2024年 第1回教師塾が開催されました
去る2024年1月20日、午後に開催された京都実践講演会に先だち、午前9時半より2時間、宇城憲治塾長による教師塾の第1回が 開催されました。
宇城塾では特別塾として年4回、教師を対象とした教師塾が開催されており、この日、関西方面を中心に教師28名が参加、教師自身が気づき、学び、それを深めていくことの大切さを身体を通して学んでいきました。講義実践の様子は参加された塾生の方々の感想から伝わってきます。
以下に塾生の皆さんの感想を紹介いたします。
< 京都 中学校 男性 40代 >
これからの未来、小松の遠隔操作での開発の様子間違いなくこれから求められる世の中のニーズや力は変わる。そしてその未来を予測して我々教員は今何を思い、何を目指して教育をしていくべきなのか、その答えを世の中は暗中模索し、問題提起をし、心配どうなるんでしょうで終わるところを、先生は何故そうなるのか、その根本を理解しその為にという道筋を今日の講演の中で我々に気付かそうとしてくださいました。学校教育は何が問題なのか、子どもたちの力を我々学校教育は育てるどころか、潰してしまっている。
しかし、免状で教え、日々の生活に追われそれを理由に自己研鑽をしない現実。
先生からすれば、心でやっていれば自分の中で教育を好きになれば、そして教育道から教育術道にするぐらいのめり込めば楽しくて楽しくてエネルギーが作られてやれるだろう。
『お前たちは中途半端だよ』と言ってもらったように感じました。授業はマジック以下。大人はという自分中心から目線を子どもに合わせて子どもは好奇心の塊なんだということを理解した上で子どもの前に立っているかということを大切にしなければいけない昼からの講演会では子どもたちも多く参加していましたが、先生の御指導で変わっていく姿を見て物事の本質を知ることの大切さ、勉強していないことがいかに罪なのか、一に勉強、二に勉強、三に先生が仰るからこそ説得力が生まれます。いつも希望という姿を見せて頂き、最高の指導をしていただき導いて頂いていることに感謝します。ありがとうございました。
< 奈良 高等学校 女性 30代 >
身体を通して学びを深める。懐を広く、愛情をもって子どもたちと接することがどれほど重要か、職場の同僚に伝えなければと感じました。教科指導、部活動指導どちらにおいても言葉が先行してしまうことに悩んでいました。五感でとらえたことをそのまま生徒に示しているだけで「やった気」になっていました。やはり、第六感を感じ取れる器(身体)が必要です。今日、一番の気づきがあったのは、数人が肩を持って列になり、先頭の人の胸を押す実証のときです。前回、列に参加したときは、最後尾まで押され宇城先生の「気」が貫通する感覚を味わいました。エネルギーが全員に通り、列全体が一体となって強くなった感じでした。今回もその感覚が最初にくるのだろうかと、ワクワクしていると、その感覚よりも先に自分の後ろの方の手がピタッとくっ付く感覚を強く感じました。最初に触れられた手はギュッと強めに押される感じでしたが、2回目、3回目となるとスーッと馴染んできました。統一体になった、ゼロ化された、、、。ここでも上手く表現できませんが、何度か経験したことのある実証で初めての気づきでした。他の先生と自分との間に衝突があるから強い感触だったのかなと思います。まだまだ、身構えて衝突を生む身体なのだと思います。
職場では、3年生を担当し、学年では受験競争に追い打ちをかけるようにデータを見比べて生徒に対応しています。数字ばかりをみて、頭で処理をして生徒や保護者に接する。隣のクラスを見ていると卒業目前のこの時期に、保護者とトラブルが起きるのも頷けます。愛情が足りない、器が狭いに尽きます。やはり、何かを勘違いしている教師は多いです。
大学共通テストの翌日、満点を取ることができた教科の先生のもとへお礼を伝えに来た生徒がいました。「先生のお陰です。ご指導いただきありがとうございました。」と。担当教科の先生は感激され、担任である私にお礼を言い来てくれました。点数がどうであろうとその気持ちを伝えられたかは分かりませんが、お礼を言いに行こうと制服を着た生徒は成長したと思います。子どもたちは本当にすべてを感じ取っているのだなと思いました。自分が変わらなければ、クラスや部活動の生徒たちを守れません。今日のように自分の変化に気づきをくださる学びは、ここにしかありません。日々、精進いたします。
宇城先生、本日もご指導いただきありがとうございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。
< 奈良 中学校 男性 30代 >
宇城先生。お忙しい中、昨日の教師塾ではありがとうございました。また、教師塾の先生方、道塾の皆様にもこの場を借りて御礼申し上げます。
2024年が始まり、石川県での震災、羽田での航空機事故と激動のスタートでした。被災地の方々のために何かできることはないかと悶々と考え、日々を過ごしていました。そんな中で第1回の教師塾を開催していただき、今年も変わらず参加させていただいたこと。何よりその有り難さと自分たちの置かれている環境の偉大さを実感させていただきました。今、できることはほとんどないのかもしれませんが、自分は目の前の子どもたちへの愛情や、置かれている環境に感謝するとともに、足を止めることなく精進することで社会に貢献していきたいと思います。
五感を駆使した学び。私も知らず知らずのうちに子どもたちにその大切さと必要性を説き、呼びかけていました。確かに、言語として理解し認知することで知識を得ることは大切なのかもしれません。ですが教師塾の学びはその域ではありません。第六感でさえも超越したものを実践から学び、少しでも伝えていく。中でも特に印象に残ったことは、場の空気を変えることでした。教室前での一礼。日々の実践はすでにさせていただいており、生徒の変化も実感したことはあります。ですが、昨日改めてその大切さを肌で感じることができました。扉の外で先生方が礼をさまざまな心持ちや姿勢でされた場合の実践において、言葉で表現するのは難しいですが、重さではなく熱さでもない、何か空気が膨張するような地球に吸い込まれるような変化を感じました。変化を数値やデータでとることができないのでなんとも言えませんが、悪い形と適当な心持ちと正しい形と正しい心持ちの差は明らかに感じました。この言葉で言い表せない空気の変化を子どもたちも教室で感じている。。私の日々の差が伝わっていたのかもしれない。実は何度か子どもたちに、先生疲れてんの?機嫌悪い?と質問されたことを思い出しました。そんなつもりはなかったのでその時は何気なく返していましたが。私が教師塾で感じた言葉では言い表せない変化を、子どもたちはしっかりと感じていたのだと。日によって変わってしまっていた自分の弱さ甘さを反省です。場の空気を変えるという、未熟な私にでもすぐにできる実践のはずなのに、その実践に対する取り組み方と覚悟を改めて自分問う貴重な時間になりました。
今回の教師塾では、「できる」「できない」そのことを言語化し考えることがすでに、五感に頼った理解なのではないかという自分なりの感じ方を学ばせていただいたような気がします。実践あるのみ。自分にできる一番身近な実践。自分の置かれている場の空気を変える。五感ではなく心と姿勢で。宇城先生、ありがとうございました。明日からまた実践します。今後ともご指導よろしくお願いいたします。
<山口 中学校 30代 男性 >
宇城先生、2024年最初の貴重な御指導、誠にありがとうございました。冒頭の森島先生のご挨拶でもあった通り、1月1日からの能登半島地震、2日の羽田空港における航空機同士の接触事故、これまでにない不安を感じる新年のスタートでした。私達の置かれている状況は確実に悪化の一途を辿っていることを感じます。不安が増大する世相の中で、希望をもって生きていけるのは、宇城先生の御指導を賜ることができているからこそです。本当にありがとうございます。
教師塾の御講義では、「好奇心」を子供達に持たせる重要性を先生はお話をされました。先生が仰られるように、教育現場にある体制下では、「好奇心」を育むどころか、その芽をどんどん摘んでしまっている現実がございます。そこに対して自分に何ができるのか。自分に与えられた現場において、自分にできることを探求し続けていくことが必要であると思いました。
「学校がいやだ、行きたくないと言っている子ども、そこに変わるヒントがある」とも先生は仰られました。私のクラスや学校にもそのような生徒達がいます。これまでのように、ただ目の前の事象や問題に目を向けていくのではなく、その本質に迫っていく姿勢が必要であると思いました。しかし頭では理解できていも、具体的な行動を起こすことは難しく、何より自分の浅はかな考えのみでは道を見誤ること、踏み外すことははっきりとしています。
その中で、宇城先生が私たちにご教示くださっている人間としての本質、あり方、御教えは、私達が道を踏み外さないよう守ってくださり、そして成長へと導いてくださっていることを強く感じました。そしてこの度の教師塾をとおして、自分の中にある横着さも強く感じることができました。自分では気づけなかった自身の中にある横着さを、先生より気づかせていただく幸せ。
そのこととの向き合い方を正し、高めていくことは、自分自身にしかできません。先生がお読みくださったヨーロッパの塾生の方々のメールをお聞きしながら、そこにある深い謙虚さと先生の弟子として成長していくんだという強い思いを感じました。本当に自分自身の姿勢は甘すぎると痛感しました。
学校で接する子供達、自分の家族や友人、周囲の人々を守っていくために、今まず自分ができることは変わっていく、その歩みにひたすら集中していくことだと思っております。その過程に大きな希望があり、明るい未来につながっていることを、教師塾、実践講習会をとおして、参加された皆さんの表情が希望あるものに変化していった様子を目の前で見させていただいて、改めて強く感じました。世界唯一の素晴らしい先生に学ばさせていただいている幸せと有難さに対して、自分がどう向き合っていくのか。常に自分に厳しく問い続けたく思います。子どもの邪魔をしない大人にまず自分がなること。そこが目指すべきスタート地点だと思いました。
先生より見させていただいた手品では、「なんで?」という探求心が自然と起こりました。しかし、タネがわかった瞬間、その好奇心や探求心は消えてなくなりました。一方、先生の実証や御教えは常に「なんで?」という好奇心・探求心を生み出してくださいます。「好奇心」を育むと一言で言っても、そのレベルは天と地ほどの差がございました。先生が子どもたちに与えられた「なぜ」「どうして」は、終わることのない探求心と好奇心を引き出され成長へと導かれている。その身体をとおして体験した事象の数々には、言葉では到底表現できない無限の深さがある。今回、先生の「気」による実証を体験した子供達の心身の中には、生涯子供達を守り、教え導かれていく大きな希望が生まれていました。このこと自体が明るい未来を今作ってくださっているのだと思いました。これが本当の教育なのだと思いました。今回多くの子ども達が参加されていましたが、先生と子供達を繋がれた教師塾生の先生方の熱い思いがそこにはありました。私も教師塾の先生方のように、少しでも行動を起こしていきたいと思いました。
「挨拶をする」「礼をする」「寄り添う」「姿勢を正す」「人間にはもともと素晴らしい潜在力がある」その意味を自分の心身で実践していくこと、自分自身が己を磨きながら、その姿を子供達に映していく。伝えていく。知識を教えるのではなく、人間としての本質に自分自身が立ち返り、行動すること。先生の御教えを実践することで、本来の教育の姿を見失わず、子供達と共に成長していける幸せが今与えられている。その中で自分の人生を生かさせていただける。まずは自分です。
この自分を変えていくチャンスと大きなエネルギーを先生からいつも賜れていること、注いでくださっていることに心より感謝申し上げます。この度も大変貴重な御指導を賜り、本当にありがとうございました。これからも何卒一層の厳しい御指導、ご鞭撻の程、心よりお願い申し上げます。
< 奈良 中学校 20代 男性 >
第1回教師塾を開催していただきありがとうございました。今回の教師塾並びに実践講演会もとても学びが深いもので心から元気をいただきました。本当にありがとうございました。
今回の教師塾では、自分自身が置かれている環境や状況を言い訳に子どもたちに真摯に向き合えていなかったと深く反省しました。環境のせいにするのではなく、まず自分自身がやる、一人革命、謙虚な気持ち、愛を持って接すること、寄り添うこと先生から学んだことを改めて実践していきたいと強く感じました。これも森島先生をはじめ教師塾運営に携わっておられる先生方、道出版の皆様のおかげであることに感謝し、子どもたちだけでなく、同僚の先生方にも、宇城先生から学んだことを広げていけるよう日々取り組んでいきたいと思います。
今回の教師塾で特に印象に残っていることは、五感でもなく六感でもなく、高次元の世界が重要であることです。目に見えないことに本質があると感じました。それこそ先生の実践の中で行われる「気」であると。目に見えることがすべてではなく、目に見えない本質がある。人に寄り添うことで、統一体となり潜在能力が引き出され生まれ持った力が発揮される。礼することで力が発揮される、同じ目線に立つことで力が発揮される。力というのが正しいかは定かではありませんが、目に見えない力はあるのだということを改めて実感できた瞬間でした。最近の自分を振り返ってみると「言い訳、不満、愚痴」ばかりで、統一体、気の通った状態とは程遠いものであったと痛感しました。今回教師塾に参加し気づきをいただけたことはてとも大きなことで改めて自分が変わるきっかけをいただけて本当にうれしく感じました。まだまだ未熟ではありますが、未来を担う子どもたちが部分体出なく統一体で成長できるよう、自分自身の姿を見直し、子どもたちと成長していきたいと思います。
また、好奇心を持たせることが重要であるということもとても印象に残っています。実践塾の中でも中学生が、実践をしていく中で休憩の時間で学んだことを子どもたち同士で取り組んでいる姿や、宇城先生の話を聞く姿勢の変わりようを見て、これが好奇心を持たせることなんだと強く感じました。「ああしなさい、こっちをみなさい、話を聞きなさい」というのではなく、話を聞きたくなるような存在になること、好奇心を持たせることができるような人間であることがとても重要であると感じ、宇城先生が普段からおっしゃっている「磁石は磁力で引き付ける、人は魅力で人を引き付ける」という言葉を思い出し、子どもたちや学校の教師を引き付けられるような教師でありたいと強く思いました。また、今回の教師塾、実践講演会を通して、今の自分は宇城先生からご指導いただく中で、学んでいるだけになっていたのかと感じました。学んでいるから大丈夫だと思っている自分がいたかもしれません。ほかの教師と差をつけなければならないとおっしゃっていた意味が少し理解できたような気がします。宇城先生から学べることに感謝し、大きく成長していきたいです。
今回も貴重なお時間をいただき本当にありがとございました。また次回も教師塾に参加し、先生の温かい気を与えていただけることを楽しみにしております。今回もご指導本当にありがとうございました。これからまだまだ寒い日が続きます、お体ご自愛ください。
< 奈良 県立教育研究所 40代 男性 >
昨日は、宇城教師塾、実践講演会、懇親会と1日を通し御指導いただきありがとうございました。
教師塾の途中、身体が熱くなり、涙が出てきました。年が明け、本格化してきた業務があります。その業務において重要視される事は、前例、パターン、ルールです。いかに「私」を消すか。工夫、創造とはかけ離れた仕事です。公務員ではなく教員としての仕事は本来何なのかと考えていると、今の仕事に対し衝突の毎日でした。そんな中、昨日の教師塾に参加させていただき、また、気を通していただいたり、教師としての生き方、在り方を聞いているうちに、何か分かりませんが体がザワザワしてきて、自然と涙が出て来ました。宇城先生からばっさりと「学校へ行けば頭が悪くなる」、「病院へ行けば病気になる」と言い切っていただいた時に、何かすっきりとした気持ちとなり小さなことにつまずいて、まさしく全体の見えていない自分に気づくことが出来、宇城先生からいつも言われる「一進法」の生き方を思い出すことが出来ました。また、先週は仕事の嫌な雰囲気を家に持って帰っていましたが、昨日の自宅に帰ったときは妻とも笑顔で会話を交わすことが出来ました。
本日も、1日仕事へ行って参りました。途中、まだまだひっかかる自分、衝突する自分がいましたが、家に持ち帰ることなく、どことなくスッキリしている自分がいます。
また、懇親会では、他の学校の先生とお話する機会がありました。どの先生方も、学校現場での悩み、そして生徒への悩み、生徒自身が抱える悩みを語り合うことが出来ました。そして、それぞれが宇城先生のエネルギーを分け合い、教師塾生としての点、そして線となるべく、帰路につきました。
昨日は改めて、いつも、私たちの中心にいていただける宇城先生の存在感、安心感を感じることが出来ました。職場、家庭と安定し幸せになれる、また仲間と語り合えるのは宇城先生が私たちを御指導してくださるからだと感じています。しかし、「停滞は退歩」です。その存在がいつでも側にあるという気持ちにならず、自分自身が変化し、成長、宇城先生の御指導のもとに自立できるように日々稽古致します。
「自立した生徒を育てる」、「自分の意見が言える生徒を育てる」、「心のある生徒を育てる」自分もそうなる。教師としての本分を思い出せていただきありがとうございます。
本年の教師塾での御指導よろしくお願い致します。
< 大阪 大学 60代 男性 >
2024年・第1回教師塾では、ご指導を誠にありがとうございました。
今年は、元旦から能登半島地震、羽田での航空機事故など、気を引き締めていかなければならない、地に足を付けていかなれば行けない、そして日本全体が試されているような気がします。
そんな中、自分さえよければ、建て前だけ、肩書きを利用して・・・そんなことを感じずにはいられない出来事が被災地や日本の中にも出てきており、国全体がそういった空気感になっていると感じます。
被災地では、今でも精神的にも肉体的にもギリギリの状態の中で助け合いながら生きておられる方々、未だに行方不明になられている方々、自宅が倒壊し避難所での生活を余儀なくされている方々が多数おられる中、倒壊した家に入り物を盗んだり、修理だと言って高額なお金を請求する。。。日本人は本来困った時は助け合い、支え合ってきた国民であったはずがその国民性が歪んでいるような気がします。そして宇城先生からも、それだけ日本全体のエネルギーが下がっているというご指摘がありました。大変な時だからこそ、エネルギーを高めていく必要がある。希望の光となることが必要であると改めて感じます。
だからこそ私たち教師塾生は、そういった世の中(日本)の現状、流れ、教育のあり方、未来に向けての世の中の動きなどを、実証、検証の中で、身体を通して気づかせていただいております。まさに成ってからではなく「先を取る」ということが益々必要になっていくことを痛感いたしております。そのためにも、知識だけ(頭だけ)ではなく、日常、身体を通してまずは自身が勉強し、自信をもって教育界において未来の子どもたちの教育に繋げていく意味においてこの教師塾があります。まずは教師自身が変わる。まさに一人革命がこれからの一人ひとりには必要ですし、そういった覚悟ある身体を持った教師、大人(親)、指導者がどんどん出てこないと、教育界も変わることはないと改めて今回の教師塾を通して感じました。
そして「教育」という中で、宇城先生からのお話、実証を身体を通して気づかせていただき、それは自分の現状を知る、自身がどこに中心を置くのかを身体で気づく、捉われを捨てる、そういったことを実証を通して証明していただいております。すべては身体に出るという検証では、不安、怯えは、目、姿勢、呼吸、動き(遅れ・止まる)、言葉・・・に現れる。
学びとは「頭」ではなく「身体」で、その身体を日常の実践を通して深めていく、学ぶだけで終わるのではなく実践を通してどんどん差をつけていく、止まっている時間はない、止めている自分に気づく。
実証を見せていただいて「すごい」という感覚自体が自分の鈍さ、遅れである。手品は、タネが分かる(バレる)とそこで終わりですが、宇城先生の気の実証は、無限のエネルギーの発動に繋がる、未来への希望に繋がります。それは、気を通していただくと全員ができるということであり、競争、点数、順位、比較、過去、評判、、、といった捉われが一切ない。
「今の教育現場では?」を考えたときに、まさにそういった対立の次元ではなく、調和融合の世界に導いていただき、最後は全員が笑顔になるというエネルギーの高まりがあります。気に包まれた中では一切の雑念がなくなり、身体が浮くこともなく、呼吸が通り地に足がついているという感じが致します。
宇城先生は、すべてが事実、真実であることを気によって実証していただける。目の前で起こることはすべて現実・事実であり、疑う余地もない。疑うということ自体が自身のエネルギーの低さであり、自信のなさでもある。他人事ではなく自分事としていくと一つに繋がり、それが寄り添うということになります。そしてそういった教師、大人の生き方を子どもたちは見ており、それがすごいスピードで映っていきます。
伝達のお話の中で、脳を通ることで時間の誤差が生まれる。身体から入ると瞬時にエネルギーが高まる。まさに言葉で説明できないことを実証していただけることは宇城先生にしかありませんし、科学者レベルでは証明できないことを目の前で見せていただく機会は他にはありません。
また大人が頭で考えれば考えるほどエネルギーがどんどん下がっていくが、子どもは簡単にできる。そこには素直、正直、疑いがない、だからスピードが速いとなる。「未知の世界の存在」は、今の科学でも証明されませんが、宇城先生に気を通していただくと「できない」がその瞬間消えます。その事実こそが信じるになり、信頼に繋がる。だから自らが実践、実証できるようになる必要がある。そういった身体こそが「寄り添う」ということ、そして中心には、「信」じる、更には深い「愛」があるということを改めて感じさせていただける機会となりました。
教師塾は、教え方を学ぶ場ではなく、気づく・気づかせるための自分に変わっていく場でもあります。そして学んでその気になって終わる一般のセミナーではなく、自身に気づく中で自らが実践し、学びを深め、周りの生徒・学生たちを引き出していくことが重要だと改めて感じました。
午後からの実践講演会では、年齢、男女、体格、職業、、、に関係なく、会場全体が一つの気(愛)に包まれておりました。子どもたちのエネルギーに驚かされる中、始まりと終わりでこんなに変わるのだと改めて実感いたしましたし、子どもを見守る親御さんの表情も印象的でした。まさに「共に学ぶ」とはこういった事だと感じました。今の教育現場は?・・・参加者の一人ひとりの変化、笑顔がそれを証明していると感じる機会でもありました。ありがとうございました。
今後とも、ご指導のほどよろしくお願いいたします。
< 京都 中学校・高等学校 30代 男性 >
問無き問に常に戦い続ける。終わりがないループに抗う。教員として、いかにして「生きるのか」という部分についてこの頃頻繁に考えることが多くなってきておりますが、やはりどの道においても、模索を続ける、し続けることが重要であるのだと考えさせられました。 対立構造と調和構造(融合)。どのほうが、その力が発揮されるのか。それについても、実践を通して、ご教授いただきましたが、スポーツの世界がいかにその対立構造を通じて、生徒を育成しようとしているか。(自分自身もその中で、「育成」されてきており、指導者として、その「信者」となりつつあるか)という部分についても、痛感させられているところですし、その中で、いかにして、組織の中で、調和構造を生み出していくのかという部分については、自分の行動や価値観自体の変化・変革が求められているところと考えます。宇城先生のお話を伺う度に、自分の芯がぶらされ、自分の道が果たして正しいものなのかを考える機会をいただいております。よくお話に上がる教員自身が魅力的な存在となり、そこから生徒を引き付ける。そのために研鑽を積んでまいりたいと存じます。この度は、誠にありがとうございました。
< 奈良 中学校 30代 男性 >
本日は教師塾並びに実践講演会でのご指導誠にありがとうございました。ご指導の冒頭に好奇心を持たせるというお話がありました。中学校3年生を担当させていただいている今、休みがちになってしまう生徒の姿を目にします。好奇心ではなく、成績・受験のためという視点から抜け出せず、どんどんエネルギーがなくなってしまう様子を見ると、本当に苦しい気持ちになると同時に自分自身の力不足を痛感いたします。『行きたい』『学びたい』『知りたい』『なんで?』まさに宇城先生が我々に身をもって示してくださる好奇心を持たせる指導、そして魅力で惹きつけるという態度こそ今、私たちが目指すべき方向です。それは実は大人も身体のどこかでは分かっているのではないかと思います。みんなどうしていいかわからず、困っているように感じます。
今回のご指導ではっきりと気づかせていただいた事は宇城先生に触れさせていただき、目指すべき道筋を示していただいたものとして、それを自身の身をもって広げていくことをしたいという自分の身体から湧き上がってくる感情です。引っ張るではなく相手に寄り添い、相手の側に立って一緒に行く。ある沖縄の漁師は『志を高く持ったものの前には大波が立ち、そうでないものには波は立たない』と言われたそうです。未来をつくる子ども達に携わる立場の者として、私は大波がたつ生き方を選択したいです。そのために今後も宇城憲治先生に学び続け、自身を進化・深化させていく必要があります。自分なんて何も知らない・理解していない・力がない。そう気づかせていただいた事に感謝しかありません。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
< 三重 高等学校 30代 男性 >
宇城先生、この度も教師塾での貴重な学びの機会をいただき誠にありがとうございました。ボールペンとA4の紙から生徒の興味を引き出し、生徒に何故なのかと思わせる事の大切さや体験を通じて身体で感じる事で本当の凄さを伝える事を学ばせていただきました。また、数学から物理や化学に変換させる事が幹の部分を教育する事につながり、深さが生まれるという事を教えていただきました。まさしく宇城先生が仰る、別次元の世界が目の前にはありました。自ら気付いたと錯覚するかのように、先生に気付かせていただき、気付くような空間で学ばせていただきました。私は頭で理解しようとするクセがどうしても抜けていきません。毎日、起こる身の回りの事に、いつも自分と衝突しては悩み、答えのない世界に迷い込んでいきます。負のエネルギーを生徒に伝播しています。この教師塾で、ダメなのは自分である事に気付かせていただけます。今回も宇城先生のお話を伺いながら、学校で起こる問題や課題を考えてしまいました。保護者の目、生徒の人権、今の時代を言い訳に踏み込めません。この横着な身体は治りません。ですが、教師塾に来させていただく度に、そんな自分を認めて、自分に歩み寄り、自分に寄り添い、自分に正直に生きていかなくてはいけないことに気付かせていただけます。出来る事よりもはるかに出来ない事がある自分です。自分を護摩化さずに勉強していきたいと思います。
私は宇城先生に学ばせていただいているにも関わらず1+1=2を教育しています。気付かせるどころか、今日も押しつけの教育を行いました。しかし、本物の気付く・気付かせる教育ができる人の押しつけの教育はそうではないと思います。頭ではなく身体からの押しつけが、私の目の前にいる生徒には必要です。ですが、私にはそれができません。目の前の生徒に枝葉しか伝える事が出来ません。しかし、できない自分の存在を気が付かせていただける。本当に幸せです。
対立する身体のクセが抜けない自分、怯えている自分、多くの人間をも巻き込んでしまう自分です。それらを映してしまっている生徒。宇城先生が発するお言葉、実践の数々から自然に出るとてつもないエネルギー。自然体=統一体。目、呼吸、姿勢、礼、寄り添う心の力を拝見させていただきました。心の在り方や持ち方、調和融合すべては姿勢です。実践して反省します。反省してまた前進します。自分ひとりではなく、宇城先生に見守られているからこそ実践できることを忘れずに。学ばせていただきありがとうございます。今後ともご指導のほど何卒、よろしくお願い申し上げます。
< 三重 大学 30代 男性 >
「1+1は?」
会の冒頭におっしゃられたこの問いに対して、今までなぜ疑問に思わなかったのか、なぜ考えようとしなかったのか、そんな手次元の自分に出逢わせていただきました。以前の教師塾にて「1×1」「1×1×1」・・・のお話をお聞きしたことを思い出しました。まだ身に付いていない自分、深めることができていない自分に気付かせていただきました。
「1の定義とは何か?」 「+(足す)、-(引く)、×(掛ける)、÷(割る)とは何か?」算数・数学を専門にしている私にとって強烈なメッセージをいただきました。
教師として、児童・生徒・学生を「みる」ことはとても大切です。そしていろんな「みかた」があります。「見る」「観る」「視る」「診る」「看る」・・・。今回の教師塾の中でも五感は言葉の世界であるというお話がありました。「みる」でも言葉にしてみれば、いろんな「みる」があります。しかし実際、人はいろんな「みる」を同時に行動として行っています。その「みかた」を深めていくことこそ、進歩・成長なのだと思います。自分自身のレベルが上がれば、いろんな「みかた」ができるはずです。レベルの高い人にしかみえない「みかた」があるはずです。それは決して言葉では表せない世界だと思います。今回の教師塾の中で強く感じたことは「自分で決めたことをやり続けること」ということです。そこで自分自身と向き合うことしか成長はないということです。そこは一番誤魔化しがききません。礼一つとっても、普段が出ます。いくらそのとき頑張っても上手くいくはずがありません。そのように考えたとき、日常がすべて鍛錬の場です。自分の周りに起こり得る(自分にとって都合の良いことも、悪いことも)すべての出来事に意味があるはずです。今まで言葉(頭)では分かっていたつもりでしたが、今回ようやく身体を通して気付かせていただきました。誤魔化して生きていた自分に温かくも、厳しいメッセージをいただきました。
正直に申しますとこの教師塾に参加させていただく中で、何かを学び、気付くことができればいいと浅はかに思っていた自分がいました。すべてが受け身でした。しかし本来の学びとは、日常生活にあるものであり、この教師塾に来させていただくことで、その自分自身の学びを確認させていただく絶好の機会になることに気付かせていただきました。教師塾に何年来ているかが大切なのではなく、どのような想いでこの教師塾に来ているのか、どのような想いで日常を過ごしているのか、もう一度原点に立ち返り自分と向き合ってみようと思います。
ありがとうございました。
< 京都 中学校・高等学校 30代 女性 >
教師塾、また京都実践講演会でのご指導ありがとうございました。力ではなくエネルギー。まさに先生の気の実践は力ではなくエネルギーでその場にいる人全体を包み込んでくださいます。
先生が部屋に入られるとその場の空気が変わります。先生に気を通していただくとみんなが笑顔になっていく。自分が持つエネルギーに驚き、自分にもできるという自信を持つことができ、変化していく。これほど希望を与える実践は他にはありません。
私たち教員はつい目の前の生徒のダメな点、良い点含め、その一点だけをしまいがちです。そしてそこに対して力で変えようとしてしまいます。それに対して先生は、目の前の生徒だけでなくその場全体をエネルギーで変化させてくださいます。寄り添うと強くなる、寄り添われる方も強くなる。どこか一点だけを変化させるのではなく、そこにいる人全体が変化をしていく。まさに、私たち人間は地球と全て繋がっているということを実証してくださいます。一部分だけを見るのではなく全体を見ることを私自身がもっと意識していく必要があると改めて感じました。
礼をするとその場の空気が変わるということも改めて驚かされました。これまでは大人数の前で礼をすると簡単に押せるという実践でしたが、今回の実践では礼をすると自分だけが強くなるのではなく、離れた場所で棒を持っている先生方にも変化が現れました。1人1人がどのような心で日常を送るのかによってその場のエネルギーが大きく変化することはとても重要な気づきでした。日本人が大切にしてきた「公」の精神。「和」の心。なぜ「我」ではダメなのかがよくわかりました。個性を尊重する時代だとよく言われますし、学校でも個別最適化という言葉が一人歩きし、本質を理解しないまま「私欲」「我」の部分を強めていっている気がしてなりません。自分を信じることと、自分勝手は全く別物です。謙虚さを失ってしまった時、ここに大きな勘違いが生まれるのだろうと感じました。心なしの言葉ではこの勘違いを増幅させてしまいます。言葉に頼るのではなく、真実で勝負をする。やってみせるの実践で周りを巻き込める自分に変化しなければなりません。
まさに午後からの中学生たちの変化は、宇城先生のやってみせる、やらせてみせるによる変化です。目を見て話を聞く。目をそらさない、逃げるな。自分の変化、仲間の変化を知った子どもたちだからこそ、その言葉がまっすぐに届きます。ただ言葉で相手を変えようとすることがいかに横着か。情報にあふれた時代を生きる子どもたちにとって、言葉は1つの情報にしか過ぎません。聞いているようで聞いていない。ただ黙って座っている生徒が良い生徒になってしまわないように、自らが学び、変化し続けていきたいです。
人間は生まれながらに完成形。毎回、実践講演会では子どもたちがそのことを証明してくれます。今回も、幼い子どもたちは大人数の大人でも平気で倒すことができました。大人になるにつれ、できなくなっていく理由は、私たち大人にあるのだと痛感しました。無意味な競争社会が生み出したこのマイナスをどう変化させていくのか。学ぶのは試験、偏差値のためではなく、自分と向き合い、自分が持つ力で自分も周りも幸せにするためです。最後に全員で腕を組み、先生に気を通していただくと1人では動かせない集団が、足並みを揃えて回り始めました。自分の意思ではなく、周りと調和し、同じ足並みで歩き出す。この調和の力こそが、社会を変化させる力です。誰か1人が大きく成長し、周りを巻き込む力を持つことができれば、少しずつでも環境は変化させることができる。そう先生は教えてくださっています。自分のエゴでは周りは動いてくれません。もっと広い視野を持ち、全体を見て今何をすべきか考え行動できるように、思考を停めず、これからも学び続けていきます。
先をとる。不安や心配を消すために準備をすると先生は教えてくださいました。不安と怯えは違う。怯えにならないよう、先を見て準備をすることが必要です。船に奥様と乗られた際に、いざという時のために簡単な操縦と救護を呼ぶ練習をされているという話を聞き、感動しました。学校で実施している避難訓練なども先をとるための行動だということを今現場の教員がどこまで理解できているのかと考えました。災害が多い国に住む中、子ども達の命を守るためには私たち教師の危機管理能力が非常に重要です。東北の大川小学校での悲劇がそのことを教えてくれています。平時が有事を決める。さまざまな角度で物事を捉え、考え、1つ1つ準備をすることで、先をとることができます。とはいえ、大きな未来が見えていなければ後追いばかりになってしまい、先をとるとは程遠くなってしまいます。ここでも必要なのは、目の前だけでなく全体を見る力です。宇城先生という大きな柱の中で、自分の日常の軸を築いていくことでこの全体を見る力を磨いていくことが必要です。実践あるのみ。実践だからこそ師の存在が本当に大きいと学べば学ぶほど感じられます。大産大のピッチャーの子達の指導をされた際も、その子の癖を一瞬にして見抜き、先生はご指導されていました。先生のご指導により一瞬して変化する身体を感じることで、早くまた実践したいと思える。これほど素晴らしい教育はありません。これこそが、正しい個別最適化の学びだと私は感じています。その生徒に合う指導でその生徒の能力を伸ばす。その結果、生徒はやる気にあふれ自分を信じて前に進むことができる。私もそのような教育に少しでも近づけるように、日々精進してまいります。そのような視点を与えてくださり、教育の本質を真実としてみせてくださる宇城先生との出会いに心から感謝しています。
教育の本質は未来への生徒達の可能性を引き出すことです。それができれば、自尊心が低い、自分に自信が持てない子どもは減っていきます。自分を信じられる子どもが増えれば、他人に矢印が向かなくなり、他人を攻撃するいじめはなくなり、本当の意味での多代性を受け入れる社会が実現できるようになっていくと思います。そう考えると、学校という場の責任は本当に大きいとつくづく感じます。私たち大人が自分と向き合い、自分を信じ、逃げない自分であることが必要です。言葉で促すのではなく、自分の行動、姿勢で生徒達にエネルギーを与えられる教師になれるよう、2024年も教師塾での学びを大切にしていきます。今年もどうぞよろしくお願い致します。
< 奈良 中学校 30代 女性 >
ご多忙のなかご指導ありがとうございました。
今回、小さな子たちがたくさん来られていて、すんなりとやっていく姿を見て、頭が上がりませんでした。小さい子は、楽しい時は笑い、悲しい時は泣き、心のままに動いています。講演会にいた、子ども達も、お父さんやお母さんへの愛情や、さまざまなものへの好奇心を、心から表現していました。その速さから素直に力が発揮でき、強いのだと思います。今の学校現場は、愛情や好奇心を殺してしまう教育をしてしまっています。表面上で誤魔化すことを大人がしてしまえば、子ども達も誤魔化すようになってしまいます。子どもは大人に夢がないことを見抜いているのですね。表面上はきちんとしていても、心が枯渇している生徒を多く見ます。
今まで、そうなった子どもに自分ができることをしようと思っていました。しかし、今回、宇城先生の指導によって、一瞬にして、子どもたちの目がキラキラと輝き始め、エネルギーに満ちていく姿を見て、これなんだなと思いました。私は、まだ頭で考え、不安を虚勢で隠そうとしてしまいます。心のどこかで、私には、エネルギーを与えることなんてできないんじゃないかと思ってしまいます。けれど、真っ直ぐに生きることを教えることは、大人の責任で、私は子どもと関わる職に就いています。宇城先生に学ばせていただくことが、差となっていかなければいけません。
子どもたちから目を背け卑怯者にならないよう、逃げていないで、やる。進むことを選び、日々修行したいと思います。宇城先生に学び、エネルギーをいただき、今日もがんばります。
ありがとうございました。
< 三重 高等学校 30代 男性 >
宇城先生をはじめ、塾生の方々、共に学ばせていただいた先生方とご縁させていただけたこと大変ありがたく思います。
今回初めて教師塾に参加させていただきましたが、目の前で起きること起きることが驚きの連続で、1日を通してとても貴重な経験を積ませていただきました。また、「頭で学ぶのではなく体で学ぶとはこういうことか」ということも体験を通して感じ得ることができました。
数々の体験の中で特に印象強かったのは、「あいさつ」と「寄り添い」により「力」が「エネルギー」に変わることを目の当たりにしたときです。一度会場の外に出て、会場に入る際に誠意をもって礼をしたとき、会場内の空気が変化したことを体感しました。あの感覚は正確に言葉では言い表すことはできないもので、感覚的には会場内の空気がフリーズしたように感じました。
講義後のワクワク感と興奮を抑えることができず、早速、本日の授業内でアイスブレイクの一環として「あいさつ」と「寄り添い」がどのようなエネルギーを生み出すのかということを生徒に体感してもらいました。口頭での説明時点では半信半疑の生徒が大半でしたが、体験後は実際に変化を体感した生徒たちを中心に表情が一変し、目をキラキラと輝かせていました。
世の中は「風の時代」に突入し、これまで以上に目の前の状況が凄まじい勢いで変化を繰り返していくと言われています。そのような時代の流れに対応できる人材を育成していくために、まずは自分自身の在り方をみつめ直し、今回学ばせていただいたことを自分の中に落とし込んで生活していきたいと思います。
皆さまとの出会いに感謝いたします。今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。
< 奈良 高等学校 30代 男性 >
第1回教師塾でのご講演ありがとうございました。
今回は実際に、四方向から囲まれた木の棒の中に入った状態で、自分自身でも目が泳ぎ、大きな不安感に襲われる状況から、宇城先生に気を通して頂くことで、安心感が生まれ、そのまま縦に並んだスクラムを押しきる実践をさせて頂きました。それを体験した際に、本校の附属中学生が日々安心感の中で学校生活を送っており、大きく成長してきている様子と重なりました。一方で高校生の方は、まるで木の棒の中に入った時の私のようにえも言われぬ不安感の中で生活している生徒が多くみられる現状があります。何かを変えてあげたいという思いで日々接していますが、なかなか前進できている実感がありません。おそらく、生徒からも私が不安感の中で悩みながら接していることを見透かされているのだと思います。やはり、まず自分が勉強を重ね、大きく変わって、大きなエネルギーをもって子どもたちと接していくことが何よりも重要であり、それが教員として何よりも大切なことだと思います。日々忙しくしているというのは一種の言い訳であり、スピードが足りていないだけ。教師塾に通わせていただいている限りは、自分から現在の環境を変えていくだけのエネルギーをもてるよう、さらに成長していきたいと思います。
磁石のN極とS極の間は、徐々に磁力が弱まっていって極が変わるのではなく、あるところで急に極が変化する。ヒトの場合であっても、量子力学の視点で見ると、なんら特別のものではなく同じであるという点について、まさにその通りであり、(良くなる時も悪くなる時も)何か変化する際は一瞬であり、それを見極めていくのが大人の役割である。また、子どもは本来、自分自身で成長について敏感に感じ取っているが、大人が変に評価をすることで、その感覚がくずれていってしまうという点に、大きな責任を感じました。
午後の実践講演会では、8月にも参加させて頂いた生徒たちの大きな成長を感じることができました。この日の前日に、生徒会発信の能登半島地震への義援金募金に野球部として参加させていただき、多くの地域の方々から募金だけでなく、感謝の言葉や労いの言葉をかけていただき、それを見ているだけで胸が熱くなりました。自分自身、大学生であった東日本大震災の際に、教授の声掛けで集まった有志として、災害ボランティアに行く予定であったものの、危険と保険の関係で直前になって行くことができなかったやるせなさを未だに感じておりました。また、熊本地震においては、小学校の同級生が熊本勤務中に被災し、悲惨な状況を聞きながらも何もできなかった後悔もありました。今回生徒会が発案していただき、自分自身の思いが先行して生徒へ提案しましたが、生徒たちもすすんで参加してくれ、誇らしい思いでした。実際の活動においても、こちらが想像する以上に声を張り上げ、1時間の募金活動を2日間やり遂げてくれました。改めて、子どもたちの行動したときのエネルギーの大きさを感じることができ、この可能性を活かすも潰すも大人の責任であることを強く感じました。
このように素晴らしい子どもたちの将来に寄り添うことができるよう、これまで以上に励みたいと思います。
宇城先生、今後ともご教授の程、よろしくお願いいたします。
< 兵庫 高等学校 40代 男性 >
教師塾、実践講演会でのご指導、ありがとうございました。
前の教師塾。嘘、誤魔化し、正当化…、自分の中に思い当たることが多くありました。器の小ささ、力量の無さを補うために言葉で説明しようとする教師の病気です。それに対し、先生は実践、そして目に見える形で事実を示してくださいます。頭のフィルターを通ることはなく、物事の本質に近づくチャンスをいただいており、後は自分の力量で決まります。それぞれのレベルに合わせて課題が見え、終わりがありません。手品のタネ明かしではなく、深さがある。自らが追い求めれば、いくらでも前進していける。そういった指導をしていただいていることに感謝の気持ちでいっぱいです。それを生徒に返していけるように努めていくことが教師の責任であると改めて感じました。
午後の実践講演会では、子どもたちが秘める力をいつも以上に見せていただいたように思います。「人は生まれながらに完成形」。この言葉をより実感しました。誰にでもある力を無いものにしてしまう怖さは、今の日本の状況が物語っています。良き伝統が壊され、「自分さえ」が広がり続ける現状ですが、自分が正しい基準をもち、「勉強道」、「スポーツ道」にしていくこと。エネルギーの高い場所をつくることに尽力していきます。そのために、先生に学ばせていただきたいと思います。今年もよろしくお願いします。
< 兵庫 高等学校・教頭 50代 男性 >
宇城先生、教師塾・講演会でのご指導ありがとうございました。
教師塾で、4人で杖を井形に組んでの実践で杖を持たせていただきました。井形の杖の中央に宇城先生が頭を出され、閉じる杖を止められるのをこれまでも何度も見せていただきましたが、実際に杖をもつのと見ているだけでは全く異なっていました。これまで、何となく宇城先生は絶対に止められるという自信と止めるという覚悟が御有りなのだろうと考えていましたが、自分が考えているような「自信」や「覚悟」で止まるわけはなく、実践に裏付けされた宇城先生だからこそであるということを感じました。仕事で、相変わらず裏付けなく行動してしまっていることを反省しました。
また、同じ井形の杖の実践では、同じ場での礼のある・なし、良し・悪しが杖をもっている自分に伝わってきました。良い礼では、杖をもっている4人は杖を動かせないが強く、礼がなかったり、悪かったりすると、杖を動かせなくなります。何より良い礼のときは、自信と充実感をもって杖を持てていました。教室に入る前での礼は長らく実践していましたが、年度の後半になるとルーティーンになってしまっているのでなはいかと思うこともありました。礼をしているだけで、教室という場にきちんと礼ができていなかったのだと思います。立場が変わり教頭になりましたが、職員室での礼を引き続き実践していきたいと思います。
もう一つ印象に残っているのは、会話はエネルギーの交換だとおっしゃったことです。そういうことに自力で気づけないところが、先生の話への理解が浅く、自分の勉強の足りなさを示していると思いました。
今回の講演会でも、宇城先生によって、やる気のなさそうな中学生が最後には目が変わって帰っていく姿を見せていただきました。勤務校の定時制では、教員たちの多くが生徒に寄り添う姿勢で対応してくれており、中学生まで不登校であったり、勉強の苦手であった生徒たちの多くが普通に登校してきて落ち着いて授業を受けています。それなりに生徒たちの居場所になっていますが、そこに満足してしまい、生徒のもっている力を引き出すというところに行けていません。教頭として、生徒のために教員のやる気や情熱を引き出し、裏付けのある行動ができるように、勉強し、実践していきたいと思います。
今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。
< 大阪 中学校 60代 男性 >
宇城先生。先日は、今年度第1回の教師塾での御指導と、それに引き続いての京都実践講演会の御講義をして頂き、誠に有り難うございました。
午前の教師塾では冒頭に、〈「五感」→「六感」→「高次元の世界」〉について、ホワイトボードに書いて説明して下さいました。伝達手段はそれぞれ、“言葉”、“スピリチュアル”、“実証”とのことで、「高次元の世界」の伝達手段の“実証”については、いつも宇城先生が示されていることだなと思いましたし、以前に宇城先生が「スピリチュアルではダメだ」と、仰っておられた(…と思うのですが、私の理解不足で間違っているかも知れません。「スピリチュアルだけではダメだ」と仰られたかも知れません)と思うので、“スピリチュアル”を一足飛びにして“実証”こそが大事だと説明して下さっているのだと思いました。しかし、これを記している“今”、最初にお聞きしたときは、「五感」、「六感」、「高次元の世界」はバラバラな全く世界の違うものだと思っていましたが、あの1日の講義の中で何度か宇城先生が「“スポーツの柱”を包含するような“柱”でないといけない」と仰っておられたので、そのことと同様に「高次元の世界」は「六感」を包含し、「六感」は「五感」を包含して…というようにならないといけないのかな…と、思っています。
あと、午前中の教師塾の中で1番印象深かったのが、入室前の“礼”の実証です。以前の教師塾で、私も同じように体験させて頂きましたので、入室前に“礼”をすることの変化は体験済みで、全く余計な力を入れなくても、無理なく動けることを体験しました。しかし、今回は、部屋の中にいる4本の杖を井桁に組んでいた方々が、その違いを事前に感じておられたことに驚かされました。たった1度、その(神聖な)場に対して、きっちりと礼をする(踵をつける。礼をする速度は、頭を下ろすときと上げるときが比率が6:4か、7:3。己れの“誠”を表す)だけで、一瞬にして変化が起こる。そして、そのことで、その場にいる人々が“正(プラス)のエネルギー”を頂ける。
何度も実証を見せて頂き、また、自分も体験させて頂いているのに、私の頭には、わずかな疑念が浮かんで来ます。「たったそれだけで…」。
「宇城式呼吸法」の場合は、呼吸に合わせて(その呼吸も、”呼気”は身体の中を下へ降ろしていくようにして…など、きちんと注意する点も気をつけて行い)腕も動かすので、「たったそれだけで…」の感は今はあまりない(一番最初に宇城先生の著書で「宇城式呼吸法」を知ったときは、「たったそれだけで…」と感じた)のですが、それに比べて、立礼の場合は、宇城先生がその場にいらっしゃるからこそ、変化が起こるのではないか…と、思ってしまう自分がいます。
そのとき、私は、宇城先生が仰る「信じる者は救われる」の真逆なところにいるのですね。やはり、何よりも“素直”が大切なのですね。
そして、午後の実践講演会。
子ども達の純粋なエネルギーが素晴らしかったです。大学の野球部員に連れられて来ていた男の子も、お母さんに連れられて来ていた女の子も、お父さんと来ていた男の子も、皆、純粋な目の輝きをしていて、そして、実際に大人のスクラムや大人が一列に並んでいるのを、簡単に押し崩すことが出来る。見ているこちらも自然と“笑顔”になります。
そのことと対照的なのが中学生でした。率先して「やりたい」と出てくる子もいれば、「おまえ行けよ」と他の子をつつく子、尻込みしてなかなか出て来ようとしない子…と、いろいろな子がいました。その中で“尻込みをしてなかなか出て来ようとしない子”の姿が、自分の姿に重なりました。
やはり、昨年より宇城先生が仰る「一進法」でないといけないのだな…ど思いました。そして、午後の講義で印象に残ったのが、「宇城式呼吸法」です。“感謝の型”の実践での「私からあなたへ」、「私から皆さんへ」、「天に感謝」、「地に感謝」。今まで教わってきて、毎日1回は行おうとしているのは、「私からあなたへ」と言ってから、息を吐きながら腕を前に出していました(そのときの“呼気”は身体の中を下へ降ろそうと意識しながら)。しかし、今回の説明では、「私からあなたへ」と言いながら(“呼気”を気にすることなく)腕を前に出しておられました。少しの違いですが、このことが目新しく、毎日の「宇城式呼吸法」に取り入れました。
以上で、今回の受講感想文とさせて頂きます。御指導、誠に有り難うございました。そして、今年度も引き続き、宜しくお願い申し上げます。弥栄。
< 奈良 中学校 40代 男性 >
今日は、第1回宇城教師塾を開催していただき、誠にありがとうございます。今年も学ばせて頂くことを本当に感謝しております。また、午後からも実践講演会にも参加させていただきまして、誠にありがとうございます。本当にいつも感じるのですが、一日があっという間に終わってしまい、時間を忘れてしまうぐらい夢中になってしまいます。午前中は、宇城先生から子どもたちに対して、「好奇心」を持たすことができているのかを教えていただきました。手品をするとは思っていなかったので、ビックリしましたが、でも「なんで?」と感じたのは単純に好奇心でした。未知なる体験や知識は大人であっても好奇心に溢れています。純粋に宇城先生からエネルギーを頂いていますが、最初は好奇心でした。その好奇心からたくさんのことを学ばないといけないと感じさせていただいています。子どもたちも知らないことを知ることは楽しい事だと思いますし、そこから深さを求めていくのだと思いました。私自身も何年も宇城先生に学ばさせていただいているのは、この好奇心に終わりがないのだなと思います。探求していく楽しさを学ばさせて頂いているのに、まだまだ子どもたちには返せていないなと反省しました。先生がよくおっしゃる「楽しいやろ」という言葉が私にエネルギーを与えていただいているのだなと思いました。教員として、授業など子どもたちの前で話をすることが多いですが、好奇心を与えて、そこから学びにつながる話をしていかないといけないなと思いました。
また、棒を四人で交差をさせて挟み、中に人を入れての実証をさせていただきました。先制が気を通すと、閉じようとした棒が閉じなくて止まってしまいます。私は、動かなくなった棒を何回も閉じようとしましたが、力が違う方向に動いてしまって、閉じることはできませんでした。でも気を感じなくなった時は動くのですが、気を入れて頂いた時は、大きな空気が中にあるような感覚で、力で止められているようでなく、それ以上進まない感覚でした。大きな何かで守られているような感覚でした。午後からも実証に参加をさせていただいたのですが、6人で横から押される実証も、縦に並んで前から押される実証も、両方感じたのですが、大人の方が押した時は、表面が強く押された感じがして、私の体が崩れてしまい、痛みを感じたのですが、幼い子どもさんが押された時は、私の体はまったく崩れずに、前から押されているのに背中に力が突き抜けた感じを受けてました。また、中学生も押していたのですが、大人の方に感じた感覚と子どもさんに押された感覚がありました。これは素直さや頭による理解があるのではないかと思いました。外から見ていると、なんとなく感じていたことですが、今回実証に参加させて頂いて、気の存在が少しですが、身体の中で感じさせていただいたんだなと思いました。
大人と子ども。本当に生まれ持って完成形なんだなと思いました。私自身がどうかは分かりませんが、幼いときから宇城先生のエネルギーに触れていることが本当に大きいことだなと思います。今回、私の受け持っている野球部の生徒を初めて連れていきました。私の生徒は力が全てと感じていたと思いますが、今日先生に会って、エネルギーを頂いて、エネルギーの素晴らしさ、人の素晴らしさを感じたようで、いい顔をして帰っていきました。体に感じた気の存在は、確実に身体の中に残っているように思います。終わったあと直ぐに、次はいつありますか?と聞いてきました。先生がいつも指導を受けたら、試してみたくなるとおっしゃいますが、子どもたちは先生に学びたいと感じたようです。私も指導をして、試してみたいと感じてもらえるようにもっと勉強していかないといけないと思いました。私たち教員が実力をつけていかないと本当にこの世界は駄目になってしまいます。私たちの学校でも、教員同士で寄り添ったり、慮ったりする言葉や行動が少ない人が多く、また見えるものしか信じない人が本当に多く、そのため経験の少ない人は傷ついてしまっている様子が見られます。少しでもみんなの光になれるように、調和をして、少しでも良くなるようにしていきたいです。
今年一年、宇城先生に学ばせていただくことを感謝しております。私自身はもっと宇城先生に触れていただくことがこの敎育界を良くすることだと思っています。周りには悩んでいる人が本当に多くいます。私にできることは少ないですが、少しでも良くなるように、子どもたちにも教員にも伝えていきたいと思います。これからも指導のほど、何卒宜しくお願い致します。本当にありがとうございます。
< 島根 県庁教育指導課 40代 男性 >
今回もご多忙の中、教師塾でご指導いただきありがとうございました。
今までは、自分と目の前の生徒たちへの関わりを含めて、生徒たちの成長をいかに邪魔しないか。自らの姿勢はどうあるべきかという、自分と生徒という2軸で捉えながら教師塾で学ばせていただいていたような気がしております。目の前に生徒がいるから今の自分がどうなのかを生徒から気づかせてもらえていた気がしています。ただ、今は、目の前に生徒がいないという環境の中で、今回の教師塾では、特に今の自分はどうなのか。ストレートに自分と向き合いながら学ばせて頂いた気がしています。前者と後者のどちらが良いかの問題ではなく、今ある自分の状況に対して、いかに現状から変化するかが大切なのではないかと感じています。
大人と子供の違いは何か。子供の受け入れのスピード、変化のスピードが明らかに大人と違うことを何度も目の当たりにしています。子供たちが喧嘩をしていたか思えば、すぐに仲良く遊んでいる。大人はどうか。もめ事があれば、長引く。長引くどころか周りを巻き込み拡大することもあり、その雰囲気に周りは余計な気遣いをすることさえあります。本来の人間がだれもが持って生まれてきているはずのものが、大人になればなるほど薄れていく。これを人間として成長・進歩といえるはずがないと感じています。
今回、マジックを交えながら我々のレベルに降りていただきご指導いただきました。正直、探究心がうまれるどころか何かあるだろうという疑念が先に生まれている自分がいたところ、宇城先生より「子供はすぐに集まって聞きに来る。大人は疑って遅い。」とおっしゃり、まさに今の自分のこと、見透かされていることになぜか目線をずらすこともできない自分がいました。自分の経験値の中で答えを出そうとする癖は、分かっていても居ついて取れない。結局は自分自身、本質に辿りついていないのだと思います。あきらめるのか、問い続けるのか。
部屋の外で、心こめて礼をし、部屋に入ることの実証をしていただきました。扉の閉まった部屋の外で行う礼であり、だれかが見ている・見ていないという感想をもつことすら無意味であり、身体は正直であり、頭が邪魔をする。身体に問うことの大切さを改めて感じさせていただきました。苦しんでいる人に声をかけることの実証をしていただきました。人に寄り添うことの強さを感じるとともに、明らかに今の日本は逆方向に進んでいるのではと考えてしまいます。
国内では、年始に地震があり、その地震の支援を行う予定の飛行機が衝突事故。感染症が変わらず猛威をふるい、政治資金の問題が明るみになる。これからどのように日本が進むべきか真価が問われています。どう進むべきなのか。一人ひとり真剣に考えなければならない取返しのつかない状況に来ているはずです。自分一人では何もできないのでなく、やるかやらないか。周りからバカにされるぐらい小さな変化でもいいから自分のできることを謙虚にやる。そう思えるエネルギーをいつも宇城先生からいただいています。今後とも、ご指導のほどよろしくお願いいたします。
< 京都 中学校・高等学校 40代 男性 >
20日は、教師塾と京都実践講演会でのご指導ありがとうございました。人間としての思考の癖がどれだけ身体 をダメにしているのか。脳を通しての理解が身体を固くエネルギーのない状態を作り出してしまう。自然と身体 を動かすためには、宇城先生の元で学び、身体を通しての稽古を重ねること。そして、日常の中に落とし込んで いくこと。習慣化していくことが本当に重要であると感じました。しかし、私たちの周りには、多くの疎外要因 があり、頭ばかりで動くような環境が揃っています。子どもたちも同様です。本来自然体であり、統一体である 身体と思考が、学校という枠組の中で受験や比較という場に身を置かざるをえない。気づけば思考停止。エネル ギーが湧いてこず、周囲の顔色ばかり伺うようになり、いつしか自分から行動することを恐れていくとう負のサ イクルになっています。本来逆に学校という場は、未来・希望を示し自ら行動する機会をつくるところでなくて はなりません。そうなっていないということは、「大人の責任」に尽きるとこの日改めて感じました。
大人と社会 が変化しなくては…。
特にそのことを強く感じたのは、午後からのスクラムを押す検証でした。中学生が自ら手を挙げて参加した生 徒は、実際に押すことができていました。もちろん、それまでのやりとりの中で宇城先生がその場の空気を作っ てくださってのことでしたが、それも含め「中学生までなら…」ということ。要するに参加した中学生に「希望・ 未来」をみさせる。「できる自分」を感じさせ、変化させていく。変わっていく姿をみてという指導。あれが本来 私たち学校現場にいる教師がすべきことであり、本来の教育の在り方をみせていただきました。中には、自分か ら手を挙げられない生徒もいたり、「おまえ、いけ」と人に促すような場面もありました。しかし、手を挙げてや れば「できる」という事実をみることで本人だけでなく周囲まで変化していく。講演最後の方では、生徒たちが 宇城先生の話に対して顔をあげ、目をみている生徒がほとんどでした。集団をどのようにしてつくっていくのか という場も見せていただき、感動と共に自分自身の実力のなさを痛感致しました。
結局「やってみせる」という実践ありき、「見せる魅せる」ことを自身が出来なければ、生徒はついてきませ ん。そこに尽きるなと。宇城先生にご許可をいただき、麻子師範に空手のご指導をいただき、そのことが少しず つ理解できるようになってきました。いくら言葉で伝えようと、「ビールの味は飲んだらわかる。」感じ方は人そ れぞれに違う。講演中自分の内面で「自分が変わるしかない。やるしかない」と内面からエネルギーが湧いてきました。
最後になりますが、毎年京都講演会実施にあたり、関わらせていただいていますが、参加する方の輪がどんど ん広がっているように感じます。そして、会場の雰囲気もよく、経験したことがないからこそ湧いてくる疑問が 好奇心へとつながり、それぞれの学びへとつながっていくのだと確信しました。本当に今のこの世の中、「どのよ うに行動すればいいのかわからない」ことばかりです。しかし、宇城先生がその進むべき道をこうして示してく ださること。日本、世界の希望です。ありがとうございます。「師」という存在があることに感謝し、引き続き自 分自身にベクトルを向けて日々の鍛錬していきます。「自分を信じる→自信」自分を信じられるように、行動し続 ける。行動・学べていないから自信がない。自分が変われば、周りも変わる。一進法ですね。引き続き、ご指導 よろしくお願い致します。
< 石川 高等学校 50代 男性 >
教師塾および実践講演会でのご指導ありがとうございました。遠方のため、京都開催時のみ参加させていただいております。
開会にあたり、宇城先生は現在の日本の教育を危惧されており、「ビールの味」を例に挙げられ、実際に体験すること、身体で学ぶことの大切さをお話しくださいました。「ビールの味は飲めばわかる、しかしその味を言葉で説明すると人によって違う」とおっしゃられたように、体験を通した学びが本来の学びであり、生徒自身が未知の世界に触れ、好奇心を持ち、主体的に学んでいくような取り組み方をしなくてはならないのだとわかりました。
さらに、宇城先生はペンを使った手品を披露され、そこから子どもたちに「好奇心」を持ってもらうことの重要性を話されました。同時に1+1=2を証明することはできないことも話されました。知識を重視し口頭で伝えようとする教育では頭で考えることが先になり、私たちが本来持っている力を失わせてしまうことになります。
また、先生は「教師の指導が教師自身を守ること」になっていると指摘されました。これにはまさに自分自身がそうなっていると痛感しました。現在、学校で生徒指導主事、そして野球部の顧問を拝命しておりますが、なかなか生徒たちの力を発揮することができません。自分が関わっている生徒に元気が出ないのも、自分のエネルギー不足なのだろうと猛省しております。
4人で棒を持ち、合図で棒を勢いよく合わせる実証では、宇城先生が気を通されると、合図を出しても棒を合わせることができなくなりました。しかも中にいる人にもエネルギーが伝わり、並んだ5人の大人を押し込むことができました。何度体験しても先生の気の力には驚かされます。そしてエネルギーの高め方について、丁寧に礼をすること、人に寄り添うことを教えていただきました。またエネルギーは寄り添われた側も高まるなど、周りにも伝わっていくことを実証されました。
先生は、教室に入る際に丁寧に礼をすることでエネルギーが高まり、生徒にも影響する。生徒に良い影響があれば、自然と成績等が向上するとおっしゃっていました。私自身これまでも授業の際や、生徒の前で話す機会があれば丁寧に礼をしていたつもりではありますが、今後も丁寧な礼を続けていきたいと思いました。
気をつけなければならないのは、「気合を入れると弱くなることがある」ことです。スポーツの試合では声を出して気合を入れることがよく行われていますが、これがよくないようです。スポーツは競争を教えるだけで強くなれない。スポーツを道にしなければならないということです。相手との競争ではなく、調和を目指し、ただ正しい行いをして自分を高めることが重要だと思いました。
今回の教師塾、実践講演会からも多くの示唆をいただきました。特に生徒に好奇心を持たせるような指導をすることで、生徒自身が進んで学ぶようになり、何かを身に着けることによって自信を持つことができ、さらに自分を高めようとする。そのような教育ができるよう、努力していこうと思いました。私自身も呼吸を実践し、正しく礼をすることや相手の目線に立つこと、人に寄り添うことで、自分自身のエネルギーを高め、周りにもエネルギーを与えられるような存在になりたいと思います。自分自身、日々の業務に疲れていた部分もありますが、もう初心に戻ってチャレンジしてみようという気持ちが高まりました。
< 奈良 高等学校 20代 男性 >
ご多忙の中、今年も教師塾で指導していただき、ありがとうございます。
今回も事前に資料を準備してくださり、どれだけの手間や想いをかけてくださっているか、感謝しかありません。それと同時に、宇城先生の勉強量にはいつも驚かされます。誰よりも忙しいはずなのに、それを言い訳にせずに常に前に進み続ける姿。私はこの姿を生徒たちに見せなければならないと感じました。
しかし多忙の中でなぜそれができるのか、まさしくそれが1進法の考え方なのだと思います。「やるか・やらないか・どうしようか」の3進法、「やるかやらないか」の2進法、「やる」の1進法。私はどうしようかと前に進まずにいるから、スピード感も無く、過ごす時間も薄くなっているのだと思います。
講演会であった、大人が数名でスクラムを組んでいるのを押す実証では驚きました。宇城先生にやりたい人がいるかと聞かれ、即座に手を挙げて「やる!」といって出てきた中学生は簡単にスクラムを倒すことができました。しかし、前に出ることを渋っている人はスクラムを倒せません。どうしようか迷って3進法の考え方をしていては、ただ遅いだけでなく、力も出せなくなるのです。
授業で生徒に「やりたい!」と思わせるためには、好奇心を掻きたてるような授業にしなければなりません。好奇心をもった生徒は、自分から学ぶようになります。私は、生徒の好奇心を掻きたてるような授業をできているか、全然できていません。生徒を惹きつけるような魅力もありません。それが今の自分です。
午後からの講演会で、最初はそわそわしていた子どもたちも、講演会が終わる頃には顔つきが変わっていました。顔は上がり、次にどのようなことが起こるのか、楽しみにしているような顔でした。これが、生徒の好奇心を掻きたてる指導なのだと感じました。宇城先生が、魅力で子どもたちを惹きつけたのだと感じました。
宇城先生から礼の大切さを教えていただき、4月から今まで、教室に入るときの礼を続けてきました。そうすると、前年よりも今年の1学期、1学期よりも2学期と、どんどん出席率が良くなりました。そうなることは分かっていましたが、とても驚いています。できることが少ない自分ですが、それを受け入れ、少しずつ前進している実感はあります。しかし、それでは足りません。とてつもなく速いスピードで先をゆく宇城先生の姿を見せていただき、そう感じています。
今回の教師塾でも、たくさんの学びや気づきを頂きました。ありがとうございました。
< 奈良 高等学校 30代 男性 >
先日は教師塾、実践講演会においてご指導いただき誠にありがとうございました。組み合った人を大人が倒せず、子どもが倒せる。子どもに触れられただけで大人が倒せるようになる。何回も見せていただいていたはずの実証が今回すごく新鮮に感じられて、感動を覚えました。大人はできない。子どもはできる。大人が子どもに力を引き出してもらっている。この事実が今までにない形で自分の中に入ってきました。
現任校での在籍が長くなり、立場が変わってくる中で、自分の在り方を考えることがここ最近増えていました。自分は今、これからどうあるべきか、どうなるのか。自信がなく怯えていたのだと思います。そして知らぬ間にハウツーを探して、知識を着飾って虚勢をはっている。自分が陥っている状態に気づかせていただきました。同時に、不安がなくなり希望が見えました。できる子どもの邪魔をしてはいけない。謙虚であること。素直であること。逃げずに向き合い、寄り添い、同じ方向を見ること。身体があるべき姿勢をわかっていました。素直で正しい姿勢であること。その身体を自分で作っていけるように精進します。
他人に行かせる人よりも自分から行く人が強い。できることを身体が知っているから自分から行ける。こうして自信がある人ない人、行動する人しない人の差がついていくのだと気づかせていただきました。教師塾で学ぶからには差をつけないといけない、というお言葉も胸に刺さりました。生徒を元気にする。希望をもたせる。そのために一進法でスピード感をもってやっていきます。たとえできないこともできないと素直に認め、悲観せず、できるようにやっていこうと思います。
宇城先生に1日ご指導いただく中で、自分の身体の変化が本当にうれしく、無意識に笑顔になっていたと思います。身体も常に温かく、寒いはずの外に出ても寒さを感じないほどでした。周りを見渡しても笑顔が多く見られました。会場全体が笑顔、エネルギー、希望に満ちた空間でした。中学生がみるみる変わっていく様も印象的でした。こんな空間で学ばせていただけることは本当に幸せなことだと感じます。先生に学ばせていただいているからこそ、変化、進歩のスピードを上げて精進していきます。今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
< 奈良 高等学校 30代 男性 >
目に見えない量子力学の世界は、実証によってのみ私たちは目にすることができ、体感することができる。実証の偉大さ、言葉ではなく体で知る、分かることの意味をまさに体験することができました。自分の知らない、考えも及ばない世界を目の当たりにすると、自分の無力さ、無知さを思い知ります。同時に、自分が成長するためにできることがまだまだあると感じます。生涯を通じて成長すること、昨日の自分よりも成長できるように日々精進したいです。
こんな考えを生徒にどうやって伝えられるのか、という点に思考を巡らせてみると、手品のように一時的に興味を持たせるものよりも、やはり自分が率先して実践をし、その背中を見せられなければならないと思います。実践を通してこそ、そしてその姿勢にこそ人はその人物に惹かれます。自分の実践が誰かに良い刺激を与え、その人がまたさらに別の人へと、と伝播していけばいつか良い未来が待っているのではないでしょうか。楽観的ではありますが、そんなことを考えながら生活すると自律心が芽生えます。
自分の指導を構成する要素で大きな割合を占めている英語教育を通して本質的なことを伝えていきたいです。英語というプラットフォームを通して伝えられることは山ほどあります。授業という貴重な機会において受験勉強だけに時間を費やすことはあまりにもったいない。授業はあくまできっかけとして、自分からやってみたくなる、試してみたくなる、そんな欲求を掻き立てるような指導がしたいです。そして、その指導の根底にはやはり他者へ寄り添う気持ちがなければならないと思います。先ををとり、まだ見ぬ世界において自分の関わった生徒が活躍することのできる素地を築くような指導がしたいと思います。その上で自分が世間知らずでは話になりません。全体を捉える、本質をみることがいかに重要か思い知りました。自分を変容させながら、自分の周りの人間に寄り添うことで良い影響を与えていきたいです。本会もご指導頂き、ありがとうございました。
< 奈良 高等学校 50代 男性 >
昨年末に初めて甲子園に出場した時の選手ら久しぶりに電話があり、その子を含む数人と会いました。電話の本人は大学卒業後、大手不動産会社に勤めた後に数年で退職。その後は市役所に勤務。教育委員会や主要箇所を歴任した後、体調不良(過食、激太り)と精神疾患(鬱傾向)が重なり、仕事、毎日、将来に全く希望を見いださせないとの理由で退職。今は子供に野球を教える野球塾で生計を立てており、事務職員やアルバイト生も雇いながら自らの手取りも月に片手は十分にあるとのこと。生き生きとした様子でした。「そうか・・・。」
他のメンバーも結婚して家庭を持ち、中には自分の子供が所属するチームに指導者として係わる機会もあるとのこと。野球はしていなくても来ていたみんなが共通して口にしたことに私はびっくりしました。「先生、子供をどう育てたらいいのかが正直わかりません。子供にどのように係わっていったらいいかがわかりません。どんなことを大事にして野球を教えていいのかがわかりません。」「そうか・・・。(すまんな)」
「自分(東京メトロ丸の内線運転手)は、先生のあの厳しいご指導のおかげで今は上司にどんなに激しく罵られようがパワハラを受けようが、お客さんからクレームや罵声を浴びせられても全く平気です。体力も気力も充実していて大丈夫です。でも自分の子供や野球チームの子供達にどのように接したらいいのかがわからないんです。」「そうか。自分が受けてきた指導には疑問は持たないが同じ事を子供達にはしてはいけないという感覚はあるということやな?」「はい。」「おまえら幾つになった?」「38です。先生が甲子園に僕らを連れて行ってくれた年齢になりました。」「そうか。なんであの時に甲子園に行けたと思う?」「先生の情熱です。それだけです。」「それだけ?」「はい。」「違うな。おまえらに情熱はなかったのか?」「ありました。」「そやろ。」
年始には夏に甲子園に出場した時のメンバーと会いました。「もうあれから10年たったな。最近はどうや?」参加していたほぼ全員が既に転職を経験。全員が口をそろえて同じ事を言いました。「理想と現実、自分の考えと会社の方針、他の社員との考え方の違いに戸惑うばかりです。人間関係が本当に大変で難しいなと感じます。」「そうやな・・・。」
【新訳 留魂録 吉田松陰の「死生観」 松浦光修 編訳】の「おわりに 魂をとどめて」のところに、『死の直前まで、冷静に自分をかえりみて、「あの時、私は、ああ言ったけれども、それはまちがいであった」と、〝私〟を〝更新〟し続けることは、かなり立派な人でも、なかなかできるものではありません。下手をしたら、それは人がもっとも恐れる自分の〝過去の否定〟にもつながりかねないからです。しかし、松陰は、けっしてそれを恐れることなく、つねに前を向きつつ、死によって、みずからの命が絶ちきられるまで、〝誠〟の心のもとに〝私〟を〝更新〟してやみませんでした。いわば死ぬまで〝学び〟の姿勢を崩さなかった人である・・・・・ともいえますが、私は、もしかしたら、そういうところに松陰の〝魂〟の力の源があるのではないか、と思っています。』と、あります。
宇城先生が自身の著書へのサインとして記される〝至誠〟まさに、先生の内外の〝姿勢〟そして生き様、行動・実践と全く一緒です、一致します。また、先生の「死ぬ時が最高だ。」ということばともピタッと重なります。この『留魂録』も11年前のちょうど今頃、先生から教えていただき手にした本です。
人はつまらないですが、人間はエネルギー変換できる生き物であることも先生に教えていただきました。今回の教師塾においても、午後からの実践講演会においても見せていただきました。その変換スピード、0・0・0に戻る、そして動く瞬発力、爆発力が重要でそのような身体を練っていくこと。日常で、授業で、仕事で、教育現場で、家庭で。やるしか、鍛えるしかありません。その結果が変化。
悲しみ、苦しみ、恨み、辛み、寂しさ、憎しみ・・・これら全てを生き抜くエネルギーに変換する。愛とは・・・。寄り添うとは・・・。心とは・・・。
出来る。出来ている人がいる。やり続けている人がいる。進化し続けている人がいる。先生の気が証明しています。実証しています。
そこに向かって走る。目の前にいる人、子ども達。想う人・子ども達、念う人・子ども達・・・。先生が仰る「教育が全て。」希望ある未来にするためにも〝変化〟が求められます。ずっと、ずっと死ぬまで。近づく。やり抜く。成し遂げる。
先生、引き続きご指導、何卒よろしくお願い申し上げます。
< 京都 中学校 男性 30代 >
私自身社会科の教員として、社会で起こっているさまざまな現象・事象に対し、アンテナを高く持っているつもりであり、それなりに知識量を増やせています。その反面、それを踏まえて、「ではどうやって対応する?」を伝え、考えさせることに難しさを感じています。ともすれば子どもたちの理解が・・・という思考になりがちですが、今回のこの公演で私自身が変わらなければならないと実感しました。
不易流行という言葉があります。「変わらない大切なもの」「変わっていく大切なもの」を表した言葉ですが、宇城先生の教えはまさに「不易」であり、その教えは日々移り変わっていく社会情勢の中で、忘れてはいけない大切な教えであると実感しました。
①「対立」ではなく「同調」
②思いやることの効果
③礼の意味
もちろん大切だということはわかっていても、普段の生活の中ではどうしてもおざなりになりがちな部分です。しかし、そこに「本質」があり、その本質があれば、社会のどんな変化にも対応できると思えました。
私の当面の目標としては、「授業を『授業術道』と言えるほど磨く」ことです。とにかくエネルギーを高く持ってやる。生半可なマジックではなく、種のない本質を重視し、子どもたちの知的好奇心・興味を強くくすぐることができる授業を作ります。
なかなか体験できない貴重な時間を過ごすことができました。また、参加したいと強く感じています。ありがとうございました。
< 京都 中学校 男性 30代 >
この度はご指導いただきありがとうございました。
講習の中で、現在の教育は受験のための教育になっている。その部分を無くすわけでなく、包み込む、もっと大きな柱を持ちなさい。と教えて頂き、新たな価値観を教えて頂きました。どのように、子どもたちに興味を持たせるか、と考えているものの、受験があるので、あれやこれをしなければいけないと日々考えていました。
今回、教えて頂いた価値観で、子どもたちに興味の持てる授業や話しをしていきたいと思いました。
そのためには、もっと勉強し、世の中の道理や本質が理解できるようになり、子どもたちにも、物事の本質を捉えることができるように、教育できたらと思います。
たくさんのことを学ばせて頂き有難うございます。
< 奈良 中学校・校長 50代 男性 >
宇城先生、大変ご多忙の中、第1回京都実践講習会でのご指導、誠にありがとうございました。今回は、午後からの参加ということで、道塾のみなさんや先生方をはじめ小さい子どもさんから中高生、大学生一般の方など年齢が多岐に及んだ方々と一緒に講習を受けさせていただき大変楽しく多くのことを学ばせて頂きました。
特に、今回の講習会で心に残っていることがエネルギーいうことです。先生の指導の中で、十名近く縦に並んだ大人を前から押すという実技でしたが、もっともすぐに押すことが出来たのが小さい女の子でした。この実技体験を通してたくさんの気づきと学びをいただきました。まずは、子どもがすぐに出来ることを通して、大きなエネルギーを発揮する状態とは、子どものような素直な欲のない心、純粋な心が大事だといういうこと。どうしても大人になればどんどん頭で結果や様々なことを考え行動することで自然や宇宙のエネルギーを取り込めなくなるのだと気づかせて頂きました。子どものように純粋で素直で好奇心旺盛な心を第1にすることが自然のエネルギーいただくことにつながるのかと感じました。
私は日頃、管理職ということで、大人との関わりが多くなり、現実的な対応が求められるのですが、子どもたちの教育という未来に向けての種まきのような役目をさせて頂いています。いつまでたっても子供心を忘れないということを肝に銘じていきたいと思います。 また、正しい礼によって強くなること、また寄り添う姿勢で接する、行動することによって強くなることを気づかせて頂きました。礼とは相手を大切にする心の表れであり、寄り添うとは自分を無くし相手と一体になる調和することになるのかと思います。心を寄せあうことよって大きなエネルギーを生み出すことが出来る。大自然や宇宙はそのように出来ているのだと感じます。実際、日頃の学校教育の現場においても様々な生徒や保護者との関わりや対応があります。現実が厳しい状態になるのは、教員が生徒や保護者に寄り添うことができず、正論や規則、自分の都合で接している場合が多く、対立構造になり事態がなかなか進展しないことがあります。逆に、どのような生徒であってもその子を受け入れ寄り添い愛情を持って接することにより、信頼関係が深まり、保護者との連携もスムーズにいくようになる。学級も同じでその受け持つ人の生き方姿勢がその空気感を生み出していると思います。
先生のご指導の中で同じ目線になるとエネルギーが大きくなるということを教えてくださいました。上から目線ではなく同じ目線でというのは、本当にハッとする思いでした。相手の心にはいるとは、同じ目線で謙虚な姿勢で接することだと感じました。 それから、先生のお言葉の中に、ユーモアや笑いが大事ということがありました。先生が腕を捕まれたときに、猛烈な痛みと同時に笑いがでる、笑顔になる。エネルギー高まるから笑いがでる、そして何かの時にユーモアや笑いがあると体が記憶するとおっしゃいました。本当にその通りだと思いました。先生のご指導には、いつもユーモアがちりばめられ本当に体にしみいる感覚があります。指導頂いた一つ一つの実技体験やお言葉が私の日常の指針となっております。今回特に心に残った、子ども心、礼、寄り添う、ユーモア、笑い、調和、エネルギーなどのキーワードをしっかりと心に刻んで日々日常生活で実践していきたいと思います。今回は、プロの選手の参加もあり、野球の実技にも即活かせる指導がたくさんあり、大変貴重な学びをさせて頂きました。
私は、管理職ということもあり直接子どもたちを指導する機会が少なくなりましたが、先生に教えていただいた指導のポイントを本校の子どもたちにも伝えていきたいと感じました。今回の講演会に参加させていただいて、私が教員を目指すきっかけであった好きな野球を伝えるという目標を思いださせていただきました。本日は、改めて初心にかえり、本当に楽しく多くのことを気づき学ばせていただきました。自分の目標であるすべての人が元気に希望をもって前進できる学校づくりに励んでいきたいと思っております。宇城先生、本日はお忙しい中ご指導いただき誠にありがとうございました。ご指導いただきましたことを糧としてこれからも精進し日々の生き方に繋げて参ります。今後ともご指導の程、どうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
< 岐阜 高等学校 40代 男性 >
京都における実践講習会でのご指導ありがとうございました。今回の参加は遅れての参加となり申し訳ありませんでしたが、途中から会場に入った途端、会場の外との熱気の違いに驚きました。室温というより、熱気にあふれているというか空気の密度が濃いというのか、うまく説明できませんが場の空気感がすごかったです。
力ではなく、エネルギー。そしてその連鎖。それが参加者による実証で目に見えてよくわかりました。野球選手に対しては、野球の動きのなかでどうすればエネルギーを出せるのか、具体的な指導によって、一瞬で選手が変わります。選手一人一人の動きを瞬時に見て修正するその指導力。何よりも動きが変わるのはもちろんのこと、その表情に光が差すのがよくわかります。その後小さな子どもが腕相撲で何人もの大人を倒す場面で気づいたのが、その子どもは宇城先生に指名されて前に出てくる時点ですでに、先の野球選手に希望の光が差した表情と同じ表情をしていたということです。真剣な表情の中で、すでに目が輝いていました。子どもの持つ力を目の当たりにしました。
さらに、全体に向けての指導では、エネルギーが人に伝わっていく様子を見させていただきました。腕を組み、輪をつくり回転や波を起こす。ものすごいスピードでそれが伝播し大きなうねりとなる。その輪のなかにひとたび放り込まれればそれによって翻弄されてしまうのですが、なぜかそれが楽しい。その場に起こる笑顔と活気。その場にいるだけで元気が出てくる。年齢も性別もなく、そこに生まれる一体感が楽しく、自然と笑顔になります。
場の空気というのは本当にすごいです。今回宇城先生とともに呼吸法を実践しました。いつも自分一人でやるときとは全く違いました。自分一人では余分なことが頭をよぎったり、身体がひっかかったりすることが多いです。何度やっても自分一人ではこれまで今回ほどの「重心が落ちる」感覚はありませんでした。そこに宇城先生がいるというだけでこれほど変わるものなのかと感じました。そしてその場にいたことで自然と明日への活力や希望が湧いてきます。
正直なところ、「よし!今日も働くぞ!!がんばろう!」というモチベーションで仕事に向かうことができる日ばかりではありません。何か気がかりなことがあったり、逃げてしまいたい気持ちがあったりして、しんどいなと感じることもあります。ですが、そこをひと踏ん張りして立ち向かっていくと少しずつ一皮むけていくような感覚があります。
実は年末から年始にかけて、学校生活に問題を抱えるある一人の生徒がおり、彼や彼の保護者とのやりとりそのものがストレスとなっていたことがありました。一般的にはモンスターペアレントと呼ばれるような生徒とその保護者です。しかしながら先日ふと、その生徒に対して、逃げずに踏み込んでみようと意識を変えてみたことがありました。生徒の内面を信じて、彼の心の内側をうかがおうとしてみました。たったそれだけのことなのですが、彼や彼を取り巻く環境はもちろん、私自身のストレスも感じなくなりました。逃げている身体や、逃げている心からは何も生まれてこないということを実感した出来事でした。
改めて今年一年も私自身が少しでも生徒の活力、エネルギーをなれるよう精進してまいりたいと思います。今後ともご指導よろしくお願いいたします。
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