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第3回宇城教師塾レポート

去る、11月14日(火)、奈良市ならまちセンターにて第3回宇城教師塾が開催され、学校教員を中心に約40名が集まり宇城塾長の気を体験した。




 スタート時刻よりも早く始まった検証に宇城塾長の教師に対する期待をうかがうことができた。 5人で持った机を宇城塾長にぶつけようとするが、宇城塾長は5人に先を取ることで5人は机を動かすことができない。また、宇城塾長は突っ込んでくる机を自在に方向移動させることができる。塾生はあり得ない力を目の当たりにし、瞬時に会場が宇城塾長の気に包まれ教師塾がスタートした。


 冒頭、日本の産業が海外に遅れをとっている現状の話に続き、「前例のない時代に過去の延長線上に正解はない」「見えないものに目を向ける必要がある」「正解ありきの教育ではなく、自ら問いを立てる教育」など日本の教育に必要なことを教えていただいた。

 さらに、学校では「心」を育てる本当の教育が必要であり、そのために教員自身が心を磨く、自分さえという我欲を捨て、寄り添う心を持つことが必要であるとの講義が続いた。


 後半では、講義の内容を、数々の実証で体験させていただいた。例えば、多数が持つ帯を一人で引っ張る検証では、1人対多数の綱引きをすると、当然、対立となり1人で多数を引くことは出来ない。さらに、帯をゆるめても潜在的な欲が相手に伝わり対立の間となる。しかし、一度相手側に立ち、相手と視線を同じにしたり、教室の前で一礼すると相手との調和が生まれ、間が変わり1人でも多数の帯を引っ張ることができる。このような実証を繰り返すことで、改めて心の在り方を真に知る事が出来た。


 最後に、教員としての魅力、塾生への期待を語っていただき、愛のある温かい雰囲気に包まれると同時にやる気に満ちて塾生は帰路につくことができた。



列と調和して動かすを実践する塾長
列と調和して動かすを実践する塾長
相手と調和することで大勢を動かすことができるを体験
相手と調和することで大勢を動かすことができるを体験


 

感想文

 

■京都 中学校 男性 40代

答えを追い求める日本の教育。教育の概念自体がこの時代にもう取り残されてしまっていること。その結果昔は家電産業でトップを走っていた日本がもうその地位にはいないことが、今の教育の行き詰まりを示している。今まで通りの答えを追い求める教育ではこれからの社会の中で世界と勝負して行くのは到底できない。しかし、ウェッジにあるように、教える以外の教育の仕方を我々教師は知らない。県を挙げて行われる研修。問いについてや、主体的深い学び。言葉はあるけど実態は無く、無から有を問う時間も猶予もない。そんなことはできないと身体から電波が出ている。その時点でどんな教育ができるのか、そこに希望は湧いてこない。何より今日の講習会のような未知の体験、できないことができるというような有りえない学びを身体がすることは皆無である。改めてここで学べること、ここに来て学べる幸せを感じました。宇城先生からの学びはそこで思考停止になってほらできないでしょう。では無い。その中で真剣に時間を止めて真摯にその課題と向き合うこと。そして何より本質を突き詰めて行けば、やるべきことはある。それが無い。見えてこないのは勉強不足。先生から学ばせて頂き感じる所です。今日の講習会は身体で、この目で見て体験ができる貴重な時間でした。

手と机がひっつくこと、先生の本と知識で書いた本では、出ている波動や気が全く違うこと。それによって周りに様々な変化を生むこと。それは我々人間も同じで日常で我々教師は様々な波動を出していて、それを当然我々大人より感度もエネルギーも高い生徒に影響を与え、その中で様々な気を使ってもらったり、呆れられたり、そしてまた、教師という資格プライドに固執し、対立を生み出し、生徒のエネルギーを正しい方向に導けない。その反対に同じ気持ちになり、同じ方向をこちらが見ることで全く違う空気が生まれる。本当のことや事実を勉強しなければ当然分からない。しかし、このような状態で教壇に立ち生徒に向き合っているのも事実で、大人以上に違和感や、マイナスの物を日々受け取っている。知らない。勉強していないのがいかに罪かそのことを今日の講習会で学びました。人間は人間。ヒトに成り下がっても人間を忘れて1人よがりで突っ走ってもそこには真の力は生まれず、本来人間が持つ人は生まれながらに完成形から外れ、当然調和のエネルギーでは無いので、孤独と虚無感がその後に待っている。もしかしたらついて来るものがそこにはいるかもしれないが、そこでついて来るものは、結局同じ穴のむじなの者が来ているだけで、広がりやエネルギーは無い。自分のことしか考えない。自己中心的人間が増えて行くことがいかにマイナスか、そしてそれが対立、争いへと向かわせる。人と人の間がいかに大切か、間は人のことを思う気持ちがなくては無くなる。人間を育てる教育において独りよがり、我が我がでは教育は成り立たないと今日改めて気付かされました。今日の検証にあったように勝ち負けを競い合うスポーツには心のエネルギーは宿らない。しかしこれも勉強不足でそれをスポーツ道にすることで話は変わる。人と人を繋ぐスポーツ。損得なしで助け合いが生まれるスポーツ。先生がペットボトルを投げられた時のあのエネルギーは受けた者、倒された側が明らかにエネルギーを頂きました。教えてやる。こっちへ来いの教育では未来は有りません。ここで学ぶ者として改めて止まれない。今日いただいたエネルギー、希望を日々の実践に活かしていき、本来の人間としての力を信じる教育に近づいていきます。そのためにも裾野を広げることではなく、自分の土台をしっかりと固めていき、その高さを少しでも高くしていけるようにすることが、自分、そして周りを守り、育てて行くことだと学ばせていただきました。自分の変化、成長が何よりの先生へのお礼であり感謝の形だと思います。これからも御指導宜しくお願い致します。


 

■奈良 中学校 男性 20代

第3回教師塾を開催していただきありがとうございました。今年度は校務、私用のため今回が今年度初の教師塾で参加できることをとても楽しみにしておりました。宇城先生の気を感じながら、また改めて自分自身が進むべき道が明らかになったように感じました。

 今年度から新たな学校で勤務することになり、今まで務めてきた環境とはまた違った環境で、子どもたちの様子も違う中で様々な葛藤や悩みがありました。先生のお話の中でeducationとteachingの話や、暗記と問う力のお話もありましたが、今まさに勤務している学校の子どもたちは受験のための勉強が第一になっている中で私自身どうかかわっていくのがよいのか、そのような子どもたちにどのように今まで学んできたことを伝えていけばよいのか、わからないまま取り組んでいる中で、自分自身が部分体になっていることに改めて気づくことができました。いくら子どもたちに話をしても、その話をする人間に魅力がなければ言うことも聞きません。聞いたとしてもそれは上辺だけなのかもしれません。今回の実践の中で、宇城先生から多くの実践を通して気づくことができました。まだまだ、私は対立して引き付けることはできていない、明らかに勉強不足であると痛感しました。しかし、その反面、子どもたちのために自分自身まだまだ成長していける、普段の生活から実践できることは多くあるとも感じ、残りの期間で子どもたちに自分自身の学んできた姿を見せていきたいと強く感じ、とても楽しみな気持ちでいっぱいになりました。

また、帯を使った実践でも一見周囲から見た様子では引っ張っていなくても、内面からでる気持ちが相手に伝わり、引き寄せることができない。しかし、同じ方向を見て進むだけで引き寄せることができる実践を目の当たりにし、子どもたちに寄り添い受け入れることで安心してこちらに向いてくれるのかなと感じました。普段から近くで子どもたちの姿を見る教師だからこそ受け入れ、引き出し、気づかせることがとても重要なのだとも感じ、そのために教師は学び続けていかなければならないと、宇城先生の言葉が深く自分の中に入ってきたように思います。今回の学びを自分自身が実践し、それを子どもたち、職場の同僚に波及していけるよう日々生活をしていきたいと思います。

今回も貴重なお時間をいただき本当にありがとございました。また来年も教師塾に参加し、先生の温かい気を与えていただけることを楽しみにしております。今年度も本当にありがとうございました。これから寒い日が続きます、お体ご自愛ください。


 

■奈良 中学校 男性 30代

先日は教師塾の開催ありがとうございました。対立を生み出すのではなく、絆、信頼関係を築き調和することの重要性を再度学ぶことができ大変勉強になりました。また教師という職でしかもう一度生徒が帰ってくるという嬉しさは学べないと宇城先生がおっしゃっておられた言葉が大変心に響きました。今できることを日々取り組み積み重ねていきたいと思います。ありがとうございました。


 

■京都 中学校・高等学校 男性 30代

昨日は、教師塾誠にありがとうございました。毎回、宇城先生から、教員という身がいかに、生徒たちの行く末に、大きく関わる職業であること、それがゆえに、自分自身の魅力、土台の厚みをつけなければならないというメッセージをいただいております。

今、目の前にいる生徒たちは、いわゆるエネルギー不足の状態にあります。気のあてどころがないというの現状です。「競争」ではなく、「調和」でもなく、「無」という状態にあります。これに対して、我々教員がどのようにあるべきなのかということを現在考えさせられているところです。また、周りの教員の一部もそれに同化、同調しつつあって、自戒も含めますが、「何のために生きているのか」と悶々としております。「無」の状態、そこから「気」をいかに生み出すのか、それこそ教員として厚み、魅力が試されているところでありますが、一方で無力感をも感じている、矛盾もあります。それゆえに、昨日の宇城先生からの自らの魅力で生徒を引き付けるというお言葉は、いつも仰っておられますが、また自分に突き刺さりました。

また、実践を通じて、「目線」に立つ、相手との「調和」が、生徒を引き付けることをお教えをいただいてまいりました。この数年間の中で、その「神聖なる場」には「礼」をしてから入るということをお教えいただき、私自身続けているところであります。生徒・クラスが変化したという実感は今はまだ見えてきてはおりませんが、それもまだ私自身が感覚として「やっている」からであろうと思います。無自覚的な積み重ねであろうと感じます。

「生徒の希望となる」そのために、「今」から自分の厚み・土台を高く高くする。そのお言葉をいただき、また、自分自身、前に進まなければと強く再認した次第です。


 

※全感想は、以下に掲載しています


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