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2024年 創心館幹部合宿レポート

淡路島創心館総本部道場にて、7月11日(木)から15日(月)までの5日間において、創心館幹部合宿が行われた。宇城館長の元に榎本麻子師範、宇城拓治師範を始め全国から幹部、アメリカ、ヨーロッパからの支部長が集い稽古が行われた。


創心館空手が目指す道とは、競技空手ではなく人間の叡智と人間の潜在力を引き出す、現在における武術空手である。


競技空手と武術空手を分けるものは何か?「武術空手はあらゆる攻撃に対して相手を防御し、それには相手をゼロ化(無力化)することであり、また極めは一撃必殺の反撃が出来る事で、それには手足などのすべての部位を武器化する必要がある。そして相手を観念させ、ケガ防止のため「投げ」で極める。


これらを可能にするには、意識領域では不可能で、無意識領域すなわち、潜在意識領域下で、初めてその真価を発揮する。それが出来ないなら、それはオタク空手であり、そこには一切の価値は無い。」

宇城館長は厳しい言葉で参加者全員の気持ちを引き締め、稽古が始まった。



相手の攻撃に対し「受け、反撃」では絶対防御はできない。常に「先を取り」「相手の二の手を封じること」こそが宇城空手の特徴である。二の手を封じるとは相手を無力化することである。そして極めとしての投げを行う宇城館長。




宇城空手は相手の無意識領域に働きかけるので、事の起こりを押さえ、先を取る事が出来る。相手の無意識領域に働きかけるので相手は反応出来ない。無意識状態に相手に入るという事は寝ている相手を打つのと一緒である。そこで「打とう」という意識が出たら相手の反射領域で反応されてしまうので、無意識領域で相手を刺していくことが肝心である。



激しい攻撃でも、無意識領域に働きかけるため、相手は簡単に無力化されてしまう。



言葉での説明と合わせて、それが実際に何を意味するのか、天の型やサンチン、ナイファンチを中心とした5つの型を通じて様々な角度から稽古が行われた。



全体での型稽古

創心館総本部道場という特別な場所に、宇城館長から長く学んでいるメンバーが4泊5日で集う。館長の指導にかける気迫と覚悟は並々ならぬものがあり、稽古中も懇親会中も「何のために宇城空手を学んでいるのか?何のためにこの場があるのか?」、との問いかけと共に「信念を持つ、確信を持つ、常に創意工夫して検証する」とのメッセージがあり、館長と過ごす一瞬一瞬が稽古の場である事を各参加者は実感した。


「学ぶとは先ず自分のビンの蓋を取り、中身を空にした上で新しいものを入れる事である。頭で考える、心を閉ざしているという蓋を閉じているのは論外として、そもそも中身を空にして無意識レベルで教えを受け止められているのか」という問いもあった。意識は我欲であり、そこには身体のクセ、心のクセがある。これらの我欲を取るために型や分解の稽古法がある訳だが、それも頭でやっているのでは意味をなさない。


最終日には榎本師範の下で学んでいる子供も稽古に参加し、そこで宇城館長はやって見せて、写すというのはどういう事なのか、大人でもできないことをやってのける子供に、今の常識が常識でないことを理屈抜きに感じた。また「指導は言葉ではない。」という事を実例をもって参加者に示した。



対立が起こらず、簡単に大人の列を投げる


合宿を通じて、「頭で考えるな、身体で考えろ、感じろ」という館長の指導を参加者全員が実感すると共に、特別な機会と特別な時間を過ごし、参加者の一人一人がより進化(深化)するためにそれぞれ覚悟と決意を新たに創心館総本部道場を後にした。




 

参加者感想

 

■マーク・エイブラムス ニューヨーク支部長


この新しい気づきをどう表現して良いのか分かりません。

視覚的な認識というほど、見ている訳でもありません。宇城先生の動きと、先生が我々に体験させてくれている時以外の自分たちの動きとの違いが、初めて分かるようになりました。


先生は相手のエネルギーフィールドを乱さないように動くユニークな能力を持っていらっしゃいます。喩えるなら、静止した水面に石を落としても波紋が生じない事に似ています。先生の動きが遅かろうが早かろうが関係ありません。これによって先生はエネルギー的にも肉体的にも我々の中に入ってきて、それに対して我々は効果的に認識する事も出来なければ、反応も出来ません。宇城先生に触れている時(あるいは先生に触れている他の人に触れている時)、我々は無重力空間に落ちているように感じます。


陰陽のシンボルには正弦波状の線があり、一般的にこの線を、エネルギーに入る時とエネルギーを受け取る時の調和と呼んでいます。宇城先生はこの調和エネルギーの体現者です。人々はこの事について話しますが、先生は実際にそれを体現し、我々の中でもそれを再現する事が出来るのです。学び手である我々は、先生が我々の中で再現されようとしている事をブロックしていると言う点で、自らが最大の敵となっています。


稽古における我々の自ら妨げる葛藤は宇城先生にとってフラストレーションの原因であるだけでなく、我々にとっても大きなフラストレーションなのです。今回の合宿は、自分にとって個人的な葛藤でしたが、このような貴重な気付きを得る事で、大切で前向きな変化を起こせる事を期待しています。


土曜日の昼過ぎに、私はようやく自分がどれだけ自分に「パフォーマンスを示す」と言うプレッシャーをかけていたかを自覚しました。それが先生の教えを写す事を邪魔していました。午後にそのプレッシャーから解放されると、稽古の後半に先生の体現を体験出来、一日の終わりに、その短い経験を振り返る事が出来ました。


自分のこれまでの稽古へのアプローチには大きな欠点がありました。新しい学びを、既に理解していると思っているそれまでの自分の型に取り込もうとしていたのです。これでは学びを体現することを妨げてしまいます。


今は、先生がこの合宿で私の中に変化を生み出してくれた時の感覚を再現することに集中しています。この感覚を維持しながらそれぞれの型を行っていこうと思います。そうする事で、内面的な変化が型という器を創り上げていくようにしたいです。また、榎本師範からは腰の硬さをほぐす練習方法をご指導いただいたので、こちらも精進します。宇城先生に直していただいた自分の型を稽古するのと合わせて、先生のご指導のもとで経験した内的状態を維持するよう努めます。


 

■ジョシュ・ドラックマン  シアトル支部長


先日の幹部合宿は、私の大人になってからの人生の中で最も濃密な学びの体験でした。5日間連続で宇城先生から学び、先生と共に体験し、疲れ果てると共に、自分の修行と将来の成長に対してとてつもなく興奮し、活力をいただきました。


2日目に先生は私に2つのことを直接指摘されました。私の突きの硬さと、様々な領域に渡る腕受けの誤りです。それは私がただ 「間違っている 」という問題ではありませんでした。自分の腕受けが身体的にどれだけ外れているかであり、直しようが無いという事でした。腕受けが正しく体現できない以上、どんな指導も不可能なのです。自分でも、今変化しなければ、自分の悪い癖がさらなる進歩を阻むということを感じていました。さらに、もし私の突きがこのまま硬いままなら、先生は私の腕を折らなければならないかもしれないとも感じました。


この一週間、先生から直接ご指導いただいたサンチンを始め、背中への呼吸の落とし方、腕だけでなく身体全体で締まりを直すことの大切さ、膝を母趾と第二趾の間の上に出し、腰が後ろに座らないようにする事(合気道から染み付いている悪い癖です)など、サンチンだけでなく、腕受けの課題も含め、空手全般について気づきをいただきました。


淡路からシアトルに戻って以来、自分のサンチンにこれらの変化を加える事に取り組んでいます。とても変化を感じます。先生からの直接の教えが、私の身体、型、内面的な感覚、そして空手全体に良い変化をもたらす事を期待し、興奮しています。構えの変化は、すでに猫足立ち、平足立ち、四股立ちなど、私のすべての構えに及んでいます。ただ大切なのは、単にあれやこれやをより正しく行うということではなく、より効果的に、全身を使って完全に動くという事です。


最終日の最後の1時間、宇城先生は時間を割いて直接、そして厳しく正しい腕受けについてご指導いただきました。目と身体で受け止めなければならなかったこのご指導は、正しい感覚と型を家に持ち帰り、5日間の合宿の総まとめとして残りました。

今回、宇城先生からいただいた空手を再開するための素晴らしい教えの数々を持ち帰る事が出来たと感じており、とても感動すると共にとても感謝しています。


 最終日の麻那ちゃんと創太君を見ていて、彼らがいかに自然体で美しいか、広い空間全体に感じられるエネルギーを持っているかに驚かされました。だからこそ彼らは素直なのです。宇城先生は彼らに、たとえば人の列をどう動かすかといった事を示すことが出来ます。そして彼らの身体は、先生が示したことをすぐに実行できるようになっています。


一方、自分にはそのような能力がないことを痛感します。それは、あれやこれやの技を繰り出せない事よりもずっと大きな事です。型稽古を通じてしかるべき身体を作る事に、これまで失敗してきたという事です。この気づきは私にとって重要なもので、これにより自分の現状をより明確に把握し、自分の稽古の方向性を見定める事ができると思います。


この合宿の全体的なテーマは、「宇城空手はどんな攻撃にも対応できる」というものでした。先生は合宿の間中、このテーマを直接的に多くの例で示し、親切にホワイトボードにこのテーマの様々な要素の詳細なアウトラインを示してくれました。自分が感じたのは、先生が概説してくださったようなことを達成したり生み出したりするには、自分が大変遠い所にいる事でした。自分のこれまでの稽古は、己の現状維持に過ぎず、さらなる進歩を妨げるような心と身体の習慣を強化するものでした。自分の稽古や人生において、まったく「真剣」になっていない事が分かりました。これを自覚する事が、これまでの稽古や生き方を変える鍵になると思います。今回の合宿で学んだことを糧に、より正しい身体と心を身につけられるような稽古方法を見つけ、より充実した 「宇城空手 」を目指します。この合宿での経験を糧に、今後の稽古に励み、成長していきます。


最後に、私たちは5日間連続で、先生の信じられないような気の使い方と感覚を通して、とても幸運な教えを受けました。道場中の年配の大人たちを何時間も子供のように笑わせ、動き回らせる先生の見事な能力は、潜在意識レベルで私たちの存在の核心と身体の細胞に影響を与えました。適切な言葉が思いつかないのですが、この経験から我々の無意識レベルに学習とプログラミングがあったと信じています。適切な稽古、好奇心、革新性、決意、そして宇城空手への信頼と決意によって、これらの潜在的な能力が私の中で目覚め、前面に出てくるようになるのだと信じています。


 

■ジーナ・ドラックマン シアトル支部


2024年の淡路合宿で、先生はまず合宿のテーマを説明しました。効果的な空手はどんな攻撃にも対応できなければならず、そのためには相手をゼロ化しなければならないという事です。 型の稽古を通して自分をニュートラル化する事を学び、分解の稽古を通して自分と相手をニュートラル化する事を学ぶ。


意識できる表層意識は心の5%に過ぎません。 空手が己の身体を武器にするために必要な深さに到達するためには、無意識と呼ばれる残りの95%にアクセスする必要があります。そうすれば、(自分と相手の両方を守る事で)怪我を防ぎ、相手にダメージを与えるのではなく、投げで争いを解決することができます。潜在意識の可能性は心から生まれ、意識だけに頼る事は欲望とエゴにつながります。


最も人間的な意味での「生きる」とは、無意識に関わる事なのです。武道の極意である「先を取る」や、「事の起こりを押さえる」などは、無意識の領域です。 これらを活用すれば、無意識の領域からの行動なので、対応できない相手を守る事ができます。

その後、「腕受け投げ」で先を取る稽古をしました。 先生が示された時、私は投げについて新しい認識を持ちました。 先生は相手の突きの腕や肩に触れていないように見えました。腕や肩が動くのを感じながら、その周りを動かしているようでした。私がやってみると、相手との身体的接触を減らし、代わりに彼女の周りの雰囲気を動かしながら入る事で、衝突を避ける事ができました。  私はこのプロセスをかなりゆっくり始めている事に気づいたので、より空手的になるように(私の稽古での繰り返しのテーマです)、回数を重ねる毎に入るスピードを上げるようにしました。相手の攻撃の意図を感じ、すぐに入る事に集中する事で実行しました。


月曜日に合宿を終えての全体的な感想は、型、特にサンチンをもっと稽古する必要があるという事と、より稽古の深みに至るよう身体呼吸を重視し、95%の無意識にアクセスできるように努力すべきだという事でした。 先生に会う度に、稽古時間を増やす必要がある事に気づき、少しずつ型に費やす時間を増やしています。 自分の気質が全体的にニュートラルになってきているのを実感していますが、これは空手の稽古の成果だと思います。


学んで進化しようとする自分に対する宇城先生、榎本師範、拓治師範、そしてUKコミュニティーの皆さんの愛とサポートと優しさに感謝しています。

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