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第6回淡路黒帯合同合宿レポート(2023年8月19日-20日)

宇城館長より、今回の合宿では「中心」を作ることをテーマとして型、分解組手を行うと話があった。「中心」は、武術の基本姿勢として最も重要で、点でもあり、線でもあることを、身体を通じて知るために様々な検証を行なった。



中心を取る稽古
中心を取る稽古

道場の正面に飾られている重さ10kgの勾玉(マガダマ)型の置物を胸に抱いて中心を取る稽古が行われた。相手が掴みに来くると勢いに押されてしまう塾生も、勾玉を胸にかかえることで相手の攻撃を左右に簡単に外すことができた(虚の術)。


勾玉を利用した稽古
勾玉を利用した稽古

先ず中心を作る。中心ができればその度合いによって虚の術他、ゼロ化への道が開け、そこに向かうにも外面から内面への変化が重要であり、同時にエネルギーが生じるのも内面によるもので、エネルギーを生じるためには「我」を捨てることであると話があった。我を捨てることで人間として持っている本来の力、エネルギーを発揮できる。筋トレで鍛えた力ではない重力、エネルギーを活用するには自分の中の我を取り除くことが不可欠であることを検証した。



無力化からの重力(エネルギー)を使った投げ
無力化からの重力・エネルギーを使った投げ

全員を瞬時に崩す
全員を瞬時に崩す


基本中の基本ともいえる「サンチン」と「ナイファンチン」の型を繰り毎日、返し稽古することで「中心」と「重さ」を自分のものにすることが不可欠だと話された。



型の稽古
型の稽古

懇親会では、稽古の延長として館長、榎本師範、拓治師範と話しできる非常に貴重な機会であった。楽しい中にも厳しさもある懇親会は場所を変えながら深夜まで続いた。



淡路島の割烹料理店で1次会は行われた
淡路島の割烹料理店で1次会は行われた

合宿期間中に塾生は館長、榎本師範、拓治師範から大きなエネルギーを受け、宇城空手の奥深さを改めて感じた。これからさらに塾生一人一人が今取り組まなければならない課題を学んだ。塾生たちはこの合宿で充電したエネルギーを明日からの一人稽古に生かすことを誓って帰路についた。



集合写真
集合写真

 

参加者感想文

 

■ Y.F 自営業 静岡


 この度は淡路島総本部道場の黒帯合宿に参加させて頂き、誠にありがとうございました。自分は道着を着ての稽古は初めてだったので、日本武術の聖地である、創心館淡路島道場で稽古できる事に、ひとしおの思いがありました。


 稽古に参加させて頂いて、足裏が物凄く床面にくっついて痛い位で、これも普段の体育館での稽古ではないくらいの感覚でした。


 型を通した稽古では「理合いが無い」というお言葉があり、やはり身体と内面の一致がなければ理合いも出てこないと思い、自分の稽古不足がよく分かりました。榎本師範がサンチンで相手をゼロ化した状態なども見せて頂くと、空気が一体になるというか、空間に集中力のような澄んだ空気が生まれているように思いました。これも身体で、できている。だから相手を無力化できるのだと。圧倒的に自分は型稽古、それを通して身体に刻むという事が出来ていないのだという事が感じられました。


 拳の握りも、自分は全く疎かにしていたと思いました。またサンチンが小さいからナイファンチンの腕受け、クーサンクーの腕受けや諸手腕受け、それが小さくなるのだと。小さいという事はエネルギーが出ません。


 今回、重力、重さを身に付けるという事でしたが、自分の中にそのエネルギーを蓄えなければならない。それには正しい型、姿勢、などの要素で、それだけのエネルギーを受け留めておく事のできる器を自らに創らなければならないと思います。


 やはり独りよがりの稽古になってはいけない、そこを如何に自分で気づいていけるか。習う、教えてもらう、という姿勢では上達はしないと思います。学ぶと習う、はまた違い、学ぶ力が身に付けば、仮に空手じゃなくても、仕事でも自分のやりたい事でも、自らの力で一を聞いてそれを百にも万にもできるようになると思います。


 それでも気づけない事があり、それを師に指摘してもらう。こんなに有難い事はありません。そこを直せば、また新たな自分、エネルギーが入りこれまでよりも大きな自分に近づけるのですから。


 先生にご指導いただくにしても、ある一定のレベルに来ていなければ、当然、先生も言う事が出来ないと思います。直すところがあり過ぎて、どこを直せばいいのか、分からない、という事だと思います。この稽古をやらずして、先生に御指導を頂くのを待っているのは、傲慢不遜でしかないと思います。


 これは自分たちが如何にぼーっとした身体で生きている、自らの人生の大事な時間を無駄にしているかだと思います。拳の握りを御指導頂き、サンチンの型をしたところ、足裏まで今までよりも重力がかかったかのようにバキバキ、とした感覚がありました。身体の隅々まで、とはこのような事かと。無論、まだまだですが、今までは本当に、ボヤっとしていたなと。


 このような気づきがこれからいくらでもあるのだと。だから一つの事で留まっているような時間など無いのだと。身体がそのような感覚になれば、日常、仕事、人間関係でも、変化が出るのは必定だと感じます。このような気づきを得られる事は他には無いと思います。


 今回、参加させて頂いて、更に宇城空手の世界の凄さ、深遠さの一端を感じさせて頂き、これから、今まで以上に心して学んでいかなければと思いました。


 素晴らしい機会をお与え頂き、誠にありがとうございました。

 引き続き、御指導、御鞭撻の程、何卒宜しくお願い申し上げます。


 

■ T.K 自営業 神奈川


 宇城先生、この度も淡路島本部道場での合宿を開催していただきありがとうございました。今年も本部道場に足を運べたことを大変嬉しく思っております。


 今回の合宿では、土台やエネルギーとはいかなるものかということを学びました。今までも再三ご指導いただいたことではありますが、本部道場にてのご指導はより身体に響くものでありました。


 道場正面に置いてある置物を抱きかかえることで身体の変化を検証させていただきました。エネルギーのある置物を抱えることで相対する相手の挙動を感じその後の動きが見えました。それ以前に相手との「間」がクリアと言いますか柔らかい「間」となっていました。それは先生に「気」をかけられた時やパートナーと手を繋ぎ回転をし先生がその回転にスピードを与えた後の変化による「間」と同じものでした。道場の置物を抱きかかえることで同じ変化をしている・・・最初は戸惑いましたがエネルギーのある置物を何度か抱えているうちに「中心」という「土台」が出来て様々なことが可能となっているということを先生の言葉と共に身体にも今までにない実感が伴いました。


 置物を見ているとアンバランスな形状でありながら、地球の才差系を伴った回転と重力からくる形状のようにも見え、何とも言えない安定感を感じます。地球の「理」に則した形状なのかなと思うことで今まで先生から聞いてきた言葉と繋がる思いにもなりました。先生からは宇宙の原理原則に則した御指導を頂いております。それは先生が日々検証の中から導き出した答えがそこであったということであり、宇宙の原理原則という知識に当てはめたわけではないうことを踏まえておかなければなりません。


 今回の合宿でもお話がありましたが、以前に五月女先生が、様々な武術を指に例え、「宇城先生は五本の指の出元である手の部分を教えておられる」と話されたことがありました。今回の合宿で、その手の部分というのは、これほどまでに深く、強いエネルギーであるということを実感しました。それは、置物が・・・と言うことではなく、宇宙のエネルギーを取り込んでいる先生がいて、その先生がそのエネルギーを基盤に作られた本部道場という空間内であったからこその変化であり、深く実感もできたのであると思います。


 今まで何度も聞いてきたことなのに、あまりに壮大、かつ高次元なレベルの実感に感動するとともに、今までの感度の鈍さに反省もする思いでした。そのような空間で見る先生の型はあまりに自然体でした。反対にその後に行った型の稽古では、いかに自分が作ってしまっているのか、そして雑であるということを今まで以上に痛感する時間でもありました。


 今回の稽古の冒頭に、自分達の土台のなさや神道における「鏡(かがみ)」の「我(が)」を取ることで「かみ」となるということを説明していただきましたが、その解決は型の稽古に集約されています。型でしか深く染み付いたものは治せないと言うことを理解することで、先生の仰る通り型は本当に人生における財産だなと、これも今まで以上に感動し実感するものでした。


 とは言え、エネルギーを発動するのは「型」ではなく、宇城空手の「型」でしかないのです。唯一無二のことを学べている。しかも、本部道場で学べている。どういうことなのかと言うことを肝に銘じて、自分の型と向き合って参ります。先にも書きましたように、今回の本部道場で学んだことはシンプルかつ深く、壮大で困惑してしまう時間もありました。今回は初参加の方も多く、そのような雰囲気の際は度々話を聞く時間に当てて頂くことが多くありました。


 先生の気遣いに甘えてばかりではありますが、関東までの帰路は何とも言えない満たされた感覚でした。幸福感のみならず責任感にも転換して精進したく思います。今回も次元の高いご指導、本当にありがとうございました。


 

■ H.O 会社員 福島


 この度は聖地淡路総本部道場での稽古に参加させていただき誠にありがとうございます。


 清掃で訪れたことはあっても、あの道場で空手の稽古ができる日が来るとは思ってもおりませんでした。まさに夢のような時間でしたが、自分自身空手で何もできていないことを改めて認識した厳しい時間でもありました。


 宇城先生や両師範のように、空手を通して0から1のエネルギーを創出できていない。大切な要素として、重さや中心、丁寧な挙動などをお示しいただき、目で見て違いを感じても自身の身体で再現できない。いったいこの間に何が足りないのか、頭で考えてもさっぱりわかりません。仮に頭で考え続けたら、答えがなくて精神を病むか、答えを作りたくてパクリになるか、いずれにせよ宇城空手の本質からは乖離し、人として正しく生きることはできず、自身も周囲も不幸にしてしまうと思います。


 しかし、宇城先生に気を通していただくとできるという事実、大人はできないが子どもはできるという事実は、我々の身体はできる状況にあるのに、生命体として本来伴っているはずのエネルギーが欠落しているのだと思います。この原因は教育やスポーツなど、我々が置かれてきた社会環境にあるのだと思いますが、自身の過去を今この時に否定し続けても自虐に陥るだけですので、今この時から未来に向けて己がどう生きるか、自分自身ばかりではなく家族を、職場を、地域をどうやってより方向に変えていくかという社会実践を、宇城空手の修行と一致させて行わなければならないと感じました。


 言葉を弄するだけでなんとかなる政治や仕事、この現代社会のなんとレベルの低いことか。しかし、決してあきらめず、宇城先生の指し示す人間の本当の力「調和」を希望とし、言葉や行動に心を伴わせ日々実践して参ります。


 ありがとうございました。


 

■ S.M 自営業 静岡


この度は、淡路黒帯合宿に参加させて頂き、誠にありがとうございました。


 本部道場に伺うのは初めてでしたが、一生残る貴重な経験を頂いたことを感じております。しかしまた、自分がその貴重なご指導を受け取る力が無いことをも思い知らされた合宿となりました。


 まず、先生の両師範へのご指導を目の当たりにして、体育館ではなく、道場での稽古の厳しさに圧倒される思いでおりました。勾玉の形をした重さのある物を抱くことでの色々な検証では、不思議なことではありましたが、自然と腑に落ちるように感じておりました。「これが無くても、自分にこういう重さが出てこなければならない」との先生のご指導が、徳川家康の「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」の言葉の通りであることをお教え頂きました。護る、ということの大切さを改めて感じております。


 型の稽古では、セイサンの型で自分の悪い所が一番出てしまっていたことを後になって気づかされました。足刀での蹴りを、板でも割るように蹴っておりました。その前に、テコンドーやフルコン、全空連や中国武術など各種の映像を先生がご用意下さって、こういったものとの違いを改めて示して頂いておりながら、衝突の本性が出てしまっておりました。自分がずっとこういう型をやっていたということに恥いるばかりです。先生が師範に、蹴るのではなくエネルギーであることを示されたご指導をされていたことと、また「人を足蹴にする」ことの非道さを話されていたことを思い出し、ようやく思い至りました。


 また、自分の型では空間には全く作用することが無く、改めて自分勝手に、空間とは関係なく型をやっていたことを思い知らされました。いつの間にか、また型に自分の解釈を入れ始めていたことにも気づかされました。中心がずれないように、などと意識を働かせるのが一番いけないのだと思いました。型で我をとってゆく、という教えを長く受けていることのありがたさを改めて感じております。


 本来の神道は鏡を拝するもので、それは鏡(かがみ)から我(が)を抜くことで神(かみ)となる、ということをお教え頂きました。長く、武術は無宗教の宗教、と繰り返しお教え頂いて参りましたことの大切さを感じております。


 先生が、拳の締めと、刀の手の内の両方を稽古する意味を説明されながら、目の前でやって見せて下さっている、この貴重な稽古を自分には受け取る力が無い。見る力が無い。まさしく、我が邪魔をしている。この現実を噛み締め、淡路で頂いたお教えを活かせるよう、型の稽古に励みたいと思います。


 本当に貴重なご指導をありがとうございました。


 

■ K.M 会社員 大阪

 宇城先生、淡路黒帯合宿に参加させて頂きありがとうございました。心から感謝申し上げます。


 聖地である淡路本部道場にての稽古はとても幸せであっという間に時間がたってしまいました。また、東京実践塾や全国の塾生の方との交流も私にとってはとても新鮮で刺激になりました。大阪実践塾の稽古の時とは違い、塾生全体が先生に吸い込まれ異次元の時空で引き込まれていく感じを強く感じ圧倒されました。先生と道場が一体になっていて言葉では表現出来ない感覚が身体に残ります。この感覚を生命に刻み、日常に活かしていきたいと思います。


 合宿の冒頭に先生から中心をつくるにはまず、自分自身が重たくなる。自分の中にエネルギーを取り込んでいく。その事を分かりやすく、ご指導頂きました。道場の神前の置物を持つと中心が出来、相手の攻撃が見える。相手も攻撃出来ない状況になっていました。持たせて頂いた時に赤ちゃんを抱いている感覚になりました。そこには、持ってるだけで変わる。不思議なんですが、柔らかい感じが見てると伝わってきます。


 それを自分の中につくっていきたいと思います。その稽古が日常の三戦、ナイファンチンの型であるとご指導頂きました。改めて三戦の型の凄さ、奥深さを見せて頂き感謝しかありません。先生から何度も型からのエネルギーを様々な角度で見せて頂きましたが取り込めていない自分に気づかせて頂き、拳のにぎり、三戦の最初の腕を出していく時に肩を意識して、全体をつないでいく等、全く繋がらず、日常の一人稽古の際、あまりにも雑に型をやってる事に気づかせて頂きました。


 それを変えるには、前提として、真剣さ、学ぶ姿勢、覚悟がないと全く自分にエネルギーが入ってこないと感じました。そこを日常の行動に繋げて行かないと、家族や職場、また子供達を守ることなど到底出来ない事を改めて気づかせて頂く合宿となりました。ありがとうございました。


 先生から何度もつくらない。自然体でないと調和しない。子供の踊ってる無邪気な映像を見せて頂き、周りのみんなを笑顔にする。可愛らしさ。この人間として、周りの人に影響を与えていく。宇城空手はこのことを教えて頂いていると強く感じました。


 そして先生は太陽のように私たちにエネルギーを注入し、写してくださいます。その先生からのエネルギーを自分に取り込むにはもっともっと素直に心からさらけ出し覚悟して日常を行ききる事であると感じます。今、この瞬間から未来に向かって日常で、寄り添い実践し精進し参ります。


 今後ともご指導の程、よろしくお願い致します。

 ありがとうございました。


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