東京初級(前期)第1回 感想文
■(会社員 42歳 T.T) 宇城先生、ご指導の程、ありがとうございました。 山岡鉄舟先生の書の中に「剣法の真理は万物太極の理を究むる」とありますが、宇城先生の指導を受けて最近そのように感じる事が多くなりました。宇城先生の教えが空手だけに留まらず、様々なスポーツ、芸術、仕事に通じるのはまさに万物太極の理を究めているからだと感じます。 以前、「平和の世の中で何の為に空手を学ぶのか? 鉄砲のある世の中で誰より強いと比べる事に意味があるのか? 日常に空手を活かせなければ空手をやる意味がない」と先生が仰っておられましたが、この事は私の空手観を大きく変えるものとなり、日々の日常が修行であると考え、仕事の困難を乗り越える原動力となっております。最近特に実感するようになりました。 空手がただの趣味の延長であればこのようにいかなかったと思います。空手を学ぶという事は、万物太極の理を究むること。空手を学ぶことがただの趣味ではなく、人生を掛けて学ぶべきことだと感じられるようになりましたので、迷いなく空手に情熱を捧げられるのだと思います。宇城空手を伝承できるよう日々精進いたします。引き続き、ご指導の程、よろしくお願い申し上げます。 ■(会社員 46歳 S.Y) 宇城先生、4,5、6月と稽古をつけていただき、誠に有難うございました。最近は、毎月の稽古で奥深さを感じられることが多く、大変感謝しております。6月の稽古の中で、パッサイ型の解説の中で、「つなぎ目が重要」とのことをお話されていらっしゃいました。非常に細かい部分ながら、自分の中で腑に落ちた感じがありました。クーサンクー、パッサイ、セーサンなどの比較的動きのある型の稽古では、各技の決めを重視する傾向がありますが、おっしゃるとおり、気を抜きがちな「つなぎ目」の部分に技が隠されている、との言葉に酷く納得させられました。日常でも、解りやすい結果などに目を向けがちで、物事に隠された「つなぎ目」を見ることが少ないように思えます。「型は美しく」という言葉も、このような部分も含めての意味合いかと思った次第です。 合宿と6月の稽古で、パッサイの山突きの部分のご指導有難うございます。 この部分は、型を練習する際にも、引っかかっている部分の一つでありました。「つなぎ目」の部分もさることながら、山突きの極めも、「なんとなく稽古していた」感があり、改めて見直すべき点だと思いました。先生から、「受けの腕が甘い」、「力が入っている」等のご指導を受けながら、ご指摘の内容を体で表現させようと模索している際に、昨今忘れていた、「自分の超えた世界に取り組む姿勢」ということに気づかされました。深い内容ですので、頭の思考を超えており、体の表現もままならない部分も多いのですが、自分の超えた課題に取り組める機会があるのは非常に感謝しております。 仕事上では、それなりの結果が出れば、良いとする風潮があり、自分の中での怠け癖もあったのでは? と、ご指導を受けた後に反省をしております。最近の仕事で経験できない、大きな課題をいただき、感謝しております。2月の稽古の際に、「世の中がどんどん厳しくなる」との話がありましたが、お話の通りに、厳しくなっていることを痛感しております。仕事で取引のある日系企業群は、将来に向けて何をすればいいか分からない、という戸惑いも見せており、外資系であれば、何か将来的な予測があるだろう、ということで、話を聞きに来るケースが多くなりました。一方で、業績が悪い企業は、打ち手はなしで、50歳以上の従業員に早期退職を薦めているとの話を、長年の取引先から聞き、驚いてしまいました。 世の中の変化、身近な環境の変化が、以前より大きく、そして抽象度合いが高くなっており、対応の難しさを感じるようになりました。問題が明確であれば、その対応も容易ですが、現状では、乱雑した情報と、複合的な問題因子があり、矢継ぎ早に変化が、あらゆる場所で起こり、追随するのが難しく感じております。 武道的に見れば、対峙する相手の難易度が上がった状況かと思います。稽古の難しさと、日常の社会生活との差が埋まりつつある感覚がある中で、稽古の中で、現実の生活の活路を見出す必然性が高まった感があります。 引き続き稽古、お願いできれば幸いです。 ■(会社員 43歳 M.S) いつも実践塾でのご指導ありがとうございます。私自身、この3カ月でさまざまなことを感じました。最も大きかったことは、先輩方の存在です。毎回さまざまな先輩、特に黒帯の先輩とペアになって稽古させていただくことが多いのですが、そこで出来ない自分に気付くことができ、また先輩方と触れてみて宇城先生がとんでもなく遠いところにいらっしゃるということをあらためて思い知りました。「すべては自分である」ということを先生には再三おっしゃっていただきました。すぐに人と比較したり、周りのせいにしたりと、悪い癖が抜けきれない私にとって非常に心にささるお言葉です。自分の在り方、生き方が問われているように思います。自分だけいい思いをすればいい、周りへの気配りや、周りに興味があるようにみえて実はすべて自分の為にしているのではと感じることも日常では少なくありません。まずはそのことに気付き行動を改めていくことが何よりも大切に思います。 実践塾で学ばせていただいたことをどのように日常に活かしていくか、周りへの気使い、仕事のスピード、人と人との間、あらゆるところで活きてくるのが、宇城空手の真の部分であると確信しました。先生は「マルチでなければいけない」ともおっしゃっていました。スポーツには全くできないですし、他に類をみません。人間が生きていくうえでの根本原理を実践塾で学んでいると思いました。「人間を極める場である」とおっしゃっていた先生のお言葉を聞き身震いいたしました。 技と技の間に技があると前回の稽古ではご指導いただきました。本当の意味は到底わからないのですが今後の稽古にとてもヒントになるものでした。また型稽古だけでなく日常でも同じなのかなと感じました。日々の所作で動作と動作の間が重要かなと、礼をして終わりではなく心の中は礼をしたその状態で居続けることが日々の稽古になりまた気品にもつながっていくのかと感じました。私は表面的に礼をしても心の中では突っ立ったままであるということが非常に多いのではないかとあらためて気づかされました。昨年先生に「品がない」とおっしゃっていただいたことを常に心に留めていたのですが、その答えが宇城空手にあるということはこの半年間で確信することができました。日々感謝の気持ちでいっぱいです。 先日、テレビで「ゼロ・グラビティ」という洋画を見ました。アカデミー賞最多7冠の話題作で地上波初放映でした。宇宙空間でさまよった主人公が地球に帰還するというストーリーです。映像に見入ってしまい疑似体験をしているようでした。そこであらためて感じたことは先生が常におっしゃっている我々は地球に生かされているということです。主人公がやっとの思いで地球に帰還できた時の喜び、大地を踏みしめた時の喜びはとてつもなく大きなものであるとように感じました。人間同士が戦争や殺人を犯すことがいかに愚かなことかを理屈抜きに感じました。重力やこの空気があるありがたさ、改めて地球や大自然のありがたさを感じさせていただける映画でした。 先生は常に宇宙規模で物事を見てらっしゃっています。さまざまな言葉や実技を通じてご指導してくださっています。全ては自分であるとの言葉を胸に、今後とも稽古に励みたいと思います。ありがとうございました。 ■(会社員 60歳 A.S) いつもご指導いただきまして誠にありがとうございます。日本は、もう夏のような気候になったようですが、ここシンガポールはここ3日程雨が多く、曇り空で気温もそれほど高くなく比較的過ごしやすい気候であります。 ここ数か月のご指導は、非常にレベルの高いものをお教え頂いたと思っております。気の関係では、場の変化、すべてを引き付ける気など先生の進化、発展する気の力を拝見させていただきました。人生の生き方では、生かされていることを感謝し、「生きている」のではなく、「生きる」ことの大切さを教えていただきました。また気の方向性のないエネルギーは、仕事も片手間で人の3倍働けるという、普通の人とと差をつけるレベルの高い生き方を可能にするということも教わりました。 サンチン、姿勢、ゼロ化、残心、型の中の隠された技、崩しの基本など術技に関係するものはどれも眼からうろこの世界でありました。どれ一つとっても、私にはまともにできるものではありませんが、武術に隠された人間の英知をお教えいただくにあたり、やはり世界最高峰の先生の空手をやってよかったと実感する次第であります。 現在での実践の場は仕事である。その仕事に生かせないものなど何の価値があるのか?その問いを先生から投げかけながら、その問いを自問しつつ、すこしでも生かせる努力をしております。よりよく生きる、幸せになる生き方をお教えいただいているということを実感しております。 今週末はドイツセミナーです。道中、お気をつけてらいしてください。セミナーが成功いたしますことをお祈り申し上げます。 ■(会社員 33歳 M.N) 宇城先生、いつも大変素晴らしい実践塾の稽古に参加させて頂き誠にありがとうございます。三か月間の実践塾での稽古を通し、日常生活では決して得ることのできない気付きや型の奥深さ、妙味を数えきれないほど頂きました。型の稽古において一番印象に残っているのが、パッサイの突きの稽古でした。私たちが通常の突きをした時は、体が浮いていて後ろから人が帯を引っ張っていると前に出る事ができません。しかし、宇城先生からご指導頂き、パッサイの型通りに突きと受けを同時に出すと、体が浮かず自然と突きが出せました。 そして、パッサイの突きをした後で自分の通常の突きをしてみると、自分の突きの欠点がたくさんわかりました。通常の突きの時は、まだまだ自分の中に「攻撃」という意識があり、右手と左手が連動しておらず、体がバラバラに動いていました。しかし、パッサイの突きの時は、左手の受けが右手の突きを助け、驚くほどスムーズに突きを出すことができました。そして左右の手が連動すると、足も自然と前に出すことができました。 次に宇城先生が「パッサイの突きの感覚で通常の突きをする様に」と仰り、すぐにやってみましたが同じ様に突きをすることはできませんでした。パッサイの時は「型の感覚」で突きをしていましたが、通常の突きになるとどうしても「攻撃の感覚」に囚われてしまうのが原因の様に感じました。そして「この突きはできていない」という感覚は、最初の引手をした時に違和感がある為、突きを出す前にわかります。宇城先生が常々仰る通り「突きや投げはただの後処理」であり、最初の相手に入る瞬間である「型の繋ぎ」の部分が重要であるという事がほんの少しわかった気がしました。 そして更に驚いたのは、突きが終わった時に、自然と次の左の突きをする準備が整っている事でした。宇城先生の動きが、後処理が終わった時には既に次の型の繋ぎが始まっており、完全に相手を無力化しているという事がパッサイの稽古を通しわかりました。宇城先生が伝えてくださる空手は、学べば学ぶほど次々に課題がでてきます。そして課題がでてくると同時に、学べば学ぶほど、型が想像も出来ないほど合理的に出来ている事がわかりました。例えると、とても難解な百ページの本があり、頑張って半分ほど読み終えたらその本のページは千ページに増えており、気を取り直し改めて半分ほど読み終えたらまた一万ページまで増えていた様な感覚です。 実践塾での稽古を通し、先人の方々が遺してくださった日本の武術の奥深さを知ると同時に、その武術を再現し、進化、発展させ続けている宇城先生から学ばせて頂いている自分の幸運を再確認する機会を頂きました。
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