東京実践塾 感想文 2024年11月~ 2024年12月
■H.N 神奈川 教師
1年間のご指導、ありがとうございました。
12月の実践塾では、固定されていないスケボーに乗った塾生を、先生の気のエネルギーで動かすところを見せていただきました。古典力学的な物理法則を、無視しているとも言える凄まじい現象でした。
地球が丸いこと。引力があるために自転している地球から飛ばされずにいること。地球は時速1500キロメートルで自転し、時速11万キロメートルで太陽の周りを公転していること・・・などの事実を私たちは知識として知っています。
これらの事実の中にはとてつもないエネルギーが存在していることを頭では理解できても、そのエネルギーを身体で実感することはできません。実感はできなくても宇宙に吹っ飛ばされずにいるということは、それらのエネルギーと身体は自然に調和しているということなのでしょうか。そうであるならば、身体には宇宙の不思議ともいえる現象と調和できるだけのエネルギーが、すでに存在しているということなのかもしれません。
実践塾で行われる数々の実践は、その一部を我々にも見える形で引き出し、体験させていただいているのだと思います。そして、「私たちは宇宙に生かされている」と先生がよくおっしゃっていることを、ようやく頭で理解できている状態です。それを今後少しでも身体で感じられるように精進して参りたいと思います。
11月の審査会で娘が初段をいただきましたので、あらためて御礼を述べさせていただきます。東京の子供空手が始まり、娘が榎本師範に教えていただくようになったのは、小学校に入学してすぐの4月からです。それから8年半がたち、ようやく東京の少年部から黒帯が出ることとなりました。この間、榎本師範には言葉には尽くせないほどの数々のご指導をいただきました。ここに厚く御礼申し上げます。
現在娘とは週に一度一緒に稽古を行っています。ほかの日には娘は毎日一人稽古をしています。週に一度の稽古の後、空手を含め様々な話題で雑談をしていますが、稽古を含めそれらの時間が親子にとってかけがえのない時間となっています。
小学生の頃は、月に数回しか娘と稽古をしていなかったため、基本や型、分解組手を身に付けるのに時間がかかりました。中学生になってすぐの頃に榎本師範から「もう中学生なんだし、一人で稽古できるでしょう。」と言っていただき、娘もその気になったようです。
6年生の頃から剣の指導をしていただくようになり、娘はそれが面白くて熱心に取り組むようになりました。この頃から娘は一人稽古をするようになりました。今年に入ってからは、榎本師範にご指導いただく日に出席できない時の分の遅れを取り戻そうと、熱心に稽古に取り組んだと思います。
以下、娘の感想です。
宇城杯の時はとても緊張しましたが、審査では木刀の素振りの時に少し緊張したくらいで、全体的に落ち着いてできたと思います。声を大きく出そうと意識しなくても、はっきりとした気合いを出せてよかったです。
木刀では、まだ腰を落としすぎてしまい力んでしまいました。居合の型では、まだまだ動きをなぞっているだけなので、一回一回集中してピリッとした空気にできるようにやりたいです。
空手の型は最後まで落ち着いてできたと思います。パッサイの最後の腕受けのところは甘かったと思うので、気を抜かないようにしたいです。分解組手は落ち着いてできました。ただセイサンは父と練習しているときと感覚が違い、相手とぶつかってしまうことがありました。今回のことで、人を相手に練習することの大切さが分かりました。
今回の審査で初段をいただけて本当に嬉しかったです。ここまで続けてきて良かったと心の底から思いました。でもこれで満足しないで、私より上手な人はたくさんいるので、その人たちをよく見てまねしたり、練習したりして上達していきたいです。
この1年が今までで一番練習しました。審査前は、これだけ頑張ったのに合格できなかったときのことを考えたら、怖くなって落ち込んだりもしました。最終的には気持ちが落ち着いて審査に集中できました。これからは、基本の基本から形をきれいに、無駄のない空手を目指して練習していきたいです。
次の1年の目標は、「力まずに突けるようにする。サンチンとナイファンチンの型をきれいなものにする。」にします。
以上です。
榎本師範からは、子供空手に参加している塾生は、子供の姿から得られるものが大きいはずだと教えていただいています。先生や師範のように娘の良さを引き出すのは私にはまだ難しいですが、よき稽古相手に育ってくれたと感じます。これからも親子で稽古して参りたいと思います。
今後ともご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。
■N.S 千葉 会社員
宇城先生、いつもご指導ありがとうございます。
今年も沢山のご指導をありがとうございました。
今回の審査会において、分解組手の相手をさせて頂くことで沢山のことに気づかせて頂きました。見るだけの稽古から気づくことと、実際体験させて頂く稽古では、気づく事に大きな違いを感じました。
見る稽古の時に、受け身になっている自分も発見しました。体験している時のような緊張感が、見ている時も必要なことに気づきました。
また、審査会の緊張感ある場で気づく事と、日頃の稽古で気づく事の違いも感じました。それはつまり、日頃の稽古が緊張感にかけた稽古をしている事だと反省しています。
それから組手の受け側の基本ができていない事に気づきました。足底をつけること、相手から目線を離さないこと、相手との関係をきらないこと、常に攻撃できる状態でいること。そして自分を守る事ができていなかった事に気づきました。
受け側が出来ていない事から気づいたことは、それが自身の日頃の人間関係に影響していること、そして自分の日常の課題のひとつであったことに気づきました。
審査会後の稽古において、宇城先生から本当の投げを体験させていただきました。大勢の塾生と共に投げられた後は、身体が重くなり身動きできませんでした。宇城先生の技の体験を、身体に記憶させていきます。
懇親会において、榎本師範から「自分から発信すること」をおしえて頂きました。拓治師範からは、自分を認め、前に進むことをおしえて頂きました。貴重なお言葉に感謝いたします。
宇城先生の稽古で感じた感覚を日常で使っています。何かひっかかる、嫌な感じがする、穏やかになる、スムーズに流れる等、自分の感覚に聞いて過ごすことがひとつの楽しみになりました。
これからも、宇城先生の稽古を沢山体験していきます。
ご指導よろしくお願いいたします。
■T.K 千葉 公務員
宇城先生、11月と12月の稽古、そして今年1年間のご指導どうもありがとうございました。
11月と12月の昇級昇段審査では、受審された方の演武、審査の結果、先生のご講評などから、審査の場で作らずに普段の稽古をそのまま出すことの大切さと難しさ、日常をいかに真剣に生きたかが空手に現れることなどを学ばせて頂きました。
また、審査後の指導、稽古では、宇城空手の修行を続ける上で大切なことを改めて気付かせて頂きました。どうもありがとうございました。以下、審査後の指導、稽古で感じたことについて記述させて頂きます。
11月の昇級・昇段審査後の全体への指導では、子供が大人数人のスクラムを押して崩すこと、子供全員が気合を入れて突きをすることで大人の列を動かすことなどから、子供の力(本来人間が持っているはずの力)と可能性を改めて見せて頂きました。
また、一人では大人数人の列を押せない子供に宇城先生が触れると瞬時に押せるようになること、その子供に大人が触るとまた押せなくなることから、子供の力、可能性を発揮できなくしているのは我々大人であることを改めて教えて頂きました。
先生はそれらの検証を経た上で、子供には「返事はハッキリ大きく、普段からやっていないと声は出ない」、全体には「子供は元気の良さ、大人は癖のなさが大事」という指導をされました。
今こうして文字にすると非常にシンプルな指導ですが、子供の力や可能性を伸ばすため、そして大人がそれを壊さないための重要な要素があの時のあの場での指導に集約されていると感じました。宇城空手を学ぶ子供の親として、あの日の指導と感じたことを肝に銘じ、大切にしていきたいと思います。
また、12月の昇段審査後の稽古では、スケートボードの上に立った人(Tさん)を数メートル離れた宇城先生が引き寄せるという検証を見せて頂きました。ボード上の人がほぼ真横に広げた両手と腰(帯)のに、それぞれ数人がストッパーとして付きましたが、全く止めることができず、全員が一緒に引き寄せられました。
この時私は帯を掴んでいましたが、引き寄せる力の強さに先ず驚きました。さらに、ボード上の人が伸ばした腕にそれぞれ数人が進行方向に対してストッパーになっているにも関わらず、その腕が曲がったり姿勢が反ったりすることなく、全員が引き寄せられることにも驚きました(今思うと動くこと自体が驚きなのですが)。
ストッパーが中心(腰)でも末端(腕)でも関係がなく、全員が同時に引き寄せられるほど引き寄せるエネルギーが強いということなのかもしれませんが、そのようなエネルギがーどこから発生し、どのように伝わるのかとても不思議でした。
このエネルギーが何なのかは全く分かりませんが、その場の全員が同時に引き寄せられるという結果(事実)から、天体の重力や引力のようなものを連想しました(10月の稽古でのペットボトルの水の回転が連鎖する検証でも同様に天体をイメージしました)。また、先生がそれを発生させることから、人間が自然や宇宙の一部であることを漠然とですが感じました。
この日の検証から、先生ほどの武術の技術的境地、年齢に至った方が、今なお進化と深化を続けておられること、その次元の高さと進化のスピードに驚きと感動を覚えるとともに、人間の持つ可能性の凄さを感じました。
同時に、先生の指導を何年も受けながら、今だに相対的な強さや上手さを意識している自分の稽古のあり方が、無意味でどこか歪んだものに思えました。
先生から見せていただくこのような検証の場は、自分が宇城空手を学ぶ目的や稽古のあり方について確認し、考えを新たにする上で重要な場です。このような場と機会を与えて頂けること、実際に模範を示し続けてくださる師の存在に改めて感謝申し上げます。今後ともご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願い致します。
■D.S 千葉 会社員
宇城先生、今回も御指導、誠に有難うございました。
今年最後の感想文を書かせて頂きます。
11月、12月の稽古で印象に残ったのは、車輪の付いたキャリーケースを置き、それを大勢が動かぬよう押さえるも、先生が対面から気を送ると押さえる集団ごとキャリーケースが先生に引き寄せられる…という検証でした。またもう一つ、スケートボードに乗った人が手を広げ、その両手をそれぞれ一人ずつが動かぬように押さえているのに、対面から気を送る先生に、スケートボードごと人が引き寄せられるという検証も印象に残っています。
普通に考えれば、本当に有り得ない事です。特にスケートボードの検証などは二人がかりで押さえられている時点で動けないのに、さらに車輪付きのボードの上に乗っていては踏ん張りも効きません。この状況は、一切のやらせが通じない厳しい状況なはずです。一にも二にも自分に厳しく、という先生の姿勢が、その検証には現れていました。
それと同時に、「エネルギーとは何か?」を可視化する発想の異次元さに、ただただ驚くばかりです。エネルギーに満ちて、その本質を捉えていなければ、そもそもこのような検証を思いつきもしないはずです。人の持つ可能性はこんなものじゃない、という強烈なメッセージが込められている事を、感じずにはいられませんでした。
先生は折りに触れて、地球の危機は、もはや温暖化ではないと仰います。人類が在り方を反省して正しい方向へ進み、愛と調和で地球の波動ごと高次に移行することが、破滅を回避する唯一の方法なのではないでしょうか。
昨今、センシングやAIの技術は急速に進展しています。ただし今現在は、それらを支える半導体の製造に大量の水を消費し、データセンターでの演算処理には膨大な電力を使用します。人は一層の恩恵を享受しようと躍起ですが、それは地球の意志とは異なるはずです。
私はこうした技術の発展が目指す先は、品格や調和から生まれるエネルギー、気の見える化であるべき、と考えます。そして先生が仰るところの五次元の情報空間にアクセスできるようになれば、人が道を外れず、正しいほうを向いて生きる一助になるのではないか。先生が先んじて実践して下さっている高度な技術を、より広く人類の共有財産化するための技術革新が、何より地球との調和に必要なのではないか。この二か月の稽古や合宿の間、私はこのように思いました。
そうした方向に目が向けば、自ずと地球の破壊と引き換えの発展という矛盾は成り立たなくなるはずです。私は普段、こうした技術領域の中で新しい事業を企画する業務に就いております。しかし実践塾生として、自社の生き残りや肥大化、儲けの為だけに仕事をするなどという事はありえません。では何のために仕事をするか?仕事を通じて、先生の教えを社会に浸透させ、より良い明日を築く事こそが、先生に間近で学ぶという得難い機会を得た私の、社会への還元方法だと思います。その為にこそ、仕事をします。
先生が人の集団を使ってエネルギーを見える化して下さるのは、人体こそが現在もっとも進化したデバイスだからだと認識しています。結局科学は、このデバイスの機能を引き出せていません。生と死の間で先人が築き上げてきた武道、文化に、机上の空論では太刀打ちできないことが毎回の検証で如実に示されています。
他方、技術の進化は決して無意味ではない事も、これは技術者としての先生の御実績がまた教えて下さる事です。地に足がつき、血の通った本物の技術開発であれば机上の空論にはならず、より良い世の中を築く一助になるはずです。そうと信じて懸命に仕事に、ひいては人生に打ち込む。実践塾にはより良い世界を築く仲間と、何より師がいて下さる。この事実が、明日を生きる活力になります。
宇城先生、榎本師範、拓治師範、本年も誠に、有難うございました。
来年もどうぞ、宜しく御願い申し上げます。
■T.T 千葉 会社員
量子力学の理解に使われるシュレディンガーの猫を例えに、品格の御指導を頂きました。アウシュビイッツのガス室を作る人、収容された人をガス室に送る人、パンを与える人、そのガス室に毅然とした態度で入っていく人。収容された人も普通の人であったように、加害者側も良き父親や母親として普通の生活をしていたと聞いた事があります。
有り難い事に平和な日本に生まれ、生活してきた私達は、いずれかの立場になる可能性がある事を想像も出来ないか自ら気付かないふりをして逃げています。何年も前に「人は良性と悪性を戦っている」と先生から伺った事は、今でも心に刻まれております。
猫が入った蓋を開ける時と同様に、自身がその場に成った時でないと、ガス室の中で我先にと逃げ回る人となるのか、死ぬまで毅然な態度をとれる人なのか、望まず加害者側に立たされてもパンを与える人としていられるのか分からない。今の平和な環境に生きている私達が、どんなにそうならないと思っていても、その場にならないと分からない。量子も常に振動した状態で、観測される時に状態が決まり、私達の揺れ動く心も同様であると御指導頂いたと理解しております。
何年か前に線路に落ちた人を韓国の学生が助けた事を例に、頭で危ないと思っていたら助ける事は出来なかった。身体が先に動いたからこそ助ける事が出来たと伺った事があります。
12月の審査会にて、型と内面の一致を審査されていると御指導頂きました。型を作る事は、頭の作業であり、より内面と分離してしまう事。大きく揺れ動く心を型と一致させる事が、中心を創る事につながると解釈致しました。中心が出来れば、心の思う事と身体の行動に差が無くなり、いざと言う時に品格のある行動が出来ると御指導頂いたと思っております。
「宇城空手は現実を突きつける。子供は現実を生きているが、大人は現実を生きていない。」趣旨の事を春の合宿で師範から伺いました。子供の型を見せて頂き、自然体。内面と型の一致についてハットする思いがしました。ありがとうございます。
毎月の稽古で、出来ない自分を認識させて頂く事で自身の現実を知り。と同時に、気の御指導で出来る自分も体験させて頂き、人間の可能性対する希望を頂いております。宇宙の摂理を解明して行くことは、人類の叡智に対する欲望で、それは大切な事ですが、人間の頭の作業の域を超えられません。
先生は、量子もつれのような場所と時間を超越するような現実も、なんども私達に見せて頂き、理論より技術。思いより行動の大切さを御指導頂いて、世界に類のない経験をさせて頂いております。私達が、三次元の空間に存在し、先生と同じ時間を共有する事が出来ている事は奇跡的な事です。感謝しております。
自身の身内を守り、同僚を守る。それが社会の安定に繋がり、子供達の未来を守る事に繋がると思っております。それこそが、先生に恩返し出来る唯一の事と思って稽古を続けて参ります。
今後とも、御指導宜しく御願い致します。
■K.H 埼玉 会社員
宇城先生、実践塾での御指導1年間本当にありがとうございました。
先日の実践塾で宇城先生がおっしゃられた「子供はやって見せれば迷うことなく素直に信じることで、すぐにできるようになる。大人は病気だから素直に信じることができない、だから変われないんだ。」というお言葉が心に残りました。
毎日会社に行く電車の中でイヤホンで音楽を聴く人、携帯に夢中になっている人を見ると最近知らない人にいきなり刃物で切られたり刺されたりして死亡するという事件が頻発して犯人が逃亡しているというニュースが流れていますが、ニュースを見た時は何て酷い事件なんだ被害者が可哀想。早く犯人を捕まえてほしいと思うのですがその情報は頭に暫くは記憶されますが、別の事件のニュースが流れると最初の情報は隅に追いやられ情報の上書きがされてしまいます。
今の日本人は毎日毎日、情報の上書をしているだけで、何でも知ったつもりになっているだけだと思いました。その情報の教訓を心に残し、その後の人生の糧にするということができない回路がいつの間にか出来上がり、違和感など感じることなくそれが普通だと思い込んでいるのだと感じました。
私の中にもいつの間にか出来上がった情報の上書き回路が存在していますが、2008年6月に秋葉原で発生した秋葉原通り魔事件以降、移動中にイヤホンで音楽を聴いたり、本を読んだり、携帯を見ないようになりました。それは自分の身を守り家族を守らなければいけないと思った教訓からでした。
事件を起こした加藤死刑囚は短大卒業後に派遣社員として働く中で自分の存在価値が認められず部品のように扱われていると感じて不満を抱いていました。出会い系サイトで知り合った女性が心配してくれるのを嬉しく思ったが顔写真を送るとメールが来なくなり自分の容姿に強いコンプレックスを抱くようになり、サイトの掲示板に悩みを書き込むようになると慰めやアドバイスが書き込まれるようになり不満の唯一のはけ口になっていたが、自分になりすます偽物が現れトラブルとなり自分の唯一の居場所がなくなり自分の存在が殺されたと感じ「みんな死んでしまえ」と思うようになったことが動機だということです。
今の時代に世界で大ヒットしたジョーカーという映画の主人公は悲しい生い立ちでピエロとして細々と生活をしていたが、容姿が気味悪がられ虐げられ人を恨むようになり、やられたらやり返すという善悪の主観で生きるようになり、平気で人殺しをやる悪のシンボルになっていく映画ですが、格差社会による貧困や理不尽な差別問題で苦しむ世界の夢や希望を持てない人たちの唯一のはけ口になったのではないかと思います。
こんな混迷の時代だからこそ宇城先生にめぐり逢うことができたことに本当に感謝しています。自分の当たり前だと思っていた日常生活やものの見方や考え方が根本的に間違っていたと気づいた時、自分は何のためにこんなくだらない人生を歩んできたんだろうと深く反省しました。
会社や人の奴隷になって生きることは、世渡り上手な生き方ではない間違ってる。自分の可能性を信じ希望を持ち小細工なしに正々堂々と正面から希望に向かって歩んでいく。結果が出なければ努力が足りないということを、宇城先生から侍の生き方を学びました。
また不可能を可能にするのは心のエネルギーであり、その根源は魂であると教えて頂きました。「大人は病気だから素直に信じることができない。だから変われないんだ。」というお言葉を座右の銘として汚れた心を宇城先生から学んだ侍の生き方とご先祖様から受け継いだ誇り高き日本人としてのDNAという魂を信じ、周りの人に心を配り言い訳せず自分に厳しく明るく笑顔で高みを目指し修業していきたいと思います。
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