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第39回 東京実践塾 春期合宿


2023年4月22日、23日の二日間、宇城憲治館長、榎本麻子師範、宇城拓治師範の指導により、【第39回 東京実践塾 春期合宿】が開催された。東京実践塾生に加え、大阪支部・三重支部・シアトル支部から総勢120名が参加した。


各班に分かれ、有段者が型・分解組手を細部にわたり指導し、真剣な稽古が繰り返し行われた。

寝食を共にすることにより合宿ならではの一体感が生まれ、さらに塾長のエネルギーを享受することができた充実した二日間となった。




宇城館長による全体指導
宇城館長による全体指導
班に分かれて稽古を行う
班に分かれて稽古を行う
稽古後の懇親会
稽古後の懇親会
集合写真
集合写真

 

感想文

 

■S.N 学生 東京

  この度は実践塾春合宿参加という大変貴重な機会を与えてくださり、誠にありがとうございました。   宇城先生、榎本師範と拓司師範、海外支部含めた実践塾の先輩方とお会いしての稽古、寝食を共にし語らったこの2日間は、何にも変え難い貴重な経験となりました。   稽古では、型と分解組み手を主にみていただきましたが、自身のやり方では型が内包している守りや攻撃の意味をまるで理解しておらず、その本質とはかけ離れたところにいる事を痛感しました。宇城先生が譜面の例えで仰ったように、一つ一つの動作を丁寧に、横着せず繋げる事を忘れずに普段の稽古から心掛け、型を育てていきます。   また、宇城先生に突きを直していただき、突きの後の回し取り投げは、1人ならば決まるものの、3人連なると意識が働いたように思うように決まりませんでした。投げる事が目的では無いにしろ、宇城先生が目の前で手本を見せてくださっているのに、そのチャンスを無碍にしてしまうような無駄な思考や意識を更に更に取り払い、素直に自然に受け取れるよう努めてまいります。   そして、今まで自分の突きに疑問を持たず、できたつもりになってしまっていた事は反省すべき点でした。手を取り教えていただいた感覚を忘れぬよう稽古し、型や分解組み手でも現状のやり方に慢心せず、常に疑いを持って修正をかけていきます。   また、この2日間で何よりも感じたのは、宇城空手が引き合わせてくれた人と人のご縁の温かさでした。先輩方と空手との出会いや普段の生活との結びつきをお話しする中で、この宇城空手の理念はあらゆる職業、あらゆる組織にも通用すること、この場に自分がいられる事は今日までに多くの人の働きがあってこそで、決して当たり前では無いことを感じました。この合宿を通し宇城空手を学ぶ意義と、どう今後の人生に活かしていくか、その未来に繋がる今の生き方に妥協があってはならないと今一度自戒いたします。   宇城先生からのお言葉、お心遣いに深く感謝し、差し伸べてくださった手を取れるよう一から初心に返り精進して参ります。この度は誠にありがとうございました。

 

■C.N 自営業 千葉 この度も先生と寝食を共にさせていただける合宿という貴重な機会をありがとうございました。   今回の合宿を通じて今まで以上にあらためて、幸せに生きるということをまた深くご指導いただいたように感じています。と言っても先生は常に常にどんな時でも何も変わらずご指導いただいていますが、それを受け取る自分の中の問題です。どれだけ時間をいただいて気づきに向かわせていただいているか、何かに気づくたびに、洗脳から解き放たれていく事を強く感じ、先生の愛の深さに感謝しかありません。   本当に絶対に有り得ないご指導をありがとうございます。先生の厳しさの中の優しさ、温かさは、一度しかない人生、人生は一度しかないんだ、という当たり前の事を呼び覚ましていただいているように思います。一度しかないという事さえ、どこかヴァーチャルになってしまっている程、甘く緩んでいる、それが全て型や技に表れているのだと本当に感じました。   生かされている時間を生きていく事、それ自体が空手になっていかなければ、一生できる事なんて絶対有り得ないという事がわかります。だからこそ出来る出来ないの前に自分の心のあり方が重要であり、師を映す事が最も重要であるのだと理解しています。   厳しい時になればなるほど、自分の世界からの考えを捨てて、信じる、信じ切るという事が重要なのに、そんな時ほど今までの自分が出てきてしまうのは裏切りであると思います。調子の良い時は何とでも言えるものです、厳しい時ほど本当の自分が出てくる、そんな時に逃げない、裏切らない自分を創っていきたいです。   稽古の中で直接ご指導いただける事がありましたが、理屈でやらない、握り、そのままやる、何もしない、型通り、大きく素直に、関節を伸ばす、言葉ではなく全て身体でご指導いただき、後から言葉の説明の意味がわかるぐらいに、まずはそのまま頭の中の解釈を入れずにやります。   先生の近くで実際に見ることが出来、一触の機会まであるというこの言葉で言い表す事のできない価値を、もっともっとわかっていくためには自分が成長していく事だと確信しています。どれだけ自分達の身体に刻み込んで頂いているか計り知れまぜん。   それをしまい込んだまま過ぎていくのか、掘り起こすように自分の中に刻まれた先生のエネルギー実感していくのかは、本当に自分次第だと思いますので、そこに向かう稽古となるようにしていきたいと思います。   合宿で色んな方達と時間を共にさせていただくことで、色んな角度から先生を見させていただいているように思います。自分の気がついていない事や、知っていると思っていたこと、癖も人を見ることで自分の癖に気がつく事もあります。指導をいただく先輩が見えている先生を感じる事により、目盛りが細かくなる事、一人一人が先生に対して真剣に向き合っていくことこそが、結果としてお互いの成長を助け合っているように思い、それはまさにマザーツリーのお話のようにも捉えられました。   だからこそ常に先生に対して心開いて向き合えるように過ごしていかなければいけないと感じています。知らず知らずに切り替えてしまう、気を通してもらっていても頭で切り替えてしまう事が気がついていない時にもあるのではないかと思うような事がありました。   自由に組み手をさせていただく実践の時、その後に気がついたのですが、自分よりも体格の大きな先輩との後であったのに、身体にダメージが残っていないなどの事にふっと気がつき、もしかしたら気を通していただいているのに、自分が最初から気を通していただいていない状態だからと、決めつけて組み手に望んでいるのではないかと思いました。   これは単純に自分の勝手な解釈かもしれませんが、初めてそのように感じました。その場に先生が見ていてくださるのだから、常に気を受けている時と同じ状態に自分が近づくか、どんな時も自分勝手に分けてはいけないのではないかと感じました。   結局勝手な思い込みでできる事はないのだから、少なくとも常に気が通っている、気を通していただいている自分であるように切り替えずに、実践や稽古に臨むべきではないのかと、それが気が通っている自分、通っていない自分、どちらで生きていくのかという事に繋がるのではないかと思いました。   この二日間の濃密な時間を過ごさせていただき、本当にありがとうございました。先生のご指導をいただける事に感謝しております。   今後ともご指導の程宜しくお願いいたします。

 

■K.S 会社員 東京   宇城先生、先日は実践塾合宿を開催いただきありがとうございました。参加させていただき多くのことを学びました。   冒頭の講義では、5つの空手の型に剣の術や気を入れることによって宇城空手の真の形となるとご指導いただきました。スポーツはもちろん他の流派とはあきらかに違う、天と地の差ほどあると感じている宇城空手の極意を教わったように思います。型だけをとっても全く他に類を見ないほどですが、そこに剣の術技や気が入る。到底そのレベルには届かないまでも、そこに向かってひたすら進んでいくことが大切である。そのようなことを感じました。   榎本師範、拓治師範の両師範はもちろん、多くの先輩方が確実にその方向を向いて歩まれている背中を今回の合宿で今まで以上に感じました。   社会は今不安と怯えで蔓延しています。不安は自殺、怯えは他殺との教えもありました。そこに対する回答は今の政治や社会には全くありませんが、先生のご指導の中には確実にその答えがあることを毎回感じます。   以前道塾の方の感想文に先生に気をかけていただいた状態を自信に満ち溢れた身体と表現されていたことを思い出します。まさに先生からいただいたエネルギーが身体に充満し自信となっていきます。そこには不安や怯えなどはありません。   周囲から無謀だと言われても身体から湧き出てくるエネルギーによって挑戦の後押しとなったり、今まで誰もできなかった現状を打破していくエネルギーになるなど仕事等で少しずつですが体感させていただいています。不安や怯えとは全く違う世界が今の混沌としたこのご時世でも確実に存在することを私は希望と捉えています。   今回の合宿の稽古では新たに榎本師範、拓治師範の班に別れ、そこから各グループを作るという方法で行われました。私は拓治師範にご指導いただくグループになりましたが、今後の稽古において大きな学びをいただきました。   また先生からは一つ一つの音符を大切にしなさいとのご指導をいただきました。少しでも音がずれると音程がずれてしまう。正しい音を奏でる。その音の符号を並べることで楽譜になる。しかし一つ一つの音符、音程が正しくても、ぶつ切りになり繋がりがなければ音楽としては成り立たない。音符、楽譜、音楽と非常にわかりやすい例えでご指導いただきました。   同時に「ピアノを弾くのに素人は脳を使うがプロは脳を使わない」「武術は日本舞踊より繊細である」などの先生のお言葉を想起いたしました。先生のご指導は常に繋がっていて、10年も20年も前にいただいたお言葉に今ようやく気づくことも多々あります。本当にスケールの大きい、どこまでも深い真理をご指導いただいていると毎回感じています。   子供たちのように本来はすぐに見て真似る、映すことができれば、このような言葉の例えすら必要ないのですが、なかなか進歩しない私たちのためにいつもわかりやすい例を用いて先生はご指導くださっています。その瞬時の発想と例えの豊富さ、深さにいつも驚き、大変感服いたしております。   稽古の量をこなしていなければ身体に記憶することができないともご指導いただきました。今回の合宿では自身の稽古不足が完全に露呈した形となりました。また一人稽古の方向性も拓治師範にご指導いただき気づきに繋がりました。   正しい稽古をたくさん行う。こんなシンプルな上達プロセスすら踏めていなかった自分の至らなさ。分解組手に出ていた身体の癖、しゃくりなどについては猛省いたしました。これからはより一人稽古に励み、ひたすら自身と向き合いたいと思います。   先生や師範はもちろん先輩方と身体を通じて一触させていただき、あまりの違いに落胆する気持ちもありましたが、それ以上に前を向いて突き進むエネルギーを合宿という特別な場でいただきました。日常に戻っても通常の稽古後とはあきらかに違い、大きく背中を押してもらっているような感覚でいます。   私自身が一人革命によって大きく変化し、周囲により多くの影響を与えられるような人間を目指し、日々精進して参ります。   2日間のご指導ありがとうございました。

 

■ジョシュ・ドラックマン シアトル支部長 宇城先生   4月の合宿では宇城先生や先輩方に熱心に指導していただきました。このような機会をいただき、宇城先生には大変感謝しています。   私がこの合宿で得たものは、まず、宇城先生から直接、関節、特に肘と肩を十分に伸ばすということをご指導いただいたことです。自分の突きは押し突きで、根本的に変える必要があることがはっきり分かりました。自由組手の機会があった時、きちんとしたことが何にもできなかったことも自分の突きの限界をはっきりと示しています。   さらに、自分の基本の欠点が、私の空手発展の他の側面をいかに妨げているかを示してくれました。これを自覚できたのは力強い経験でした。先生が教えてくださった、肘を伸ばすための打撃の稽古法はとても役に立っています。自分がどれだけ余分な筋力を使っていたかを感じることができ、自分の突きが以前よりも長く、速く、内側から出るようになったことを感じています。   2つ目の大きな収穫は、天の型や地の型を「癖」をなくして行うことの重要性です。今まで自分がやってきたことが、本当に中途半端だったことがよく分かりました。とても興味深かったのは受けの動作の際、反対側の腕を使って守るという動きを追加した方が、動きをショートカットするよりも速いということです。これは私にとって深い気づきでした。関節を伸ばす稽古は、ここにもつながっていて、私の天の型と地の型を改善するのに役立つと信じています。   土曜日の夕食の時、宇城先生に腕受けとゼロ化を作ることに焦点を当てたナイファンチンの正しいやり方をご指導いただきました。この感覚とその瞬間の刷り込みは、私にとって本当に特別なものでした。このような教えを直接受けることができたことを深く感謝します。 その時の感覚や雰囲気を思い出し、再現することを日々の稽古に取り組んでいます。また、隣に座っていた大滝さんに、サンチンやゼロ化のための正確な型をご指導されている姿も印象に残っています。   先生の厳しさ、気配りには本当に感謝しています。日曜日の懇親会で、最後に先生が私に仰った「ジョシュのことを信頼し、成長すると思っているからこそ厳しくしている」という言葉は、私にとってとても大きな意味を持ちました。先生と空手に対し、より学ぶ姿勢が深まった気がします。   今回の経験から、私は日々の稽古で先生に指摘された部分を改善することと、先生の言葉や教えの裏にあるものを発見することに重点を置いています。先生が指摘されたことはなぜなのか、それは何を意味するのか、何を可能にするのか、何を明らかにするのか、日々の稽古を通して考えていくことが、私の自己発見と成長の次のステップになると思っています。この挑戦が楽しみです。   最後に榎本師範と三品さんには、型と分解について多くあのフィードバックをいただき、感謝の意を表したいと思います。今回の合宿で私は多くの重要な学びと、さらなる発展や改善のための気づきをいただいて帰ってきました。   よろしくお願いいたします。

 

■ジーナ・ドラックマン シアトル支部

宇城先生   この春の東京合宿で、宇城先生が私たちの空手は、楽譜の音符をきちんと知らないまま音楽を演奏するようなものだと仰いました。私自身の中で宇城空手の基本が十分に備わっていないという意味だと理解します。   皆で基本を稽古している際、周りのスピードについていけていないことと、自分の動きが、時に混乱していたことに気づきました。これは自分の中で基本が習慣になるほど十分に稽古をしていなかったからだと思います。これを踏まえて、基本の回数と精度を上げて稽古をするようになりました。これによって自分の空手がより音符を踏まえたものになることを願っています。   今回の合宿での最大の気づきは自分が稽古について己の脳に頼っているということです。これは自分の基本についてのレベルともつながっていると思います。まだ正しい姿勢を維持して自分自身をきちんと保てば、相手との接点がより早く感じられ、空手ができるということを信じきれていないのだと思います。   これは分解の際にとても顕著でした。自分が相手に技をかけることに集中しており、自分の中で何が起きているかについて集中していませんでした。何人かの人に腕を掴んでもらって崩そうとした際、先生は私が頭を使っていて身体を使っていないと指摘されました。そしてその指摘をされた瞬間、私は姿勢を正して相手を崩すことができました。   また分解の際、相手が攻撃する前の自分の初動により注意を払うようになりました。私が相手を迎え入れる準備があり、自分を守ろうと思っていれば相手との衝突が減り、より調和が生まれます。結果として動きがより簡単に、かつ効果的になります。より稽古を重ねることでこの変化がきちんと身に付くのではと願っています。   もう一つ先生から直接ご指導いただいたのは、私の重心が右足にあると右腰が出っ張ってしまうという点です。これまでも意識して直そうとしてきましたが、他のことに気を取られると姿勢の癖がすぐに戻ってきます。正しい姿勢と自分の癖についてより違いを感じられるよう努めています。これによって部分体的な修正ではなく、統一体的な修正ができるようになることを目指します。   宇城先生がこれまでずっと教えてくれていたこと、「私からあなたへ、あなたから私へ、一緒に」について部分的にはと言えようやく理解が追いつくようになるまでこれほど時間がかかってしまったことを申し訳なく思います。   先生から指導いただく度に、先生が我々が成長できるよう機会を与えてくださり、大変忍耐強く見守ってくださることにより一層感謝の気持ちが強くなります。   よろしくお願いいたします。

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