から、相手の手首、腕、顔面をもっと狙って行けとのご指導に、無我夢中で突きをだしていくものの、自分の中から武器で相手を殴る事に対しての恐怖心が湧いてきました。反対に突いてきたのを入っていく時、いくら心を強くしても入る事が出来ない。そこに入れるという技術があれば、全く恐怖心がない。との先生のご指導に感動致します。しかし、私には全く出来ませんがこの絶対的な技の習得の方向に向かわせて頂いている事に感動致します。
また、この稽古を通して、本来、人間はやみくもに人を傷つける事が出来なくなっている事に気づかせて頂きました。世の中では、簡単に人を刺してしまう事件が後を絶ちません。如何に人間が低下しているかが、心の中から実感させて頂きました。
剣の所作の中で、手の握りの甘さ、手首、肘の固さを実感し、改めて、一人稽古の足らなさを痛感致しました。剣の握りの中から自分の中で、脇の締めと繋がっている感じがし、型の中でフィードバックしていく稽古の大切さを気づかせて頂きました。剣闘士のお話の中で、戦ったら必ずどちらかが死ぬ状況。特攻隊もそうですが、生死がかかってきた状況になって初めて人は生きるとは何かを考える。宇城先生は、合宿の中で、何度も何度も、身体を通しての人間の本来の生き様を実感させて下さいます。懇親会の席上でも厳しくも暖かい先生の愛情を間のあたりにさせて頂き、いついかなる時も真剣に向き合われる生き様が脳裏から離れませんでした。
宇城空手は、人として生まれてきた使命とは何か、どうあるべきか、何を実践すべきかの道を気づかせて下さいます。この合宿の中で、私たちの身体は神秘的で凄いという事を何度も何度も見せて下さり、体験させて下さります。しかし、頭が全て邪魔してしまっている。自分自身の癖も普段は全く分かりませんが、気づかせて下さいます。感動と自分への葛藤との連続の合宿でありました。
支え腕受けの検証の際、三戦の中割れのフィードバックを通して、外面でなく内面を回していくのご指導で、どうしても自分ではぶつ切りになってしまいます。回すイメージをどうしても頭で勝手に考えてしまいます。しかし、先生に触れさせて頂くと、自分の中の内面が吸い込まれて行きます。これだとの凄い感動が自分の中に漲ってきます。円になって先生がエネルギーを注ぎ込んでくださる時は考えられないスピードで回っていきます。その後、技の検証を行うと考えられないぐらい柔らかい衝突のない空間が存在しています。この感覚を映していくしかないと感じました。
先生が合宿の中で、短期、中期、長期のビジョンを持ち、長期的ビジョンを持つ中で対応していく重要性のお話しをしてくださりまさしく、今のコロナ禍の状況で宇城空手で学ぶ姿勢を実践を身体を通して気づかせて頂きました。この感謝の気持ちを、日常の実践にいかし、心ありの実践をして参ります。ありがとうございました。
A.O 会社員 福岡
コロナ禍の中、変わらずに合宿を開催頂き、何事も無く合宿を終えられたことは先生が発して下さっている気のエネルギーのお陰であることは疑いの余地はありません。世間的には有り得ない状況の中で大人数が集まる合宿が開催されるということは奇跡だと思っております。大阪実践塾合宿に参加させて頂き、誠にありがとうございました。
今回稽古時、先生に気を掛けて頂き、投げをした際に、私に対して、頭で考えながらやっているとご指摘を頂きました。私は瞬発ではなく頭で考えながら投げてしまいました。師を、そして自分自身を信じる事が出来ていないのだと痛感させられました。「決断力が無く、この先必ず裏切る。」と教えて頂き、自分が直さなければならないところ、向かわなければならない道を示して頂き、身が引き締まる想いでした。
また個々が別々の集まりではなく、互いに繋がりを持つ集まりでなければならないというお話、そしてそのお話の内容を抽象的ではなく、実践として示して下さいました。気が通り、ゼロ化された時にスッと全体の雰囲気が変わるのを感じました。手を繋いで輪になった人の列に対して、先生は気を送るところをピンポイントで指定することができます。どういうことなのだろうと頭で考えるのではなく、そのようなこともできるのが気なのだとそのまま感じることが大切であると思います。何でも頭で考え、損得で考え、自分の力でやろうとするという横着。この横着さが自分が持つ身体の力に蓋をしているということを毎回身体を通して教えて頂いております。しかし、何度先生に教えて頂いたとしても、自分の頭が身体の力を遮ります。この私利私欲の頭との決別が自分の人生に於ける課題であると考えます。
師を信じる自分を信じ、裏切らない身体を作り、人・物・空間・時間、あらゆるモノと調和して強い繋がりを持つ。そのようになる為の答えは、先生が示して下さる宇城空手にしかない。無限に続く武術武道階段の第一歩。最初の一歩を間違った方へ踏み出してしまうと、取り返しのつかない事となる。私は先生にお会いする前に、既に誤った階段を上っていました。先生とお会いしたからと言って、正しい階段を上ることができるとは限りません。自分自身が気が付き、先生が発して下さるメッセージをそのまま身体で受け取り、行動を起こさなければならない。この世に生を受けた生命としての生きる真理を教えて下さっているのが、宇城先生です。先生が教えて下さることは、ありのままの生命であれば、決して難しいことではないのかもしれません。しかし、自分は先生の教えを何一つ守り、行動を起こせていません。「進歩成長とは変化すること。変化とは深さを知ること。深さを知るとは謙虚になること。」進歩成長の為、変化の為、深さを知る為、謙虚になる為の第一歩を間違えないこと。その大切さを、私たちのレベルまで降りてきて下さり、ご指導頂きました先生に深く感謝申し上げます。
今回の合宿にて学ばせて頂いた、『正しい道・正しい階段』を上ることができるかどうかは、自分次第。師を信じる自分を信じること。『自分』。この『自分』を取り戻すのだという想いを胸に、帰路に着きました。
先生から頂く激励のお言葉。深く身体に刻み、行動、行動、行動あるのみで進みたいと思います。宇城先生。改めまして、今回、大阪実践塾を開催して下さり、私の参加を許可頂き、誠にありがとうございました。心より感謝申し上げます。
H,A 教師 京都
宇城先生、榎本師範、拓冶師範ご指導ありがとうございました。
今回の稽古で何より印象に残っているのは、頭は1点 身体は100万点という言葉です。
宇城先生に出会い、気をかけていただき、できる自分。できる身体を何度も何度も体験させてもらい、しかし、そのたびに1点の自分(頭)でそれを止めるということをしている自分がいます。何をすべきか、それは師の心を映し、今に身を任せることです。そこに自分が入ってはせっかくの100万点のものがたちまち1点の世界に引きもどされます。そのことが今回の稽古で身を持って分かりました。このことは理屈で説明しても頭ではきっと永遠に答えはないとも思いました。いかに自分が閉じているか、生かされている。生かされていると頭で思っても実際問題、地に足がついておらず、呼吸も、身体も孤立してしまって生きていたということだと感じました。
壁をなでると引っ付く。叩くと手は壁と離れる。暗示ではない。実際それが本当で目に見えない物が全てを作っていて、それが事実です。しかし、それも数回で消えてしまう。所詮はエクセサイズです。日常が稽古。そうならなければ、次のステップへは進めない。そして今回何より学んだことは、自分の身体に基準値を感じるものを持つ、階段を作るということです。しかもそれは無限の師が歩む階段です。そのためには、今回の合宿で学んだ正しい確かな型がないと、その基準は持つことができないということも分かりました。
この一日半は、いったい何日、何年、・・・どんな価値があったんだろうと今思います。父が70歳という人生を終え、いつかそんな日が全ての人に訪れる。その一生をどう生きるか、どんな道筋のどんな歩みをするか。すべては決まっています。
最高の師匠。間違いないと誰もが思う師から学べる一生。本当に幸せな話です。空手を自分が始めたきっかけは思い返せば、父でした。小学校の頃の今思えばスポーツ空手でした。(スポーツ空手に魅力を感じず中途半端で辞めました)父が示してくれた道です。それがなければ、きっと宇城先生にも出会うこともなかったと思います。また、父は自分がまた、空手を始めたことを喜んでくれていました。
不思議な何かを感じます。
宇城先生という師を共に目指す、仲間と共にかけがえのない二日間を過ごせたこと、
コロナ禍でも常に我々塾生のことを思い、合宿をしていただいたことに感謝し努力、研鑽をしていきます。ありがとうございました。
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