東京実践塾 感想文 2023年4月~ 2023年6月
■ Y.N 会社員 東京
いつもご指導賜り、誠にありがとうございます。
5月の稽古で先生にサンチンの構えから両腕受けまでの動きをご指導いただきました。腰が入っていないことをご指摘いただき改めてやってみた時、先生から「できている」といわれ、そのまま大掛かりな検証までさせていただきました。何人、何十人の方々に腕を掴まれながらも倒す事ができたり、他の方が腕を上げる時の力が入った瞬間について、先生と答え合わせをさせていただけたことで、生まれて初めて「自信」とは何かを知ることができました。
この瞬間までの自分は先生の教えを何とかものにしたいと自分なりの稽古を続けてきましたが「これで良いのだ」と確信できることがなく、常に迷いを抱えたままの日々でした。もちろん基準は先生なのですが、先生という物差しが自分の外側にある状態で、型においても日常においても自分の中に確固たる答えがなく常に「先生はこう言っていた」という表面的な測りで判断するばかりであり言葉の解釈を中心とした状態でした。
ですが、あの日、あの時を境に先生の仰る言葉が自分の身体に重なったのです。それは同時に自分がやってきた日々の稽古が間違いなく先生の歩まれている道から外れていなかったのだという確信であり、揺るぎようのない答えが自分の中に確立した瞬間でした。
それからの日々は劇的に色々なものの見方が変わりました。全てにおいての判断基準が内側にできたため、迷うということがなくなってきました。また考えている自分に気づくことも増え始めその都度「あっ今考えている、これは違うな」と感じるようになりました。それと同時に先生の凄さを今までとはまったく違う次元で、まさに心身で感じるようになってきました。こうした変化は常に希望を与えてくれます。そして、見え始めた深さに日々驚くことばかりです。
これからも先生の背中をしっかりと捉え続け、一歩一歩を着実に進んで参ります。今後とも何卒、ご指導のほど宜しくお願い致します。
■ N.S 会社員 神奈川
いつも日頃の貴重なご指導誠にありがとうございます。
今回の稽古で一番衝撃的な稽古は、ナイフの刃の部分を握っての実践でした。一人が何人もの塾生に二の腕を掴まれ身動きが取れない状況のなか、先生がナイフの刃の方を持って握るように指示され、それまで全く身動きが取れていなかった塾生が瞬時に掴んでいる塾生たちを動かし倒していました。先生がいつも仰る「真剣さ」という意味をあらためて教えてくださったように感じました。
身動きが取れない状況に陥ったら「どうしたら…」と私達はすぐに頭で考えてしまいます。普段の自分は、大きな負荷が掛かったとき身体が答えを導き出してくれるあり方ではなく、すぐに頭が働くあり方になっていることを痛感致しました。「いざ」という時、「まさか」という思いもかけない出来事に遭遇した際、自分の身を守ってくれるのは身体をベースにしたあり方であること。
しかし普段の日常が平和ボケした頭が働くあり方で過ごしていれば、当然「いざ」という時も自分の身を守ることはできません。頭に行くと現実を直視できていない、バーチャルな自分へ逃げ込む身体となっているのだと思います。
そのバーチャルへ逃げ込む(すぐに頭を働かせる)身体は閉じている自分であり、自分中心の病気でもあり、平和ボケした自分自身を痛感致しました。それでは実際に自分の身を守ることは出来ませんし今に答えを導き出し、希望ある未来を切り開いていくことはできません。頭で考えるあり方は身体が隙だらけとなり、時空に何の影響も与えることができない孤立した状態です。
なぜなら先生のご著書を普段から鞄の中や自分の近くに触れているだけで身体は勝手に変化し、理屈抜きに強くなるからです。また先生のご著書を車に入れており交通事故に巻き込まれ、大事故にも関わらず自分と車内にいた家族も無傷で救われた人を身近で知っております。
今の常識で考えたら「奇跡」の一言で片付けられてしまうかも知れませんし、たまたま当たりどころが良かったなどと後から屁理屈を付け足すかも知れません。しかしそこには確実に宇城先生のエネルギーによって守られている事実があることを私達塾生は先生に日頃の次元の違う稽古を通して理屈抜きに学ばせて頂いております。先生のエネルギー、空気が守ってくれること。
従来の力とは、比較にならないほどの次元の違うエネルギーの凄さ。「生きている」から「生かされている」ことに先生は気づきを与えてくださり、また導いてくださいます。「自分さえ…」、「俺は…」と我を出すことがいかに自分を弱くし、実際に身体が弱くなるかを実践の稽古で先生は教えてくださいます。
本来、人類誕生から今に至るまで人間が生き残ることができたのは頭を中心に働かせた人間では不可能なことであると感じました。現代は頭を中心にバーチャルでもそれなりに生きていくことができると大きな勘違いを起こしている。しかし現実的に未来に希望を抱き、現代を生き抜く術は身体にあり、先生の教えにしかありません。だからこそ平和ボケした身体から宇城空手を通して真剣さへ向かう自身の心のあり方、学ぶ姿勢が大切なのだとあらためて思いました。
月に一度の先生を目の前にした実践塾での稽古の場の緊張感、真剣さを考えたら自然と日々の仕事や日常に対する不安が消えていきました。自分がどれほど頭で生きているかを感じました。頭で生きる限り今に答えを導き出すことは不可能です。なぜならエネルギーがないからです。
型も稽古する時もただ何となくやるのではなくその型を行うことによって身体が強くなっているか、軽くなっているか、重くなっているかの認識を持って稽古にあたらなくてはならないかと思います。なんの認識もないままでは自分の目盛りが荒く、型もガサツなものとなってしまいます。
今という時代まで生き抜いてきた術、今後の今、未来を生き抜く術は身体にあり、先生は身体に聞けと仰います。真剣さがなければ身体との会話は生まれず、型を稽古しても型からくる力の認識を得られないのかもしれません。
日常から24時間稽古の姿勢を持ち、宇城空手を通して真剣さに向かって参りたいと思います。
この度も貴重な稽古でのご指導誠にありがとうございました。
今後とも宜しくお願い申し上げます。
■ K.S 会社員 東京
宇城先生、いつも実践塾でのご指導ありがとうございます。
稽古の度に内容が非常に濃く、新鮮さを感じ、進化し続けていることをすごく感じています。そんな素晴らしい稽古に合わせて自身の変化スピードも加速させていきたいと常々思っております。
最近の稽古では一触の有り難さを強く感じます。日々一人稽古をしているといつの間にか過去の自分、癖、我が出てきますが、月に一度実践塾にて稽古いただくことで方向性、道筋を示していただいています。特に先生に触れさせていただいた感覚は身体に残り、何事にも変え難いものであると思っています。絶対に真似のできない境地を、その頂を何度も惜しみなく先生は見せてくださっています。実際に実践で示してくださっています。
また気のご指導によってわれわれもあり得ない世界を体感させていただいています。他に類を見ない圧倒的なスケールをいつも先生のご指導から感じます。 一方、稽古にていただいたエネルギーや感覚は日常に戻ると徐々に失われていくように感じます。そしてまた月に一度実践塾でご指導いただくとの繰り返しですが、確実に私の身体の中での変化を感じています。
「身体に記憶させる」難しさを感じつつも、生涯かけて学びたい、身につけたい、完成させたいとの思いが心の中で増し続けてきています。
6月の稽古では武術は刀の柄ではなく刃を握って稽古するぐらいの真剣さがないといけないとご指導いただきました。1対3の腕相撲では始めは全く動かなかったのですが、刃を握ると一気に倒されました。初めて見た時には、見ているだけで緊張感が身体に走りました。すべてを見えている先生からは当たり前の世界だと思いますが、それだけ私の日頃の稽古や日常があまい証拠だと思います。
先生は常にそのような心構えで空手、居合、仕事と想像できないような多くのことを成し遂げられたのだと思うと反省ばかりです。平和ボケした社会において自身の身体や生き方までぼやけてきているように思います。そんなことに気づかせてくださる機会は先生のご指導の他にはありません。
これからの時代はますます混迷をしていくことと思います。そんな時こそ太陽のようにいつも見守りエネルギーをくださる先生や絶対的な哲学と実践が内包されている宇城空手が不可欠になる時代だと思っています。
稽古時に視聴した海外塾生の方の型動画が大変印象に残っています。年に数度しか先生には直接ご指導いただけない中、先生はよく稽古していると仰っていました。「近くとて油断するな。梅の葉花の匂い知らず」とのお言葉どおり機会を失ってから気づくのではなく、たった一度の先生のご指導も無駄にしない、その為には日頃の一人稽古がより大切になると思います。実践塾は日頃の稽古が確認できる場であるということを心してこれからも臨みたいと思います。
このような時代に生をいただいた意味、そして宇城先生というかけがえのない師に学ばせていただいている意味を大切にしながら今後とも精進して参ります。
ご指導ありがとうございました。 引き続きどうぞよろしくお願い申し上げます。
■ T.K 会社員 千葉
宇城先生、実践塾での稽古、ご指導どうもありがとうございました。
この3ヶ月ではたくさんのことを学ばせて頂きましたが、とくに5月の稽古は私にとって大変貴重な経験となりました。
この時の稽古では、サンチンで多人数のスクラムを押す検証、仰向けに寝た状態から上に跨った人を投げる稽古、立って襟を掴まれた状態から掴んでいる人を投げる稽古などを通じ、変化して先に進むことの大切さを体験によって学ばせて頂きました。
とくに投げる稽古では、普通では何をどう頑張っても絶対にできないような状況(体勢や体格差、人数など)で、自分なりにいろいろ試してみましたが、やはり全く投げることができず、できる気もしませんでした。
しかし、先生から、「魂のようなものがそこに残っている。何かを引きずっている。それを捨てて先に行かなければできない。おそらく仕事でもそうだろう」とのご指導を頂き、考える余裕がなくなるくらい繰り返すうちに、ようやく相手
が動き、どうにか投げることができました。理屈のようなものは忘れていました。投げてから後を振り返えり、相手の人に連なった人数を見て驚くとともに、これが力ではないということを身をもって理解しました。
またこの稽古では、最後まで投げ切ることの大切さを教えて頂きました。先生から「1回で投げられなければ2回、3回と、回転の捩れを戻し、しかし切らずにしつこく続ければいつかかる」と指導して頂き、スムーズにいかなくとも諦めずに投げ続けることの大切さを学びました。この体験がなければ、少しやってできなければ諦める癖がついていたと思います。
稽古の後も、先生から稽古中に繰り返しかけて頂いた、「何かを引きずっている。それを捨てて先に行かなければできない」との言葉が自分の中に何度も浮かびました。
正直なところ、自分が何を捨てるべきなのか今も分からないのですが、「不必要なものを捨て、先に行くことで変化しなければならない。今の私には先に行くために変化することが必要だ」という意味ではないかと今は感じています。
先生は折りに触れ、「進歩・成長とは変化すること、変化するとは深さを知る事、深さを知るとは謙虚になること」、或いは「唯一生き残るのは変化できるものである」と仰っておられます。また、年初には、「今年は二進法、やるかやらないかの二択であり、言い訳はしない。どうしようか?では駄目だ」とも仰っておられました。
私の理解が正しいかは分かりませんが、5月の稽古での先生のご指導は「今のままでは先が無いと気付いたなら行動しないのは現状維持であり、それでは生き残れない。気付いたら変化し、変化するスピードをもっと早めなければこれからの時代には生き残れない」とのご指摘だと思っております。
これからは、変化が正しいか間違っているかを気にせず、何かに気付いたら考える前に行動しようと思います。このようなことに気付けたのは、稽古での投げという実体験を通じて先生にご指導頂いたからだと思います。今後は稽古で気付いたことを日常に落とし込み、自分のものにできるよう精進致します。
素晴らしい稽古をどうもありがとうございました。これからもご指導の程、宜しくお願い申し上げます。
■ F.S 会社員 埼玉
宇城先生、毎月のご指導有難うございます。
特に今月の稽古では、真剣になるという事で塾生に刃物の刃の方を握らせ通常では変化が起こらないが、刃物の刃の方を握らせる場合に技が掛かるという事を間近で見させていただきました。
先生が普段の生活より、“真面目では無く、真剣でなくてはダメだ“と仰っている意味が当時は自分自身の中では違いがわかっていなかったのですが今回の稽古でそれがよく分かりました。人は追い詰められえると鍛冶場の馬鹿力ということがありますが、この様に身体が危機感を感じるとこうなるものかと感じました。
今回も先生の著書の中でも、ガンジーの言葉の引用で「明日死ぬが如く生きなさい、永遠に生きるが如く勉強しなさい」との言葉が載っておりましたが、先生が常々仰っている「修行の場は日常生活にある」とは、この事だと感じました。
いくら空手の稽古のみをしていても、通常の生活や仕事の中で、真剣に向き合い仕事をする事。どうしても仕事は蛇足でやってしまうところがありますが、そういった考え方が結果として空手の技にも出ており使えないのだと感じました。そこは背水の陣とは言いませんが、まさに明日死ぬつもりで日々を真剣に生きていけ。そして毎日の様に自らが勉強をしていけ。という先生が実践なさっている事に中に、何か力が出てくるものだと感じました。
今回この文章を見た時に、やはり今の自分の考え方ではいけないのだとも思いました。毎日の仕事への向き合い方も変わりました。
また、先日の稽古の時には、直接ご指導も頂きました。支え腕受けと回し取りの箇所でした。「力が入っている」とのご指摘。「相手に何かしてやろうという自分自身の気持ち」が出ていたのだと思います。中々力が抜けずにいます。今回の様なヒントも頂いて、日常の仕事の向き合い方も変えていかなければその中から真剣さというものは作られていかないのだと感じます。
蛇足にならぬ様、自分自身を見つめ直して普段の生活をしなかれば成らないと思いました。
まだまだ未熟でありますが、今後ともご指導を宜しくお願い致します。
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