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第4回 関西 宇城教師塾が開催されました


2024年11月20日(水)、立命館宇治高等学校にて第4回宇城教師塾が開催され、関西近郊、遠くは山口県や岐阜県からも教育関係者34名が宇城塾長のもとに集まりました。

増え続ける不登校となる児童・生徒、いじめや暴力行為と行き詰まった教育界において、教員が気づくべきこと、目指すべき道を実践、身体を通じてご指導いただきました。


予定より早く始まった今回の講義では宇城塾長が気を通すと、イスが重たくなるという実践からスタートしました。今回初めて体験された方は、目の前で起こる宇城塾長の実証に少し理解が追いついていない様子でした。しかし、続けて受講している塾生の眼差しは、圧倒的な実証を目の前にみるみるうちに変化していきました。

宇城塾長が気を通したイスが重たくなる




その後に行われた講義では、「行き詰まった教育界のなか、子どもたちのためにも先生方が早く本当の「力」に気づかなくてはならないこと、既存の古典力学ではなく、5次元の世界、量子力学への気づきが必要である。」ことをご指導いただいた。




講義の後、宇城塾長により量子力学、調和の世界を体験させていただき世間一般に言われる「力」ではない「力」を私たちも持っていること、またその「力」を私たちも発揮できることを心の在り方と合わせてご指導いただいた。



大人の力で押してもスクラムは動かない


統一体の宇城塾長はいとも簡単に押すことができる







力ではスクラムを押すことはできないが・・・・

寄り添う心を行動に移すと・・・・

5次元の力を発揮することができる



宇城塾長からは、「これはエクササイズにすぎない。寄り添うという心を日常で実践し、身体に染みこませることで自分のものになる。」とご指導いただいた。




力で引っ張っても、列を引くことはできない


教員は、無意識に「先生と生徒」と壁をつくってしまっている。身体を生徒と同じ方向に向けることで、その壁を無意識下で取り払うことができ、生徒と調和する間になる実践を全員が体験した。




宇城塾長が気をかけると、列を作った全員と調和し引っ張られる





4人で押さえた机を宇城塾長はいとも簡単に押すことができる




押さえる人数が多ければ多いほど、逆に机は大きく動く

気を通される、エネルギーを通されると動き続けるという、

疑いようのない五次元の世界を体験させていただいた



五次元のエネルギーは相手に伝わり、相手の身体をも強くすることを教えていただいた




今年最後となる第4回宇城教師塾は、講義あり体験あり実践ありでいつも通りあっという間の2時間であった。普段公務、生徒対応に追われ本当に大切にしなければいけないものを見失いがちだが、宇城塾長のご指導を通して教員としての使命に改めて気づくことができた。


冒頭にもあったが、不登校、問題行動の増加は今の教育の限界を示している。そのなかにあって宇城塾長のご指導をうけた受講生は、打開策を身体を通して教えていただくことができた。


毎回のことではあるが、講義終了後は受講生がいきいきとし明日の教育活動への希望を抱き帰ることができた。



 

受講感想文

 

【京都 中学校 男性  40代】

 

古典力学の世界からの脱却。量子力学の世界とはどんな世界かという知識で学ぶと途方もなく難しく理解できない内容を実証という目に見えて、触れることができる感じることができる唯一無二の指導をして頂き改めて、今の世界に先がないこと、年と共に希望がなくなる世界であること、そして、世界が今求めているものAIという新しい世界が入ってきた今、覚えた知識を競い合ったり、競争させて自分が優位性を持つその中で得られる満足感や優越感みたいなものに価値や希望はないということが分かり、先生の世界を少し見えたそんな講習会でした。


その中でやはり教師はそのことを知った上で何倍も勉強を重ねることが必要不可欠で、何故そうなったか、の本質に辿りつけるぐらい勉強しないといけない。今日学んだ寄り添うこと、その対極が対立の世界です。先生が何度も仰った子どもはできる、けど大人はできない。大人だけでなく、フルコン空手を習った海外の子どもも同じようにできない。映像を見ても、明らかにできる子どもとできない子どもでは押す前の空気感が全く違う。押せる子どもにはエネルギーがあり押せない子どもは空気が止まっているように見えた。人間は宇宙が生み出したもの、量子の世界には境界ははない。全ては一つ。目に見えるものしか見ない者と、目に見えないものを見ようとするものでは世界が全く違う。宇城先生はその見えない世界を言葉ではなく、実証と体験である世界にして我々の真の力、真のエネルギーを引き出そうとして下さっている。一つ言えるのは、古典力学では人は変えられないということです。人を変えるのは間違いなくエネルギーの世界、そのエネルギーに包まれることによって人を守り、救うことができる。そのヒントが今日もあった、同じ目線になり、やはり謙虚になること。そして寄り添うこと、その中でエネルギーの交換ができ、先生が仰る人間の魅力が生み出され、世界が変わっていく足掛かりとなると感じました。教育の課題にもあるように、学びっぱなしで終わらないよう、学びを実践するという本来あるべき形を自分自身で実践し、行動するという心ありをしていき、先生の学びをさらに深めていけるように、精進していきます。御指導ありがとうございました。

 

 

【京都 中高一貫校 男性 40代】

 

昨日は、教師塾でのご指導ありがとうございました。教師が変わらなければ日本は、本当にダメになる…。闇バイト。覚醒剤、大麻の薬物。殺人、これからは人身売買が日本でも始まる…。先生が予想されることは現実になることをこれまでもずっとみてきており、そうしてはいけないという危機感を持ちました。


子どもをダメにしているのは、教育です。大人です。ほとんどの日本の教育システムが知識詰め込みの頭の教育になっています。「考える」ということの本質がわかっておらず、また評価される指標が「○○高校合格。○○大学合格」といったものしかありません。子どもたちがそのシステムに耐えることが出来ずに、「学校が楽しくない。行きたくない。」不登校の数は、小中学生で34万人となり過去最高の数字となってしまいました。学校は「楽しい」だけではダメです。達成感や生き甲斐を感じる場でなくてはいけません。しかし、その場を作ることができる大人がいない。力がない。システムがない。これを食い止める方法は、宇城先生の教育しかありません。「実践ありき!」とよくご指導を大人にしていただきますが、これは子どもも同じです。さまざまな活動の実践の場を作ることが、教育現場に今求められているのです。小さくてもいいので成功体験できる場を作ることで、生徒は自然と「考えることや学ぶこと」の本質を理解し始めるのです。


そのような意味では、留学というシステムは、まさに実践です。その環境で生き抜いていくために、言語を習得しなくてはいけない。自分がどうしたいのか主張なくてはいけない。親がいないため、ホームステイ先の習慣や国の文化・歴史を理解しなくてはいけない。「生きるために学ぶ」という実践を1年間すると本当に逞しく成長していきます。その成長には、「楽しい、おもしろい」だけではないことです。苦しみ、踏ん張り、やり抜いていく。それが自分を強くしていくことを日々実感できる。当然目に見えないエネルギーが自分の中から湧いてこないとその壁を超えることができません。しかし、1年を終えて、帰国するとそれが人生の土台となり、積みあがっていくことを想像することができるのです。その土台があるから帰国後も自ら学び、活動の場を広げてくれます。まさに古典力学から量子力学の世界へ。ワープするのです。頭でばかり考えていても何も始まらない。行動、実践ありきということを宇城先生はもちろん、生徒からも改めて気づかせてもらう機会となりました。一番近くにとてつもない大きなエネルギーを持った生徒がいることのありがたさに感謝しなくてはいけません。宇城先生が宇治の留学システムのお話をいただき、再確認できました。


 ポーランドのフルコン空手をやっている子どもがスクラムを押そうとする前に衝突するエネルギーが出るのがなんとなく見えました。女の子が押すと簡単に倒れた時の映像からは、全く対立する様子は感じとれませんでした。スーッとスクラムが倒れていました。自分自身はというと、頭ではダメだとわかっていながらも、縦に並んだ4人を引っ張る検証では、身体の癖が出てしまい対立してしまいました。しかし、同じ目線に入ってから列を押すと簡単に押すことができました。要するに宇城先生の教育は、「自分さえ素直になればやり直しがきく」のだとも同時に感じました。「身体、実証先にありき」自分が変わることでエネルギーがわき、また人が集まってくる。人が集まってこないということは、自分にエネルギーがないということです。


 今回本校を会場としての教師塾。同僚を誘い、参加してもらい、本日昨日の振り返りを共にする中で、同志の存在の大きさと今後この輪を広げていくことの重要性を感じました。「地球は重力で。磁石は、磁力で。人は魅力で引きつける。」というこの言葉を胸に教育活動を行っていきます。引き続き、ご指導よろしくお願い致します。

 

 

【岐阜 高等学校 男性 40代】

 

11/20京都における教師塾でのご指導ありがとうございました。これまで私は、宇城先生の度指導を受けながら、本気で指導を受けていたつもりではありましたが、そうではなかったのではないかという気づきがありました。今回のご指導では、改めて私自身に矢印を向けて見つめなおす機会となりました。


今回宇城先生から「みなさんは、自身で品位・品格があると思っているかもしれないが、いざというときにならないと本当のところは分からない」との言葉がありました。これまで仕事に対しても、人生に対しても真摯に向き合って、うまく立ち回ってきたつもりでいましたが、それは平和ボケの世の中で甘い環境の中だからこそであり、自分に品位・品格があるかどうかということは、他人事のように捉えていたということに今更ながら気が付きました。私たちは教師という立場で、生徒を預かり指導することを仕事としているので、「生徒を変えたい」とか「生徒を成長させたい」とばかり思い続けていると、宇城先生の言葉が自分にではなく、自分以外の誰か(生徒や保護者)に向けられた言葉として入ってきてしまい、宇城先生に学んでいる立場でありながら、あたかも先生と同じ視座に立って物事を見ているような錯覚をしていたように思います。横着も甚だしいです。ですから、「いざというときに本性が現れる」と言われても、「良いことを聞いた!」とばかりにそれを生徒に伝え、彼らがそうならないよう促そうとしてし、「自分自身はどうなんだ!?」というもっとも基本的な自分へのベクトルが足りていなかったです。


現在の勤務校にあって、これまでと立場や環境が変わったこともあり、命の駆け引きというレベルではありませんが、これまでより私が追い込まれる状況が増えました。保護者からの執拗なクレーム、学校の秩序を脅かすような生徒同士の暴力、いじめ、誹謗中傷、嫌がらせなどです。そういった事態のひとつひとつに対して、懸命に対処したつもりでしたが、今思えば品格ある言動・対応ができていたとは到底思えないです。逃げ、ごまかし、妥協、責任転嫁、対立…。恥ずかしい限りです。


学校という「安全な」場所でこうなのですから、命の危機が迫っているような状況になれば…。推して知るべし、です。そして、そのような状況にいつなってもおかしくないことは宇城先生が常におっしゃっている通りです。宇城先生の言葉は重く私の心に刺さりました。オレオレ詐欺、闇バイトその先にある人身売買。想像したくもありませんが、以前から宇城先生がおっしゃっていることは次々と現実のものとなっています。


前島さんの言葉にある「心の深い部分に意識を向け、自分の心を見つめる「内観」を心掛けることが大事であると思います。このことは思春期に暴走したり、路頭に迷う子どもたちを救うためにも急務だと感じています」ということが、今の私自身にも、目の前の生徒にもまさに当てはまる言葉です。現在私が目の前にしている生徒たちの「問題行動」によって、そのことをひしひしと感じています。そのなかで私ができることは何か…。それこそが日々の小さな実践です。そこにこそエネルギーの源があります。


今回の検証で、引っ張られる側に一度立ってから引くことで全員をついてこさせることができるものがありました。それは私たち教師の日々の小さな実践に対する大きなヒントです。生徒との信頼関係、絆が荒れた学校では損なわれています。それを力や権力や言葉、理屈で回復させようとしてもまったく通用しません。不可能です。信頼回復し、絆を深めて大人も子どもも希望ある未来へ歩んでいくためには、私たちの日々の小さな実践の積み重ねでしかありません。教師塾では私たち教師に対して、日々の実践に着実に落とし込む形で指導を受けられます。道塾とはまた違った学びがあります。こんな機会はほかにはありません。


今回、私自身がいかに微力であるか、横着であるか、そして流されてしまっているかを強く感じました。現状の中で、宇城先生からいただいたエネルギーをもって、周りに良い影響を与えていける存在に、そして現状から頭ひとつも、ふたつも抜きんでた存在になっていきたいと思います。

今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。



【奈良 中学校 男性 30代 】

 

本日はお忙しい中にも関わらず教師塾にてご指導いただき、誠にありがとうございました。先生のお話を聞かせていただく中で、ウィリアム・アーサー・ワードの『凡庸な教師はただしゃべる。良い教師は説明する。優れた教師は手本を示す。偉大な教師は心に火をともす』という言葉を思い出しました。まさに先生は私たちに実証という形で手本を示され、現状の教育がいかに遅れているか、本来の力を奪ってしまっているのかを体験させてくださいました。つくづく大人が変われば子供が変わるということを実感致しました。子供は時空で育つということは教室をあたたかい空気で包み込むことが必要で、その発信源は教師である我々です。我々がまず謙虚になり自らを変容させ、進歩成長を続ける。教師という資格・免許ではなく、背中で示す。電波を発信する。目の前には家庭環境や人間関係、愛情不足で苦しんでいる子供たちがいます。そういった子たちは大人から見れば問題行動が目立ったり、落ち着きがなかったり、話が聞けなかったりと目に見える形で出やすいです。しかし、周囲の大人がそんな状態を「あの子はだめだ」と決めつけてしまい、表面上の指導・対立の指導に終わってしまう・・・・そんな電波が子どもたちに伝わり、ますます落ち着かなくなってしまう。


宇城先生が示していただいたように子供たちと同じ目線に立ち、対立から調和へと移行する。「寄り添い」「支え合い」「愛情」で接していけば、子供たちは目に光を取り戻します。森の木々が菌糸のネットワークでつながっているように学校は「愛情」「思いやり」「感謝」「寄り添う心」で子供たちや保護者、地域とつながっていく必要があります。そして、我々教師は子供たちにエネルギーを注ぐ太陽になる必要があります。最近は、大人が子供の教育から逃げてしまう傾向があるように思います。大人が向き合えなかったり、厳しくできなかったり・・・・このままでは国の財産であるはずの人が育たず、どんどん弱体化していきます。現に子供たちは元気や自信を失い、おびえているように見えます。宇城先生は私たちに時に厳しく、時に優しくかかわってくださり、そして心に火をつけてくださいます。先生のもとで学んだ我々が、学びを広げ、進化し続ければ明るい未来を手繰り寄せることができると感じました。私も宇城先生のように心に火を灯せる本物の教師になれるよう、日々精進し、進み続けたいと思います。本日は本当にありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。 

 

 

【大阪 中学校 男性 60代】

 

宇城先生。先日は宇城教師塾にて御指導を賜り、誠に有り難うございました。

また、遅参することになってしまい、申し訳ございませんでした。

当日は勤務校の期末テストの1日目。少し時間にも余裕があり、立命館宇治中学校・高等学校の校舎見学にも参加させて頂けると考えていたのですが、試験監督をしているときに…(しまった!ジャージを持って来るのを忘れた!)…と気づいた次第。


大阪の勤務校から一度奈良の自宅に戻り、そして京都宇治の会場に向かうしかありません。時間的には校舎見学の時間には間に合いそうにはなく、また、中途半端に講義受付開始より早く着きすぎてもご迷惑をお掛けするだけ…と思い、自宅で20分程ゆっくりしてから出発しました(そんな忘れ物をした私ですが、JR奈良駅に向かう途中の「餅飯殿センター街」にて、偶然、前任校で教えた卒業生の姉弟に「あっ! 先生」と、声を掛けてもらい、十数年ぶりに懐かしい顔を拝顔することが出来ました←忘れ物をしたことが、偶然の出会いに結びついた?)。


さて、私の計算では18時前に立命館宇治中学校・高等学校の最寄り駅であるJR新田駅に到着。その後、徒歩で約30分。18時30分頃には会場に到着出来るだろうと思っていたのです。

ところが…。


奈良駅から新田駅に向かう車中で最新号の季刊『道』を拝読していると、巻頭対談の中で宇城先生が大鵬親方のお弟子さんの稽古前エピソード(稽古開始の午前6時。その2時間前には起きて掃除を行い、そして、1時間前からは一人自分で稽古をする弟子と、稽古開始に起きてくる弟子との違い)を語っておられる場面が目に止まったのです。ふと、私の中で(ご講義開始の19時に間に合えばよい)…という思いがあったことに気づかされ、これは上記の弟子の後者に近いように感じました。

そして、案の定、新田駅には予定通り17時58分に着いたのですが、初めて訪れる場所でもあり、また、日もとっぷりと暮れて、最初は道に迷い、また、立命館宇治前の「セブンイレブン」まで来ているのに、自分の思い込みで正門が東側にあると思い、山城運動公園の駐車場まで行ってしまう始末。結局、遅刻する羽目となってしまいました。


初めて訪れる場所なので、もう少し余裕を持って出発すれは良かったですし、何よりも、朝出勤する折りに、職場にジャージを持参するのを忘れてしまっていたのが、自分の“心の弛み”だったと思いました(それでも、その折々に道を訊ねたとき、いずれの方々も丁寧に答えて下さり、最後には立命館宇治の守衛さんも丁寧に会場までの道順を教えて頂き、有り難いことと思いました)。

さて、随分、前置きが長くなってしまいました。


丁度、私が入室したとき、宇城先生は「ハコの中の“生きている猫”と“死んでいる猫”」についてお話しをされていました。

ここ最近の「道塾」や「教師塾」で、宇城先生よりヴィクトール・フランクルのお話しを聞き、その存在は知っていたのだけれど、ずっと読んだことのなかった『夜と霧』を拝読させて頂きました(私の読んだのは、旧版の霜山徳爾氏訳です)。


宇城先生が仰るようにフランクルは以下のように記しています。

「これらすべてのことから、われわれはこの地上には二つの人間の種族だけが存するのを学ぶのである。すなわち品位ある善意の人間とそうでない人間との『種族』である。そして二つの『種族』は一般的に拡がって、あらゆるグループの中に入り込み潜んでいるのである。専ら前者だけ、あるいは専ら後者だけからなるグループというのは存しないのである。」と。


みずからが“生きている猫”(品位ある善意の人間)なのか、はたまた“死んでいる猫”(“生きている猫”ではない人間)なのかは、そのハコの蓋を開けてみないことには、自分でも判らない。

宇城先生が仰るように、ほとんどの人が、何も切羽詰まった状況ではない“今”は「私は“生きている猫”だ」と思ってはいても、いざとなったときにその真の姿があぶり出される。

ただ、私に関していうと今のままでは、“死んでいる猫”であるのだと思います。以前の「道塾」の感想文にも記しましたが、今は28歳になる娘がまだ学生だった頃、朝早くに地震が起こったことがありました。

私は布団から飛び起き、とっさに、「玄関の扉を開ける?」「台所のガスの元栓を閉める?」と思考を巡らせ乍ら、しかし、言葉では「わしはどうしたらいい?どうしたらいい?」と言って、あっちへうろうろ、こっちへうろうろ。ふと、振り返ると、家内はまだ眠っている娘の上に覆いかぶさり、娘を守っていました。家内からは「お父さん(私のことです)が、我先に…と、1人で逃げ出さなかっただけましだったわね」…と、言われる始末でした。

だからこそ、自分は変わりたいのです。


宇城先生は手を変え、品を変え、5次元時空の実証を、私に目に見えるかたちで示して下さり、体験させて下さいます。

そのことを素直に受け取れる自分でありたいと思います。

今回、教室に入室後に生徒達と同じ側に立ってみることを教えて頂けましたので、実行していこうと思います。

 ご指導、誠に有り難うございました。これからもご指導宜しく御願い申し上げます。

 

 

【奈良 中学校 男性 30代】

 

 本日は、お忙しい中お時間を縫ってご指導いただきありがとうございました。

宇城先生に触れていただいた瞬間から、「自身のない自分」から「できる!やってみたい」と童心に戻って体験することができました。

 講義序盤は、世界基準から私たちの国の教育や、教師の品格によって子どもたちの将来が大きく左右されることを教えて下さいました。三次元から四次元、五次元でものごとを教えることで子どもたちが学校を好きになり、先生が好きになる。つまり、活気の溢れる空間になることを知りました。また、教える立場の私達自身の品格とエネルギーが低いとそれを吸収する子どもたちにも影響することも教えていただきました。


 実践では、スクラムを組んだ男性たちの真ん中を押す動画を見せていただきました。ハンガリーの小さな女の子は、いとも簡単にスクラムを崩すことができます。しかし、その後大人が同じことをやってみると、スクラムは全く動きません。つまり、「力と力」のレベルではない別次元のエネルギーによって説明できないほど力が秘められていると気づかせていただきました。

 実際に私が体験してみると、びくとも動きません。他の方もやってみますが動きません。しかし、隣にお腹の痛い方がいて、そこに寄り添うい「大丈夫ですか。」と声をかけ押してみると、スクラムが簡単に倒れる様子がありました。このことから、「力と力」の関係ではなく、「寄り添う力」の方が大きく、素晴らしいことに気づき、大人より、子どものほうがその力がもとより備わっていることが実感しました。


 また、他の実践では、宇城先生に気を通してもらうことで、気を通してもらった方はいとも簡単に相手を投げ倒すことができるのです。投げた方も投げられた方もつながった状態で、次の人が投げられた人の足を持つと、投げられた人も次の人を倒すことができあました。私自身もこの実践に参加させていただき、前回もさせていただいた中で、自分の心の中に「とりあえず」の意識があり、気が通っていないことに宇城先生に指摘していただきました。つまり「やっているフリ」では、物事は、本物がどうかすぐに伝わってしまうようです。実際、投げられたフリをした人の足を持つと動きもしませんでした。本気でやることで細胞レベルで反応すること、実際目に見えないことですが、見えるものだけが全てではなく、次元を変えることが必要であると感じました。


 その他にもたくさんの実践をさせていただいきました。一番の衝撃を受けたのは、「痛みを超越する」ことです。気を通していただいた後に、仰向けに倒れた私の足に宇城先生が乗られましたが、私の足の痛みは全くありませんでした。宇城先生が気を通すのをやめると、途端に足に痛みが伝わりました。その後には、宇城先生が受講者の右手首を持ち、もう一人の受講者が左手付近を手刀で叩きます。その時に、私が宇城先生に手首を持っている受講者の胴元に力強く突きをしました。受講者の方に痛みはなく、むしろケロリとしているのです。突きをした私自身も人体というより、柔らかい布団に手をうずめたような感覚で受け止めてもらったような感覚でした。


 気を通すことで痛みさえも受け止めて、すべてつながることができる素晴らしい出来事に出会うことができました。この実践を日常生活で活かせるように日々精進してい行きたいと思いました。同時に宇城先生に気を通していただくことで私自身も元気に明るい気持ちになりました。これからも、相手との調和、寄り添い、本気と次元を越えた力を身につけ子どもたちに元気を与え続けていきたいです。ありがとうございました。

 

 

【三重 高等学校 男性 30代】

 

 宇城先生をはじめ、共に学ばせていただいた先生方ありがとうございました。

 また、教師塾開催に向けて準備から当日の運営、片付けまでお世話になった先生方ありがとうございました。会場となった立命館宇治中学校・高等学校の学校見学ツアーもとても刺激を受けました。ご多忙の中ご対応いただきありがとうございました。


 今回の講義も驚きと興奮の連続で、2時間という時間が一瞬で過ぎ去っていきました。毎回のように宇城先生のエネルギーに圧倒され「目に見えないもの」が「目に見えるかたち」で結果に表れるたびに鳥肌が立ちました。実践を経て、自分が本来持っているポテンシャルをどれだけ引き出せていないのかということを改めて実感しました。また、今回の様々な体験を通して「調和」がどれほど大切なもので、その大切さを一教員として子どもたちに伝えていくことがどれだけ重要であるかということに気づくことができました。


 2024年11月20日から「風の時代」というものが本格的にスタートして人々の価値観が大きく変化していく時代の転換期を迎えました。これもまた、「量子力学」をベースとしたものの見方がより重要な意味を持つ時代の幕開けがやってきたのだと私は個人的に思っております。今回の講義や実践を通して学ばせていただいたことを本校の生徒にしっかりと伝えると共に、教師塾で共に学び刺激し合える同士を一人でも多くつくっていけるように、行動していきたいと思います。

 皆さまとご縁させていただき、毎回刺激を受けながら共に学ばせていただけることに感謝いたします。今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。

  

 

【奈良 工業高校 男性 20代】

 

 先日は、ご多忙の中、教師塾を開催していただき、ありがとうございました。

宇城先生の指導には本当に温かさを感じます。いつも本当にありがとうございます。

 月と地球の間に働く力のように、目には見えないが、ものすごいエネルギーがあることを理屈ではなく、実践を通して体験させていただき、今回感じさせていただいたエネルギーが月と地球、太陽、自然界には存在していて、すごい力のなかで生かされているのだなと感じました。実践では、机を動かないように必死に持っていても、止められるわけもなく、ただエネルギーに触れさせていただいて、気づかせていただくというのは、ものすごく次元の高いことだと思いました。普段、私が生徒にしているのは、説明や理屈、常識を並べるだけで、本来の指導のあり方を示していただきました。宇城先生のお話を聞かせていただいているなかで、自分は違うと自分を省いていること、まったく何もできないのに、知らず知らず横着になっていることに気づかせていただきました。


列になって、前から引っ張られる実証では、初めて列の先頭で体験させていただきました。はじめ宇城先生に手をとっていただいたとき、なにも感じませんでした。他の先生に握られたときは、感覚があったので、違いにびっくりしました。

他の人に握られるときは、握られるという感覚があって引っ張られるという感覚がありました。ですが、横にきてもらって、同じ方向をみたときに、安心感がわいて、次は引っ張られるという感覚がありませんでした。机を押す実践でも、はじめはまったく押せませんでしたが、机を支えるほうに回ってからもう一度すると、押すという感覚はなく、ただ心地よく力が湧き出てきて、動くことができました。宇城先生に教えていただいた、朝、教室に入ったあと生徒のほうへ行き、会話をしながら、黒板のほうを見るということをこれから毎日続けていきたいと思いました。


教師という意識が働き、何かを教えたり、押しつけたりする癖が日頃出ているのだなと感じました。ただ、同じ目線に立ち、背中で見せることができないから、自分の不安を消すかのように、生徒に対立して教えている。このことをしっかり胸に刻んで、日頃生徒に接していきたいです。今回の教師塾では、日頃から自分はできている。と色々なことから、自分を省いて考えているということに気づかせていただきました。全然次元が違う、教師としてのあり方を勉強させていただいているので、自分の学校にかえり、いただいたエネルギーを切らさぬよう、また、生徒との関わりでエネルギーが出るように、日々頑張っていきたいです。

 いつも、本当に温かいご指導ありがとうございます。これからもご指導いただけるよう、頑張っていきたいです。引き続きよろしくお願いいたします。

 

 

【三重 高等学校 男性 30代】

 

この度はご指導をいただき誠にありがとうございました。私一人では何もできません。宇城先生のもと、たくさんの先生方とご一緒させていただき、ここでしか学ぶことができないものを学ばせていただくことで、できない自分を認める機会をいただいています。宇城先生に学ぶ人間として、教師塾で学ぶたびに学ぶ姿勢に欠ける自分を認識できます。「現状維持でいいや」の思いが心の奥底にあります。染みついたクセです。子どもたちには見抜かれています。だから毎年、外見は違うにせよ、本質的に同じことを繰り返し、毎年同じ結果で終わります。

宇城先生がおっしゃる「現状維持は退化である。」本当に、今の自分そのものであります。忙しい、学校のレベルが‥。数えきれないほどの言い訳のもと、勉強を深めない人間が子どもに寄り添えるわけがありません。真の意味で生徒と同じ目線に立ち、寄り添える自分、身体にしたいと思います。


今回も様々な実証から自分の立ち位置を教えていただきました。目・姿勢・呼吸が、目に見えない中心と深く結びつき、それらと一致した時、統一体の身体になるのではないか。目に見えている世界は、中心を見ているようで、実は内面で中心をとらえられていないのではないか。目に見えない中心という世界を全く理解できていませんが向かうべき方向を示していただきました。5人で1列になり腰を落として踏ん張っても、先生に気をかけていただいた瞬間に、そのスピードが一瞬で激変し、見える世界が大きく変わり、身体に変化が生じました。その事実に身を委ねることができず、内面で衝突している自分に気がつかせていただきました。我を捨て固執している自分が消えなければ、この先はありません。やはり自分一人では出来ません。出来ない自分が怖いです。思考の世界にどっぷりと浸かっています。だからこそ、宇城先生に学び、自分自身の在り方、一人革命に尽きるのだと思います。


一人一人を見ていただき、私たちは宇城先生の温もりに包まれ、触れさせていただいています。まさしく「百見は一触に如かず」です。「守る」ということが中心にある「戦わずして勝つ」をこれから先の人生のあらゆる場面で創り上げていく。宇城先生に近づくことは到底できませんが、示してくださる道を少しでも進めるように、自分自身のレベルを上げ成長していくことが必要です。自分自身の生き方を見つめ、身体を後回しにせず身体からの気づきを大切にしたいと思います。意識や思考が優先されるこの横着な自分と精進していきます。最後になりましたが、教師塾事務局の先生方、たくさんのご準備をいただき誠にありがとうございました。宇城先生、今後ともご指導のほど何卒、よろしくお願い申し上げます。

 

 

【奈良 中学校 男性 30代】

 

今回もお忙しい中教師塾を開催していただきありがとうございました。毎回毎回とても充実した時間を過ごさせていただき、心も体も熱くなります。ありがとうございます。そしていつも帰るころには、早く子どもたちに会いたくなります。先生から学んだことを自分なりに実践し子どもたちと共に成長していく感覚がとても心地よく、もっと自分自身成長していきたいと感じます。


今回の教師塾の中でも数々の実践をしていただく中で、同じ目線に立つことで、ついていくことができるということを改めて実感しました。私の中では、同じ目線に立ってくれることで、安心しついていきたくなるような感覚でした。これは、教師が偉そうに伝えるだけではいけないとも感じました。もちろん立場はあるかもしれませんが、そこにあぐらをかいていてはいけないとも感じました。立場にあぐらをかくのではなく、子どもたちと同じ目線に立ち、そこに愛情があることがとても重要なことだと感じました。教師はどうしても、「~させる」というような感覚が強いと感じており、自分が思う「~させる」ができないと大きな声で叱る、というような場面をよく見かけます。自分自身も余裕がないときはそういったところがあると改めて気づきました。余裕がないときほど、そういったところに気を付けなければならないと思いました。しかし、そうなるためには余裕がなくならないように、何事にも先をとっていかなければならないと思います。人とのかかわりでも、出来事に対しても先をとる。出来事の起こりをおさえる。とても難しく大変なことかもしれません。頭で考えてもうまくはいかないのは、部分体になっているので、そうならないために、たくさんのことを学び、実践してきたいと強く感じました。「知」ではなく、「智」とても心に残った言葉です。実践があるかないか、実践の中で身についたことこそ、本当の力なのだと思いました。


 先生が実践していただく中でおっしゃっていた、「進歩・成長とは変化することである。変化するとは深さを知る事である。深さを知るとは謙虚になる事である。」この言葉にとても救われている自分がいます。この言葉通りまず自分が変化し、謙虚な姿勢を現場でも貫き続けたいと思いました。

今回も貴重なお時間をいただき本当にありがとございました。また次回も教師塾に参加し、先生の温かい気を与えていただけることを楽しみにしております。今回もご指導本当にありがとうございました。今後ともご指導よろしくお願いいたします。

 

 

【奈良 高等学校 男性 40代】

 

 第4回宇城教師塾にてご指導いただき誠にありがとうございました。

 先日、令和5年度問題行動調査の結果が発表され、児童・生徒の不登校、いじめ、暴力行為が増加し続けています。不登校に関しては、これから年間4万人規模で増えていく見込みとなっています。

 講義のなかでもありましたが、今の教育の限界、今の偏差値教育の弊害です。そこに、子どもが苦しんでいるのはもちろん、教師も苦しんでいます。私の勤務する学校でも2人の若い教員が休職、離職しました。


 宇城教師塾では、講義、実践で人間の潜在能力に気づかせていただき、私たちは「やる気」が出ます。宇城教師塾を受講し、この循環のサイクルを現場に戻って実践しなければいけないと思いました。

 現場では年齢的に「中堅よりもやや上」となってきました。周りには20代、30代前半の先生方がたくさんいます。自分の立場も生徒と話すよりも若い先生方をサポートするような場面が多くなりました。若い先生方を見ていると、生徒と対立して苦しんでいる先生方を多く見ます。先生であるがゆえに「生徒に負けたくない」「自分は先生だ」という雰囲気が無意識に出ています。本校の生徒は、学力が高くありません。相手に合わせて上手く自分をコントロールするということが苦手な生徒が多く、自分の気持ちが行動に正直に出ます。さらに、自己肯定感が低く大人の感情にすごく敏感です。ゆえに、先生の先生という雰囲気をすごく嫌います。


 そのようななか、先日の実践のなかで、向き合うと列を引っ張ることができないが、一度列と同じ方向を向くと列を引っ張ることができるという実践がありました。宇城先生からは「無意識に教師⇔生徒と壁をつくっている。」と教えていただき、生徒を身体が同じ方向を向くことで生徒との調和の間ができることを体験しました。


 先述した、「俺は教師だ」という横着な態度は自分もその一人です。しかし自分は幸運にも宇城先生に学び、自分の無意識の中にある「横着」な自分に気づかせていただけています。宇城先生から学ぶ「謙虚な姿勢」を日常の現場でも実践し、若い先生方の手本となり、宇城先生に繋げなければ宇城教師塾で学ぶ意味がないと感じました。

 しかし、遠慮し気を使い、なかなか自分を出せない自分も変えていかなくてはなりません。謙虚すぎず、横着すぎず、自然体で相手と寄り添う身体をつくっていこうと自分自身に矢印が向いています。だからこそ、ゴールがありません。「相手ではなく自分」、自分が今感じている気持ちに本校の生徒や先生方がなっていくように実力をつけます。


 1年間ご指導ありがとうございました。日常で困った時に、ふと宇城先生の教えが頭をよぎります。未熟でご指導いただいた時には気づかず、自分が困った時に気づくスピードの遅さですが、これからも宇城先生に学びそのスピード、生きるスピードを上げていきます。来年もご指導よろしくお願い致します。

 

 

【大阪 大学 男性 60代】

 

第4回・宇城教師塾を通しまして、「実践」「実証」が如何に大事であるかを改めて感じることができ、教師のあり方、未来に向けての教育のあり方を、「目に見える」から「目に見えない」次元での実践。古典力学から量子力学の世界を宇城先生より実践を通して気づかせていただきました。ネット(情報)社会になり、若者が目的と手段を勘違いし、便利が故に、自身の中心(軸)をどんどん失っていると感じます。またそういったところを学校(教師)がどこまで分かっているのかが問われています。止まっている時間はない、後戻りしている場合ではない、そこを真剣に受け止め、教師自身が自身の現状に気づき、現場(日常)で子ども達と真剣に向き合い、自身が深さを知り、前に進むための教師塾であると感じます。今回から立命館宇治高校をお借りしての教師塾となりましたが、「学んで終わり」「分かったつもり」で終わらないことが大切です。様々な実証の中で、見える世界だけの判断基準になっている今の教育現場が浮き彫りになりましたし、頭(知識)で正しいかどうかの判断をしているところがあり、すべては実証にあり、これまで知らなかった、気づいていなかった中で身体を通して感じ、そして深めることが子どもたちに波動として伝わると感じます。


お話の中で、子ども達に宇城先生が実証をして見せると「一瞬」で子ども達は変わるというお話がありました。時間を掛けてという教育がどんどん世界から遅れている原因でもある。間のお話の中で、のんびり(間延び)している時間はないという先生のご指摘はまさにそうだと感じます。まさにスピード感が違う。そのスピードとはタイムではない、一瞬で変わる、正しいかどうかを判断する時間もない次元を身体を通して感じることができました。説明書は要らない、事実が目の前にある。また人によって違うのではなく、誰がやっても変わる、ここが重要ではないかと思います。「〇〇だから」ということではなく、すべてが瞬時に変わり「ひとつ」になる。そして事実、現実として気づく、まさに答えは自分の身体にあるということを実証していただきました。


宇城先生は常々「一に勉強・二に勉強・三に勉強」と仰います。それは用意された中での勉強ではなく、次元を超えた中での実践が真の勉強であると言われます。そこが土台(心)にあると、子ども達とも寄り添うことができ、正しく導いてあげることができます。まずは「真の教育とは何か」にあり、そのために教師が気づく(実践・実証)が、生徒が変わることにも繋がるといえます。

まさに「一人革命」の実践がそこにあるといえます。今は一人で行動を起こす若者が少なくなってきていると言われています。それだけエネルギーが下がっているのかとも感じます。常に誰かと一緒でないと行動できない、それは単なる安心感に過ぎず、自信のなさでもあります。そういったところから抜け出さない限り、自立も成長もないと思います。人に守られていることに慣れている今の教育、愛情の勘違い(過保護)、「自分のことは自分で守る」という強い気持ち、危機感を以て日常を過ごす必要があります。もちろん家庭(親)の影響もあるかと思いますが「最近の親は…」と言っている時間は我々にはありません。人間は日々進化、成長しています。そこに大人がブレーキをかけたり、枠に閉じ込めていることが「たくましさ」がないと感じることにも繋がっている。特にスポーツの世界では、勝ち負け、自分の結果ばかりに目が向き、やればやるほど人としての幅がどんどん狭くなっている感じがします。まさに「練習」と武術の「稽古」との違いではないかと思います。また「本物」が分からなくなってきているようにも感じます。例えば本を使っての実証でも、ベストセラーの本と宇城先生の著書とでは、そのエネルギーが違うことが身体を通して瞬時に分かります。「すごい」と言っている次元が低い。

まさに、知識ではなく、「身体を通して…」、ここを感じ取ることは今の教育にはありません。


宇城先生の著書『稽古照今』の「指導の本質」の中で、【試合で勝って優勝することを目指す。それがスポーツ。勝ち負けをベースとするスポーツでは、技の追及が疎かになる。自転車の乗れていない人が、自転車の乗り方を指導することにもなる。本来の指導とは、非可逆ステップにつながるもの。まさに自分自身が自転車に乗り、その姿を見せる。それだけでいい。スポーツはスポーツにしか通用しないルールがある。しかし武術にはルールがなく、生き方に活かすことがルールである。その土台の違いが全ての違いを生むのである】とあります。

まさに親が子どもを躾けるのは、言葉ではなく親の日常における生き様、生き方にあるということです。それが「映る」。学校現場でも同じであります。子ども達は、大人が思っている以上にすべてを瞬時に感じ取っています。だから速いのです。力も同じです。大人は力を出そう、見せつけよう(欲)とします。子どもにはそういった「欲」がないために簡単に大人を倒すことができます。「倒す=入る」ということではないかと、今回様々な実証を通して感じました。スポーツは見様見真似のところがあり、「真似から入れ」と言われる指導者もいます。そういった事は無知、無責任だと感じます。武術にはそういった誤魔化し、見せかけはありません。生きるか死ぬかの真の実践がすべてだと教わりました。


宇城先生は、そういった世界を生きて来られています。だからこそ、私たち教育現場に身を置く人間に、厳しく、愛情を以て接していただいております。

スポーツの指導には限界があります(限界を自分で決めてしまう、「勝てば官軍、負ければ賊軍」)が、教育には限界も終わりもありません(日々、進化成長)。終わりがないということは、すべては始まりであり、「深め続ける(勉強)」にある。


今回の様々な実践の中での検証、実証を通して、エネルギーのある人が倒れると、その人に触れるだけでまたエネルギーが伝播する。学校現場にもこういったことがあればイジメも不登校がなくなります。不登校になってから寄り添うのではなく、日頃から寄り添うことが大事だということも実証の中にありました。「戦争反対」ではなく「戦争を起こさない」ことが重要だという事に平和の本質があります。私は、様々な実証を通し、日常の中で起こっていることは「こういったところから来るのか」という感じ方ができました。そして、枠組み、垣根、壁をつくっているのは今の教育であり、すべては一つであることを感じ取る、それを実証を通して一人ひとりにお伝えしていただいたと感じております。


対立からは何も生まれることはありません。調和融合こそが本質なのです。

今回、初めての先生方もおられましたが、始まりと終わりとではまったく表情も変わっておりましたし、お話をさせていただいても、明日からのエネルギーを感じることができました。

ここからエネルギーを伴ったスピードを高めていくためにも、更に勉強を重ねていく必要がありますし、それは真剣に 日常(実践)を通して自分と向き合うという中で、どんどん差をつけていく必要があると改めて気づかせていただきました。

この度は、ご指導いただき誠にありがとうございました。

 

 

【兵庫 高等学校 男性 50代】

 

宇城先生、教師塾でのご指導ありがとうございました。

立命館宇治の素晴らしい施設を提供していただき、ありがとうございました。立命館宇治の先生方に感謝いたします。

講習前に立命館宇治の施設を見学させていただきました。施設・設備が立派なのはもちろんですが、自分の勤める公立高校にはないゆったりとした空間と、随所にその使い方をよく考えていることが見て取れました。ここであれば、どんなことができるだろうか、生徒はどんな学校生活を送っているだろうかと想像しつつ、自らの勤務校であれば、どんな工夫ができるかを考えるよい機会となりました。

宇城先生の講習を受けて毎回考えることは、先生のされるようなことができるようになりたいということと、今できることは何かということです。


先生に教わりだした当初は、どうやったらできるのかと即席にテクニックを学ぶような学び方をしており、できそうなことをつまみ食いするようなことをくり返していました。そんな本質と離れた小手先のことでうまくいくはずはなく、自分と関わった生徒たちに申し訳なく思います。謙虚さのかけらもなく、とんでもない方向に飛んで行ってしまうのをつなぎ止めてくれたのは、宇城先生の引力でした。


今できることは何か。管理職となった今、生徒とは、挨拶をすることや、ちょっとした声かけをすることでしか関われないようになりました。直接関われない分、職員たちに寄り添うことで、職員に生徒に寄り添ってもらえるように、学校の空気を変えていくことが仕事であると思って仕事をしています。そこに今回実践したように、生徒と同じ方向に向き、対立ではなく、調和の空気になるように実践していきたいと思います。

 宇城先生を師として、先生に近づけるように修行していきます。今後ともご指導よろしくお願いいたします。 

 

                        

【奈良 中学校 女性 30代】

 

お忙しい中、御指導ありがとう御座いました。

宇城先生がお話し下さったことが、あまりにも自分が悩んでいたことで、宇城先生にはなんでもお見通しなのだなと思いました。


今回、教師塾に参加して、自分がずれていたことを再確認しました。先生に、スクラムを押す実践をさせていただいた時に、なんでうまくできたんだろう?と思っていました。今思えば、それがズレなんだと思います。自分の中に、不安や違和感があるのに合わせようとしたり、見ないふりをしたりしてました。失敗することは悪いことではないのに、そう思ってしまってました。結局、子どもにもそれは伝わっていたんだと思います。人に寄り添うことを忘れずいきたいと思います。


先生のお話を聞いて、自分で実践していきたいとワクワクしています。自分が進んでいくことで、誰かにエネルギーを与えられたらいいなと思います。

次回、先生にお会いする時まで、教えていただいたことを実践します。ありがとうございました。

 

 

【山口 中学校 男性 30代】

 

 いつも温かく愛情に満ちた御指導を賜り、誠にありがとうございます。今回の教師塾では、私達自身が本当の教師を目指し、日々精進していくことの必要性を強く感じました。現代の教育現場で行われていることは、本質からはずれた視点や方法を取り、不安や迷いを助長し、生きる希望やエネルギーを子供達からどんどん奪ってしまっている、それが社会の歪みとなり、余計に社会全体の劣化を招いている、子ども達の可能性を潰してしまっていると思いました。


 知と智の御話が非常に印象に残っています。知は知識(頭脳・部分体)であり、智は知と行動(事理一致・統一体・心と行動)である。知識のみの伝達はバーチャルであり、行動には結びつかない。変化を導くことはできない。しかし、現代の教育の主眼は知識の伝達、基礎学力の向上です。社会を生きていくために学力は必要である。それに対しては確かに一理あるとは思います。字が読めなければ、簡単な計算ができなければ社会生活を営むには困難が生じます。しかし、生きるというは観点に立った時、本当に必要なのは困難を逆にチャンスに変え、力強く乗り越えていく力、そして優しく他者に寄り添い、絆を深めていく心の豊かさ、ある一つの事象から得た知識をヒントに未知の世界を切り拓き、社会に有益となる無から有を生み出す想像(創造)力かと思います。


 宇城先生が検証で示してくださった事象の数々、人間という存在がどれだけ無限の可能性に満ちているかをこの身体で感じさせていただきました。スポーツができる、勉強ができる、何か人より秀でたものがある等の視点はまさに非常に小さいことです。宇城先生が示してくださる世界には、無限のエネルギーと可能性が溢れていました。生と死がかかった極限の状況の時、自分自身に品格があるかないかが問われる。日常生活を振り返ってみても、頭は常に自分の都合の良いように物事を捻じ曲げ、いろんな理屈を作ります。そして自身をどんどん迷いの中に放り込みます。そんな頭や意識を頼りに生きるということは、極限の状況では必ず逃げる、心を失うことは必定かと思いました。


 人類がこれまで歴史の中で得てきた科学技術という知識も原爆と原子力との比較でもあった通り、全て使う人間の心次第である。つまり、私たちは自分自身の精進、そして子ども達に道を誤らないよう、正しい人の道を進めるよう、心を育んでいくことが必要である。しかし、その心は頭や言葉、一個人の思想や宗教心等では育んだり、磨いたりしていくことは困難である。それを検証を通して、感じました。先生が検証を通して、私達の身体に何度も何度も刻み、覚えさせていただくからこそ、私達は自身に向き合い、そして道を誤らず、この人生を生きることができ、前に少しでも日々進むことできています。それを自分の力で子供達に伝えることは非常に困難であり、不可能であると思います。しかし、先生が生徒と目線を同じくする、他者に寄り添うという検証を私達にお伝えしてくださった意味は、師の教えを少しでも実践すれば、生徒のみならず、自分自身や周囲を守り、幸せの方向へ向かって共に歩んでいくことができる、日本が世界に誇る非常に高次元の人を育む真理と実践が宇城先生の御教えであるということだと思いました。目の前の事象に驚き、感心するのは、表面上を捉えているだけであり、その本質に全く気付けていない。先生が私達に与えてくださった道標や御言葉の中にどれだけの先生の思いやお考えが詰まっているのか、この身体は覚えていると思います。頭では身体の1%も動かすことはできないという事実。先生の思いとエネルギーを受け取ったこの身体を信じ、謙虚に向き合い、今の自分からの脱却を目指していきたく思います。


 教師塾後、生徒や職場の同僚と触れ合う中で、以前より繋がりが深まっているように感じました。いつも指導する子をいつものように指導した後、思わずその子の肩を抱いて笑い合ったり、教職員と朝廊下で顔を合した時、今まで見たこともない笑顔で挨拶をしたりなど、本当に幸せだと感じると同時に、今の自分のままではいけない、変わらなければと感じました。まだまだ謙虚さが足りない私ではありますが、今後とも何卒貴重な御指導、ご鞭撻を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。教師塾という貴重な場で、宇城先生の下、全国の先生方とこのように学ばさせていただくことに心より感謝申し上げます。本当にありがとうございます。

 

 

【大阪 中学校 男性 30代】

 

 先日は、貴重な講義をありがとうございました。大変貴重な学びの場となり、多くの気づきと日々の生活に対する反省がありました。

 5人が縦に並び、後ろの人が前の人を支えた一列を、一人が前から対立して押してもびくともしないのに、同じ人がその5人と目線を合わせてから押してみると、一列に並んだ5人がいとも簡単に動く。現代の日本の社会は、どこか余裕がなく、自分の思い通りにならないとすぐに批判、対立する人が多いように思います。そんな雰囲気は、大人から子どもへ伝わり、子どもたちまでもが気に入らないことがあると、SNSやインターネット上で簡単に人を批判しています。我々、大人や教育界の反省でもあると思います。宇城先生のおっしゃるように、宇城先生の“実証”を中学生や高校生たちが触れ、子どもたち自身に「対立することは弱い。調和することで強くなる。」という実践をさせてあげたいと思いました。


“宇宙は元からある。それに後から理屈をつけているのが人間。”

頭で考えた理屈や言葉などの古典力学に頼らず、宇宙に元々ある量子力学のエネルギーで子どもたちを成長させ、日ごろから接している子どもたちが、次の世代の社会を担う人材となれるように、まずは私自身が学び続け、実証と実践を繰り返していかなければならないと思います。

宇城先生からの学びとともに、同じように学ぶ同士の先生方が居られることも、私にとっては心の支えとなります。

次回の機会を楽しみにしております。ありがとうございました。



【岐阜 中学校 男性 20代】

 

この度は、第4回教師塾でのご指導ありがとうございました。

実践をしていただき、身体で感じることで宇城先生がおっしゃるエネルギーの流れを体感することができました。机を掴み、動かないように押さえても、勝手に回ってしまう。そこに勝ちも負けもないことを感じました。


大人の列を引っ張る際には、目線を合わせることで、対立から調和に変わり、同じ方向に進む仲間になったように感じました。その感覚のまま引くと簡単に列を引くことができました。引っ張って「こちらに来させる」というより「ついてきてもらっている」という感覚でした。体験中は、身体の内側があたたかくなり、やわらかくなるような感覚を覚えました。自分が変わることで、できなかったことができる。「以前はこうしていたから」や「去年はこうしていたから今年も同じことをしよう」では本当にエネルギーがないんだなと改めて感じました。変化を怖がらず、さらに良いものを求めていかないといけないなと感じました。


最近は学校で仕事をしているだけであっという間に1日が終わってしまうという感覚で過ごしていました。もちろん生徒たちと関わり充実した毎日ですか、それだけでは社会に取り残されてしまうと強く感じます。人よりも何倍も勉強して、常に自分をアップデートしていけるよう励みます。


今年の4月から始まった初めての学級担任としての教師生活。いじめがたくさんあった学年だと入学前から聞いていたため、リストアップされている生徒の動きをよく目で追っていました。そんな中で同級生を傷つけたことに対して指導をした場面がありました。しかし、よく考えてみると「こいつはいつか悪いことをやるはずだ」という目で見ていた中で起こるべくして起こっていることであり、自分はただの対処をしたにすぎませんでした。ことの始まりをおさえ、長いスパンでどんな人になってほしいかを考えないとけないなと感じました。中学校でよくてもダメ。その先で「どんな人間になっていくか」に繋がらないといけません。「こんな人になってほしい」と理屈や知識で話をするのではなく、目指すべき人物像にまずは自分がなり、姿や行動で見せていけるよう精進します。


人間は素晴らしい生き物です。目の前の生徒たちを見ているとそう思わせてくれます。生徒の良さを消さず、良さ引き出す。自分がエネルギーをもって明るい学級、学校にしていきたいと思います。

今回も多くの学びをありがとうございました。今後もご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い致します。

 

 

【兵庫 高等学校 男性 40代】

 

この度の教師塾でのご指導、ありがとうございました。今回は、古典力学から量子力学へと変わっていくことが大切であることを教えていただきました。力ではなく、エネルギー。力をエネルギーに置き換えると、子ども>大人。子どもが持っているものを失わせることなく、長期ビジョンで取り組んでいくこと。しかし、現実は意識領域の詰め込みであり、後付け、後追いという意味のないことになってしまっています。さらに、それが正しいことのように捉えられています。こういったことに気づかせていただける場は教師塾以外にありません。目に見える世界では通用しても、先生に実証を通して見せていただく世界では何もできません。宇城先生に教えていただいている自分の役割、やるべきこと、進むべき方向を示していただいたように感じます。ただ、「わかった」と「できる」はまったく別物です。「人の何倍も学ばないといけない」という言葉を仰っていただきましたが、「できる」とは本質を知ることだと思います。教えてもらうのではなく、自ら掴みにいってものにする。教員にも生徒にも必要な姿勢です。まずは自分が実践し、器を広げていきたいと思います。自分自身の弱さや不甲斐なさで立ち止まってしまうのではなく、そこも含めて謙虚に受け入れて一歩ずつ前進していきます。

今後ともご指導の程、よろしくお願いします。

 

 

【京都 中高一貫校 男性 50代】

 

 まずはじめに、今回より立命館宇治中・高で受講させていただく事となりましたが、奈良県の学校でお世話になっておりました頃と同様に、素晴らしい環境を整えていただきました事に深く感謝申し上げます。

 さて、今回の教師塾では、生徒と同じ立場(目線)に立つ事の大切さを、さまざまな検証を交えながらご教授いただきました。これまでにも何度も伺ってきたお話ではありますが、やはり教師塾に参加させていただく事で、改めて「出来ていない自分」に気付かされます。実は、教師塾が開催されたこの日も、職場を出る際に玄関口(※下足箱があり、生徒も教職員もここで下足と上履きの履き替えを行います)にて、土足禁止の上履きエリアで下足を履いている中学生を見咎めました。女子生徒でしたが、注意をされた時の反応が、私自身の感覚としては謙虚さが足りないように感じられたので、最初の注意に加えて強めの口調での説諭を続けてしまいました。しかしながら、時間と労力をかけた割にはこちらが期待した通りの反応が得られず、その後もスッキリしないまま学校を後にしました。


そのような出来事があった訳ですが、前述の宇城先生のお話を伺い、はっと気付かされました。すでに初期対応の段階で、自分自身の心のありようが間違っていたのです。はっきりと意識していた訳ではありませんが、上履きエリアで通学用の靴(土足)を履きながら、教師の姿を見ても改める素振りのなかった生徒に対して横柄さを感じ、力づくで改めさせようという気持ちが自分の中で芽生えていたのです。また、注意された生徒の反応が「期待通りではない」という、そもそも「教師の思い通りになるべきだ」との考えを生じさせていたところに、自分自身の未熟さがあったと思い知らされました。


年齢的にも50代となり、校内での立場も相まって、職場では面と向かって注意・指導される機会はありません。そのような日常を過ごしつつある自分にとって、現状の課題を明らかに示され、厳しくも慈愛に溢れたご指摘をいただける「師の存在」のありがたさに、改めて気付かされました。また、日々さまざまに反省・後悔を繰り返しつつも、喉元過ぎれば熱さを忘れる…で、この反省を今後に生かそうと固く心に誓っても、それが続かない人間の心の弱さにも気付かされます。


宇城先生には、かねてより「一人革命」の重要さについてもご教授いただいておりましたが、継続的に実践の出来ていない甘い自分がいます。そのような事で、ここまでは自己否定ばかりの後ろ向きな反省を書き連ねてしまいましたが、教師塾に参加させていただき、共に学びを深めようとする仲間の存在からたくさんの勇気をいただきました。志を同じくする皆様から、今後もたくさんのエネルギーをいただきながら、自分自身を成長させていきたいと存じます。また、職場の同僚をもっと誘い、学校にも元気な明るい風を吹かせたいと思います。

まだまだ未熟者ではございますが、引き続きご指導を賜りますようよろしくお願い申し上げます。

この度も本当にありがとうございました。

 

 

【奈良 高等学校 男性 30代】

 

今回の教師塾でもさまざまな実践を通し、生徒の目の前でやって見せることの重要性を痛感いたしました。やって見せることができるからこそ、「先生」であり生徒が付いてくるのだと強く感じたところです。反対に、教師自身が偉そうな(それこそ教卓の前で腕組みをしているような)態度であれば生徒の興味・関心を引くことは出来ず、信頼関係を築くことは出来ません。そこで、生徒と同じ目線になって自分を客観視し、教室の前に立っている自らの姿を想像することが大切であると学びました。生徒と同じ方向を向くこと、寄り添うことによりエネルギーが発生することはすでに体験済みです。これが、ただのパフォーマンスではなく、本当に心の底から無意識に体が動くという域まで達すれば、また自分自身も変わり、周囲も変わるのだろうと思います。


未来を担う生徒たちのために我々がすべきことは、他人から得た情報を伝聞することではなく、自ら足を運び、体感し、気付き、学び、実践すること。失敗しながらでも挑戦し続ける姿を見せることです。この一連の行為が生徒たちの興味関心を刺激することを願って止みません。こうやって何かしらに向けて努力している大人の姿を見せることにも意味はあると思いますが、生徒の「自分もやってみたい」という気持ちを引き出すためには、圧倒的な実力、そしてそれが眼に見えるようにすることが必要だと思います。そのためには、我々教員は人の何倍も学び、体験しなければなりません。


そこで私個人の挑戦として、海外大学院への留学があります。これは教師になる前から決めていたことで、私にとっては中期目標達成に向けての通過点です。自らの足で最先端の現場に赴き、世界中から集まった学生たちと議論し共に学びたいと考えています。長期的な目標として将来、日本の英語教育に貢献できるよう海外でしっかり勉強しようと思います。そしてこの教師塾での学びや気付きが何らかの形で自らの研究に取り込めないか模索したいと考えています。

本会もご多忙の中、我々教員のためにご指導くださりありがとうございました。

 

 

【奈良 教育研究所 男性 30代】

 

 先日の教師塾ではご指導を賜り、誠にありがとうございました。

予定の時間に仕事を切り上げられず、遅れての参加となり大変失礼いたしました。初めて伺う会場でしたが、一歩足を踏み入れた瞬間から、緊張感の中にも温かく迎え入れていただけているように感じました。


愛とは、許すこと。大きい器をもつこと。今回最も印象に残ったお言葉のひとつですが、会場がそのお言葉を体現しているように感じました。礼を失した者を咎めず、包み込む。そうしていただくことで、背筋が伸びる。そしてその愛は周囲へ伝播していく。そんな感覚をもちました。


今回新たに参加されている方々が感動を覚えている様子も印象的でした。初めて会った人を変化させ、感動させる。改めて宇城に学ばせていただいていることが貴重なことで、有り難いことであることを実感しました。同時に、早く自分自身の変化、進歩につなげていかなければならないと感じています。周りに差をつけなければならない。自分自身で変化、進歩する、いわば成長しながら自走していく身体でなければならないと強く感じました。


不思議なもので、ここ最近の教師塾のタイミングはいつも仕事で難しさを感じているときです。今回もそうだったのですが、宇城先生にご指導をいただくたびに、エネルギーと勇気を、新たな気づきとともにいただいています。ありがとうございます。今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。

 

 

【奈良 高等学校 男性 20代】

 

この度は、ご指導ありがとうございました。

私は教師塾で教えていただいたことを、必ず一つでも持ち帰って実践しようとしています。以前教師塾で教えていただいた、教室に入る前に礼をすることもその一つです。最初は効果てきめんで、生徒の話の聞く姿勢もすぐに変わりました。ただ、翌週になるとその効果も薄れていました。今回の実践でもおっしゃっていた通りのことでした。礼をすることが義務になり、心を伴わない礼になっていました。「礼をすればいいんやろ」という考えが混ざっていたのだと思います。見た目だけでは分からない、私の中の変化を、生徒たちは敏感に感じ取ったのだと思います。


相手と一緒の目線に立ったら、大人数人でも引っ張ることができる。これも早速実践してみたら、効果てきめんでした。効果が出ると嬉しくなってまたしたくなるのは、子どもと一緒です。私も、効果が出るとまたほかの場面でも実践したくなります。ただ、そこに邪念が入るのが大人の悪いところです。話を聞いてほしいから寄り添うのではなく、純粋に生徒たちに寄り添っていこうと思います。


教師塾に参加させていただいた後、同じ学校の先生に教師塾のことを話していました。子どもたちのために、子どもたちの可能性を潰さないように、先生たちが元気になる必要があること。先生たちこそ、勉強する必要があること。その先生と話していました。宇城先生から頂いたエネルギーを、また学校で先生や生徒に伝えていき、身の回りの人から元気にしていきたいと思います。

ご多忙の中、ご指導いただきありがとうございました。

 

 

【奈良 高等学校 女性 30代】

 

この度、初めての会場と新たに参加された先生方もおられ、新鮮な雰囲気で受けさせていただきました。毎回ですが、改めて量子の世界を見える物でわかりやすく実証してくださることに感動いたしました。新鮮な感覚だったことは、両手で肩を持った列の人を両手で挟んで倒そうとしたとき、踏ん張った人は倒れないが宇城先生が背中側を消すよ、と気をかけると簡単にお腹側から押し倒せる。その逆で、倒れないように気をかけると、硬くなり動かない。その触れた感覚は「木」でした。やはり、気に満ちた「統一体」であれば人間は自然界と同じような物になれるのか、と感じました。強く、丈夫で、しなやか。そうなれるはずですが、教育が邪魔をします。数パーセントしか力を発揮していない脳に固執し、それが全てという錯覚を引き起こします。目に見えないものへの関心は薄れ続けます。


また、宇城空手の海外合宿の映像でフルコン空手を習う子どもが大人のスクラムを押せないという事実は驚きました。これまで素晴らしい力を発揮してきた世代の子どもでも、押せないようにしてしまうスポーツの恐ろしさです。つくずく、「スポーツ」と「教育」で真逆の事をしていると思います。ラジオ体操が身体に良いとなぜ信じて疑わないのでしょうか。筋力トレーニングが屈強な身体と精神をつくるとなぜ信じて疑わないのでしょうか。それは将来に希望が持てず、怯えているからです。周囲が言っていることに合わせることが楽だからです。そんな「今」に「未来」はないでしょう。自身の身体のことや子ども・孫世代の将来のことに興味を持たないことは一番の弱さだと感じます。


現在、同じ職場の先生が休職中です。毎日欠かさず器具を使用して筋力トレーニングをしていました。体の一部を不自然に鍛えて「部分体」を作りあげた結果だと身近で感じました。ですが、その先生を止められなかった自分に悔しい気持ちがあります。思い返せば、その先生の周りでは多くの衝突が起きていました。自分には広げる力は足りませんでした。同僚を大切にできませんでした。宇城先生に学んでいなければ、このような視点で見ていません。人間の持つ力、日本人が持つ力を引き出す方法があるのです。それは実際にその場でできなければいけません。プレゼンテーションではなく実践することが世界から求められる。それら実践で人間を育てることが教師の役目です。勉強不足です。自らの生徒の立場から自分を見返すことで、信頼関係が生まれます。実証でも人の列を片手で引っ張ることができました。これほどわかりやすいものはありません。寄り添う心や愛は波動で伝わります。まだ言葉が理解できない赤ん坊と母親の関わりがそうです。その波動を出すことも大切ですが、受ける身体も必要です。宇城先生と同じ空間にいると、そのどちらも同時にできています。教師塾が終わるといつも「明日が楽しみ」になります。それが教師の道だと思います。今の自分の力でできることも精一杯やりますが、グレードアップが必要です。

 宇城先生、ご指導いただきありがとうございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。

 

 

【奈良 高等学校 男性 30代】

 

 宇城先生、大変なご多忙の中、第4回教師塾においてご教授いただき有難うございました。今回の教師塾の中では、私を含めた4人で力ずくで押さえつけたテーブルを、力を入れれば入れるほど止まるどころか逆に勢いよく動き出す体験をさせていただきました。また、気を通していただいた時の正拳突きに対する痛みのなさと、説明しがたい安心感、気の通りがなくなった瞬間の絶望に近い不安感を体感させていただくことができました。自分では感じることができませんでしたが、実際に正拳突きをされた方の感想として、突いた拳が腹に包まれた感触であったという話を聴き、身体を支えるものの本質はやはり筋肉ではないのだと実感しました。これまでは周りから見ているだけであったこの実践を体験させていただくことができ、改めて、見るよりも体験しなければ分からないということを実感しました。


学校の教員という職業は、子どもの人格を形成する、やりがいとともに、とてつもなく大きな責任が伴います。そのような立場でありながら、忙しさを言い訳にして、自分自身が成長するための努力を怠り、勉強することから逃げることは許されません。私自身、現在高校3年生の担任をしている中で、生徒たちの受験に向けた事務作業や面接練習、模試業務の運営・とりまとめなどの業務が重なる中で、思い通りの行動を取ってくれない生徒の姿に、日々苛々した感情を生徒の前でも表面化させてしまっていました。その中での今回の教師塾では、自分自身分かっているはずであった、教師はつい偉そうにふんぞり返っている(病気の)状態に陥りやすい職業であるということをつい忘れている自分に気付かせていただくことができました。自分自身に魅力を感じさせることができず、明確な指示が出せていない自分のことを棚に上げて、思い通りにならないことを生徒のせいにしてしまっていたように感じます。


教師塾の次の日から、教壇に立つ前にまず生徒の目線から、偉そうに立っている自分を見つめてから話しだすよう心掛けています。受験の不安に襲われていく生徒たちを少しでも安心させられる空間づくりができるよう、これから精一杯励んでいきたいと思います。

 今回も多くの学びや気付きをいただき有難うございました。今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

【奈良 高等学校 男性 20代】

 

先日は、教師塾でご指導いただき誠にありがとうございました。今回初めて、宇城先生の教師塾に参加させていただきました。今回、同僚の先生方にお誘いいただき、参加させていただきました。教員人生2年目で、2校目の学校での勤務をさせていただいています。今年度から担任をすることになり、去年1年間学校現場で感じたこと、自分の体験談を本にここまで担任業をしてきました。しかし、日々悩みの連続で、迷いと葛藤を繰り返している日々を過ごしています。そんなときに、今回ご一緒させていただいた、同僚の先生方が心配していただき、経験談や改善策をお話してくださいました。親身に話を聞いてくださり、なんとかここまでくることができました。自分自身の中で問題ごとが多く、しんどいなと感じているときに、この教師塾のお誘いをいただきました。何か、自分にとって新しい発見、感覚が必ず得られると思い、この日が非常に待ち遠し日々でした。


この業界に入り、教師としてのあり方が何なのかを曖昧な状態でした。しかし、今回ご指導いただき、教師としてのあり方、生徒に対しての言動を今の自分に置き換えたときに痛感しました。生徒の目線に立って言動ができておらず、上から物事見てしまうことばかりでした。ご指導していただく中で、言葉だけでなく、行動で示すことでより生徒の姿勢が変化することを実践の中で感じることができました。実践を外から見ている時は、嘘にしか思えていなかったのですが、自分自身の体を使って体現すると、操られたかのような感覚がありました。決して、学校現場で生徒を操ることではないが、教員側の気持ちの持ち方、考え方は生徒に伝わっていることを感じることできました。いかに、生徒の目線に立って話をするか、口だけではなく、行動で示すことで生徒は着いてくると感じました。


一度きりの人生でこの3年間という短い時間、生徒自身が成長し、大人になるには、教員自身の考え方、言動を変えていく必要があることを気づかせていただきました。まずは、自分自身のこれまでを見直し、改善し、これからの日々を過ごしていき、生徒に希望や勇気を与えられる存在になれればと思います。

今回ご指導頂き、誠にありがとうございました。引き続き、ご指導よろしくお願いいたします。

 

 

【奈良 高等学校 男性 20代】

 

お忙しい中、ご指導ありがとうございました。

私は現在、高校3年生のクラスを担任しており、生徒たち次の進路が続々と決定しているところです。その中で、特に一人の男子生徒のことで悩みを抱えていました。その生徒は進路が無事に決まったものの、女子生徒との人間関係においてうまくいかないことが原因で、自信を失い、何事にもやる気が出ない状態が続いていました。彼の心のエネルギーを引き出してあげられないことに、教師としての自分の力不足を痛感する日々でした。


そんな中、「エデュケーションとは引き出すこと、そしてエネルギーを生み出すこと」というお言葉を学び、その意味の深さに感銘を受けました。教師という立場に立ち何かを教えなければいけない、伝えなければいけないという思いが全てでは無いと思うことができこれをきっかけに、生徒の可能性をもっと引き出すために、自分自身の指導方法や考え方を見直し、より一層生徒に寄り添えるように考え方を変えていく必要があるということを痛感しました。


またその話を聞いた瞬間、自分の身体の内側から「こうすればできるかもしれない」というワクワク感が湧き上がり、自らのエネルギーが引き出されるような感覚を覚えました。「これこそがエデュケーション、まさに“引き出す”ということなのだ」と実感しました。

しかしながら、まだ私は生徒たちの持つ能力や可能性を最大限に伸ばしてあげられるほどの力を持ち合わせていません。だからこそ、まずは自分自身が生徒以上に学び、努力し、何倍も行動で示すことで、彼らのやる気やエネルギーを引き出せる教師になりたいと強く思っています。


さらに、先生のお言葉である「百聞は一見にしかず、百見は一食にしかず」という言葉が心に響きました。実際に目で見たり、体験したりすること以上に、何かを共有し実感する瞬間が、人、生徒の心に深く刻まれるのだと感じました。この言葉を胸に、生徒たちに寄り添いながら、言葉だけでなく行動や姿勢で伝え、彼らの心に響く指導を目指したいと考えています。

 

 

【京都 中高一貫校 女性 40代】

 

宇城先生、この度は教師塾でのご指導ありがとうございました。改めて、教師が自分自身と向き合い、学びを深められる場があることのありがたさを感じる時間となりました。学びとは何か。学びについて子ども達に新たな気づきを与える立場である教師の学びが足りていないことを気づかせていただける宇城先生の存在には本当に感謝しかありません。


前から生徒を引っ張ろうとするのではなく、生徒の側に立ち、一度横柄な自分が前に立っていないかを確認し前に立つだけで列を引っ張れるようになるという実践からは、教師という立場を勘違いしてしまっている自分がいないか、相手に敬意を持ち、調和できているかということを改めて考えさせられる時間となりました。いくら頭でわかっていても、日頃の自分の行動、仕草、言動に自分の内面が現れてしまいます。目の前の生徒の表情や変化こそが自分の内面がどこに向かっているのかの答えであるということを忘れてしまわないように、相手に寄り添い、引き出せる自分でいたいと改めて感じました。


AIの進化により、これまでの学校教育で当たり前であったことが当たり前ではなくなってきました。戦後、学制により日本が欧米列強と対等になれるよう国民教育を強化した学校の在り方では通用しない時代がすでにやってきていると感じています。むしろ、かつての日本人が大切にしていた気の力、思いやりの心といった心の部分を失ってしまう教育では、世界に通用する日本人は育てられません。かつて、アメリカ大統領をも魅了したという日本人と今の日本人では何が違うのか。間違いなく心とエネルギーの部分だと感じています。私自身がその違いについてもっと学び、自分自身が体現できるようにならなければ、周りを巻き込むことができません。本質を見ようとしない大人を相手に、相手に納得させられる方法は、自分が変わる以外の方法がないからです。


宇城先生は言葉では理解できない難しい世界を、私たちの次元まで降りてきてくださり、実践を通して理解させてくださいます。頭では理解できなくても、身体が理解できる。そのおかげで、今の自分の弱さを受け止め、次に進むべき希望を与えてくださいます。それほど現代人は頭で考える癖があり、損得、意味があるないだけで判断してしまう次元に成り下がっているのだと思います。このままでいいわけがないとわかっていながらも、何も変化を起こせない自分の力のなさを感じる日々ではありますが、それでも希望を抱き前に進めるのは宇城先生の存在があるからです。


自分はできている。ダメなのは周りのせいだと思い始めたら教師としては完全に止まってしまっている証拠です。常に謙虚に、自分に足りないものと向き合いながら、周りを巻き込めるような実力をつけられるように、日々精進して参ります。まさに「一人革命」です。宇城先生のように、指導者としてふさわしい自分になるために、とにかく勉強しかありません。教師は生徒の敵でもなければ友達でもありません。心を磨き、人としての土台を築き、これから先幸せに生きていける強さを身につけさせてあげることが私たち教師の役割です。自分の実力で生き抜く力を身につけさせてあげられない教育は教育とは言えないのではないかとここ数年強く感じています。人間は生まれながらに完成形であるにも関わらず、大人の間違えた教育で本来のエネルギーを奪ってしまっていることに早く大人が気づかなければ、日本の未来はなくなってしまいます。


フルコン空手を習っている海外の子どもと、宇城空手を習っている子どもの違いを見て、改めて指導者の違いで子ども達のエネルギーを奪ってしまうことの恐ろしさを感じました。自分が日々実践している教育が正しいと思い込むのではなく、学びながら検証し進まなければ、取り返しのつかないことになってしまうことがあるということ。そのことを知っているだけで、自分を律し、前に進むことができると思っています。これも宇城先生に学ばせていなければ気づけなかった世界です。今自分がいる場所から、少しでも変化を起こせるように、宇城先生から学ばせていただいていることを実践する中で、少しでも周りに差をつけていけるようになりたいと思います。


各学校で日々奮闘する教員が同じ場所に集まり、共に学べる場があることは本当にありがたいことです。教師塾を今後も継続していけるよう、私たち教師が先生に少しでも成長した姿をお見せできるように、稽古を続けていきます。この度も貴重な学びをたくさんいただき、本当にありがとうございました。


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